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Mukha

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2008年1月 8日 (火)

「冨士屋商店」

200818  国府津の町に8日、ちょっとした衝撃が走った。「(株)冨士屋商店」の閉店謝恩セールの案内チラシが読売新聞に折り込まれていたからだ。明治21年(1888年)創業の老舗。明治、大正時代は衣料品、小間物、薬、メガネ、たばこ、化粧品などの販売とともに、旅館や待合、国鉄、役場などに食料品や酒、文具、トイレットペーパー等を納入し、百貨店のような役目を35していた。現在は、婦人服、肌着、学生衣料、化粧品等の小売と、事業所や工場、旅館、医院などにユニホームや白衣等を納めていた。

 国道一号線に面し、小田原市国府津商店街の特色である「看板Photo建築」の一翼を担っていた。後継者不足や周辺地域に進出した大型店舗の影響で、閉店が相次ぐ商店街にあって、料理旅館「国府津館」とともに、明治の面影を残す数少ない地元の老舗だった。冨士屋商店の店じまいは昨冬から決まっていたが、<公表>は年末年始が明けるのを待った。それだけに、数日前に閉店を知ったという商店仲間もおり、新聞折り込みを目にして驚いた住民が多かった。

 冨士屋商店経営の5代目・奥津弘高氏(56歳)は、平成14年から国府津商工振興会の第10代会長を務めている。国府津商工振興会が創立50周年を迎えた平成16年6月に記念誌「我がうぶすな」を発行した。そこに奥津会長は、「別荘の街・国府津 博士村・前川」を執筆した。明治から昭和の初めにかけて国府津と隣接の前川にあった別荘はざっと50軒。実にこまめに調べ、これまで小田原市がまとめた記録をはるかにしのぐPhoto_3内容だった。

 私は読売新聞社を退職し故郷・国府津に戻ってきた縁で、記念誌作りのお手伝いをした。この時、奥津氏はこう話していた。「別荘調査で古老の関係者宅に伺うと、『あぁ、冨士屋さんの息子さんですか』と言って、どこも快く迎えくれ、話してくれました。先祖のお陰と感謝しています」---と。新聞記者時代に相手の口をいかに開かせるのかに苦労した私にとって、奥津氏が「順調に取材を進められたのは先祖のお陰」と感謝する気持は十分に理解できた。奥津氏はその後も取材を深めて、昨年5月に「徳川慶喜公の散歩道」(夢工房)という著書を出版した。国府津にあった「大鳥別荘」に避寒のため、晩年滞在した慶喜公について書かれた「大鳥家別荘御滞在日誌」を読み解いた快作である。この取材にあたっても、いかに「冨士屋商店」の名前が力(ちから)になったかは、奥津氏の言葉を借りるまPhoto_2でもない。

 「國府津町優良商店 商賣繁栄雙六」という双六(すごろく)がある。国府津の商店を絵入りで紹介したもので、昭和初期に、商店街の歳末商戦の景品なり「おまけ」として作られたものと見られている。「振り出し」から「上がり」まで36コマあり、28コマ目と上がりが「冨士屋洋品店」となっている。双六は、国府津にあって、冨士屋商店の歴史と格を示す証拠の一つともいえる。

 創業120年間に及ぶ老舗・冨士屋商店の閉店は、個人的に寂しい限りだ。でも、「上がり」と思えば、気持も、ちょっと違う。営業は、今月、つまり1月31日限りだ。その後、当面は駐車場になると聞いている。

2008年1月 7日 (月)

国府津駅前広場

200817  雨のJR「国府津駅」前広場。7日午後、工事関係者が赤色灯棒を持って広場に進入する一般車両を仮設のロータリーに盛んに誘導していた。国道からの入り口などに「仮設ロータリー」利用の案内板が立っているが、私が見た限りでは、乗用車はそのまま何時ものようにJRの改札口前まで乗り入れていた。私が見たのは午後4時過ぎで、雨の降りしきる最中。車200817_2両も少なかったこともあって、誘導関係者は注意することもなく、静かに様子を見ていた。

 国府津駅前整備工事が、いよいよ今週から始まる。計画によると初日の7日から広場の掘削作業に入る予定だった。しかし、広場に掘削機はあったが作業をした気配はない。200816雨の影響だ ろうか。仮設ロータリーは改札口から西に30~40mほど離れている。車で国府津駅に来ても、雨の日などは傘をさして歩かなければならない。くしくも工事初日が雨で、「案内指示」も徹底しなかったわけだ。7日の仮設ロータリーへの誘導は一Photo_3般車両だけだったが、近いうちに、タクシー乗り場もそこに移動する。

 私は国府津駅利用者の一人。足元が凸凹になり、加えてタクシーを使っても、これまでのように即、改札口に乗り付けるというようなわけにはゆかない。不便は覚悟している。まだ、車利用の周辺地域の住民に仮設ロータリーの話は十分に伝わっていない。混乱も予想される。事故がないように、けが人を出さないように---工事の安全対策の徹底を強く求める。

2007年10月13日 (土)

「お会式」 国府津

Photo_9  境内に「万灯」(まんとう)が飾られた。我が家の菩提寺、小田原市国府津の法秀寺(鈴木妙英住職)で12日、「お会式」(おえしき)が行われた。お会式は、宗祖等の命日にあわせて行われる大法会・祭りである。法秀寺は日蓮宗 。宗祖・日蓮聖人が東京・池上本門寺で亡くなった日(10月13日)に、庭先Photo_10の桜が時ならぬ華を咲かせたという故事から万灯を飾る。万灯は紙で作った造花である。そんな中を近辺の寺の講中Photo_11が団扇太鼓を叩きながら集まり、法秀寺の檀信徒とともに題目を唱えた。

 お会式と言えば、池上本門寺が有名で毎年数十万人の参拝者が訪れる。私も2度ほど伺った。日蓮聖人の命日前夜に、全国各地かPhoto_12ら集まった百を越す講中が纏(まとい)を降りながら繰り広げる「万灯練り行列 」を見るためだった。約3000人が池上徳持会館から本門寺まで約2㎞にわたって練り歩く光景は壮観で、秋の風物詩として新聞やテレビで紹介されている。日蓮宗のお会式は、俳句の秋の季語になっているほどだ。Photo_13

 今年は日蓮聖人の七百二十六遠忌。法秀寺の本堂にも造花は飾られ、そのもとで説教が行われ、法会が営まれた。法秀寺の万灯はささやかである。しかし、私達が子どもの頃は盛んで露店が並んだ。日蓮宗の宗派や法秀寺の檀信徒に関係なく、Photo_14国府津や近郊住民の楽しみの一つだった。現在、国府津で人が集まる祭りと言えば「天神さん」だけである。交通の問題、境内の広さ、世話人の苦労など問題は多いが、このお会式がもう一度盛んにならないかなぁ、国府津の風物詩の一つにならないかなぁ---と、万灯を眺めながら思った。

2007年10月 2日 (火)

粋なデザート ! みかん

Photo  雨模様とあって、緑の色が瑞々しく輝いている。鉢仕立のみかんが5鉢。実も1鉢に5~7個付いている。昨年から、小田原市内でみかんを栽培している中学時代の友人から5鉢ほど届けてもらっている。親戚や知人へのプレゼントに使い、一鉢を手元に置いて、実成りの鉢植えみかんをじっくりと楽しむつもりだ。これからみかん狩りの季節で、東京Photo_2 方面からの客は枝付きのみかんを喜んでいるが、鉢植えみかんを見ると、大概の人は驚いている。

 みかんの鉢植え栽培は40年近く前から行われており、毎年8月下旬から主に東京方面に出荷されているという。樹の背丈は約1m。このほど届いた5鉢のみかんは、既にヘソの部分が色付いているのもあった。友人の話で、Photo_3 へぇ~と感心し、「イキ」だなぁと思ったのは、この鉢植えみかんが、料亭などのコース料理のデザートに出されていたということ。デザートには季節の果物が定番だ。最近は、みかんは余り見られない。そう珍しくもなく、皮をむいたりするのが面倒なのであろうか。でも、鉢植えみかんが出されて、お客がそれぞれ自分で一つずつ枝からもぎ取るとしたら、どんな気持になるであろうか。

今は、その料亭への出荷もなくなった。需要がないとともに、仮に需要があっても作る農家の側が少なくなって、注文通りに応じられないという。鉢植えみかんのデザート。一度、試してみたい。

2007年10月 1日 (月)

「震度5弱」 小田原

 その時、私はわが家の2階自室でパソコンを打っていた。10月1日午Photo_5 前2時21分、神奈川県西部(北緯35.2°東経139.1°)を震源とする強い地震があった。小田原市国府津にある自宅は音をたてて揺れた。部屋には本や資料などが、まるで<ピサの斜塔>のように乱雑に積んである。これまでに感じたことのない揺れである。しばらく続いた。しばらく続くことによって少し安心Photo_4感が増した。激震は一挙に来て、有無を言わさず被害をもたらす、と考えているからだ。何秒か、何分か。幸いにして、揺れの割には<積んどく本>もそのままで、部屋の中で倒れたり、落ち たりするものはなかった。

 私はラジカセで普段NHKテレビを聞いている。番組 通りの放送がPhoto_6流れていた。多分、テレビは地震情報のテロップを流していると思い、1階の居間へ行こうと立ち上がった時に、番組は地震情報に切り替わった。聞けば、震源地は「神奈川県西部」というではないか。テレビはNHKにし、ラジカセは「FMおだわら」に周波数を合わせた。近くの小田原消防署川東(せんとう)分署に設置されている「小田原防災無線」が、地震の発生と余震への注意を呼びかけていた。間もなく救急車が出動して行った。居間のテレビをつける前に母の部屋へ行った。ベッドでいつものように眠っていた。この地域の地盤は緩い。大型車Photo_7両の通行で振動する所である。熟睡していれば、よほどのことがない限り気が付かない場合もある。

 自室に戻りパソコンで気象庁などの地震情報をみた。「01日02時21分頃地震がありました。震源地は神奈川県西部(北緯35.2°東経139.1°)で震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は4.9と推定されます」。気象庁地震火山部が午前2時38分に発表した内容で、各地の震度が記載されていた。神奈川は、震度「5強」が箱根町湯本、「5弱」が小田原市荻窪、「4」が真鶴町真鶴、「3」が小田原市久野、二宮町中里、松田町松田惣領---ほかで、わが家のある国府津はこの周辺にある。「FMおだわら」は、小田原市が午前2時55分に「防災対策本部」を設置したことを伝え、「箱根新道」の通行止めを、震度情報とともに繰り返し放送していた。

 今回の地震で気になるのが震源地。神奈川県西部では7月24日午前11時38分頃に震度3の地震を記録している。震源地は北緯35.3°東経139.1°、震源の深さは約10km、地震の規模は4.4と推定され、今回の地震状況とよく似ている。詳細は今後の調査分析に待たなければならないが、ちょっと不気味な兆しである。午前8時過ぎに、東京から安否を気遣う電話をもらった。気象庁は10月1日から「震度5弱以上」が予測される場合に震度4が予想される地域の「緊急地震速報」を流すことにしている。今回はその矢先の地震である。のんびり屋の私にも、少しは緊張感が漂ってきた---。

2007年9月30日 (日)

バス道と橋 国府津

Photo_12  JR国府津駅前広場(小田原市国府津)の整備に伴う「バス進入路」が、いよいよ国道一号線とつながる。国道沿いの石垣はほとんど開削された。一方、国府津の森戸川の「富士見橋」拡張工事は、旧橋が総て撤去されて川幅も広がった。国道一号線の電線地中化工事などを含めて、国府津の町には昼夜にわたって建設の槌音が響いており、今、工事Photo_13 の真っ只中にある。完成工期は来年度と一応明示されているが、これまで、どれも延び延びになっており、やっと半分を過ぎたところか。住民にとって、騒音、振動を我慢しなければならない日々は当分続き そうだ。

 通称「唐沢」(からさわ)と呼ばれる国道一号線沿いの用壁(石垣)は、Photo_14「思った以上にPhoto_9強固に造られて」(発注元の小田原市)おり、取り壊しの時間が予想以上にかかっている。予定なら9月中には<貫通>しているが、台風などの影響もあって、国道とつながるのは10月初めになりそうだ。石垣の厚さは30㎝で、当初はPhoto_15一日(夜間工事)で 終わる仕事とみられていた。石とコンクリートをしっかりとPhoto_10固めてあった 。工事関係者にとっては厄介なことだが、その頑丈な仕事ぶりに感心した。手抜き工事がよく言われる昨今にあって、国道建設に携わった昔の建設業者の誇りが伺えるようだ。この感想は私ばかりではなく、取り壊し工事をのぞいた人は、皆、私と同じ感想だった。

 「富士見橋」。古い橋は完全に撤去された。川底に溜まっていた泥も取り除かれ、堤防も徐々に整えられて来ている。周辺には歩行者Photo_11等の安全のための防護網が張られており、歩行者や自転車は仮橋を通行しなければならない。そんな防護網の隙間や仮橋から見て、川幅がかなり広くなったことがわかる。今は。新しい橋を架けるための鉄材やコンクリート材が次々と搬入されている。工事中、台風や大雨による増水被害が心配されたが、幸い工事の影響は無かった。このまま、無事故で、増水被害がないままで工事が進んでほしい。

2007年9月22日 (土)

駅前道路が国道へ 国府津

Photo  厚さ30㎝の石垣を取り壊せば国道一号線と結ばれる。JR東海道線「国府津」駅前広場の整備に伴うバス進入路の掘削は着々と進んでおり、9月27日から国道と結ぶための石垣開削作業に入る。石垣は高さ約7mで国道わきの歩道沿いに設けられている。今回開削されるのはこの内の長さ約10m。「平成19年度国府 津駅前広場東側道路新設工事」で、工事発注者の小田原市と施工業者はこのほど近隣住民らに工事日程を通知した。期間は27日~10月18日までの予定で作業時間は午後9時~午Photo_3前5時。交通を配慮して総て夜間作業となっており、工事中、国道一号線は片側交互通行となる。駅周辺は電話線の埋設、電線移動など工事ラッシュが続いており、石垣の取り壊しが始まると混雑に拍車がかかり、歩行者への一層の安全配慮が求められる。

 新設道路はバス専用線で国道から進入する一方通行となる。Photo_4駅前広場東端から、マンションと喫茶食堂・民家の間を南に向かって掘り下げて行った。道幅は大型バスが通るのがやっと。掘削は用壁の整備と並行して進められているが、国道へ通じるために残っている掘削箇所は石垣だけとなった。石垣の厚さは30㎝、今の技術をすれば簡単に取り壊せる。ただ、眼下に歩道があり、国道が走っている。交通量の少ない夜間の工事とはいえ、細心の注意Photo_5が必要だ。また、開削から供用までかなりの時間があるため、国道からの<進入者(車)>が無いようにするため、それまでの管理を怠るわけには行かないだろう。

 夜間工事は当初、8月20日頃からの着工予定だった。周辺の電気・電話その他の工事の影響や台風などで、工事日程はかなり遅れている。今後は、現在のタクシープールを西側の旧自転車置き場に移しPhoto_6、駅前広場の本格整備に入る。これまでの工事告知は国府津駅周辺住民・商店等だけですんだ。これからは国府津駅から離れた地域からバスやマイカー、また、自転車による通勤、通学客に大きく影響するため、工事内容と日程の告知範囲を広げ、現場では、交通誘導員による指示とともに安全誘導路の看板設置も必要だ。

2007年9月11日 (火)

砂に埋まったプール 国府津

Photo_5  なるほど、これは酷い。話に聞いた通りプールは砂で埋まっていた。相模湾に面した国府津海岸にある小田原市のプール。6日~7日にかけて小田原を直撃した台風9号による被害だ。プールばかりではない。波は西湘バイパスを襲い、防波堤を乗り越えて海岸通りのフェンスを壊し、周辺駐車場のシャッターを吹き飛ばした。海岸通りに積もった砂と側溝を埋めた砂は、役所によって緊急に除去されたが民地の砂はそのまま。また、雨なPhoto_6どが降れば側溝に流れ込む恐れがあり、バケツ片手に砂の除去に汗を流す住民の姿が目立つ。復旧の見通しがつかないバイパスの通行止めなど、台風の影響は大きく、かなり後を引きそうだ。

 こんな状態であるから、プールのことなどは後回しになって20070906115240いる。やむを得ないことだ。プール(25m)は西湘バイパス高架下の海岸にあり、海水を利用している。砂浜か らの高さは3m。波はこれを超えてきた。相模湾を眼下にのぞむマンションに住む友人は自室から波を携帯電話で撮った(写真は6日午前11時55分頃撮影)。この時はまだ窓を開けていられたが、夜から翌朝までは窓を開けるどころではなかったという。波はバイパスを越えて行った。プールなどはひとたまりもないわけだ。役所とPhoto_9しては、まだまだ先に復旧を急ぐところが多く、プールは当分、手付かずの状態だ。浜辺を散策する人や釣り人は、プールの状況を見て、改めて台風の恐ろしさを実感している。私もその一人である。

 西湘バイパPhoto_7スで被害を受けたのは、二宮インターチェンジ(IC)付近の下り線。ICの東側で1km、西側で110mにわたって擁壁が倒壊・損傷し、道路が崩壊し、上りで「大磯西-橘IC」間の5km、下りが「大磯西-国府津IC」間の7.8km区間が交通止めになっている。この影響で併走する国道一号線は最大7kmにわたってPhoto_8渋滞するなど大混雑している。このため、バイパスを管理する国土交通省横浜国道事務所と中日本高速道路は、「小田原厚木道路」(小田原-厚木市:約32km)をバイパスや国道一号線利用者の迂回(うかい)路として利用してもらうために、通行料(二区間計700円)を10日午後2時から全線無料とした。この無料化はバイパスが復旧するまで継続することにしている。

 「こんな台風は初めて」と長老は話していた。酒匂川の堰止めや相模湾への突堤建設で、国府津の海岸に砂が貯まらず、波に浸蝕されるばかりで、海岸は年々やせ細っている。極端に言えば、海岸道路前で波打っている状態だ。宅地開発にともなうがけ崩れもあった。突風によるみかんの木々や樹木の倒壊も多かった。自然の猛威に逆らう事は難しい。だが、今回の台風被害は、必ずしも総てが自然災害とばかり言いきれないところがある。

2007年9月 7日 (金)

「FMおだわら」と災害情報

Photo  「小田原市役所からのお知らせです。水防警報が出ています。森戸川、早川、狩川、山王川の河川が増水しています」「西湘地区に大雨・暴風・洪水・波浪警報、足柄上地区に大雨・暴風・洪水警報が発令されています」---。「FMおだわら」は6日夜から7日朝にかけて、台風9号情報を放送し、停電対策、避難体制への準備など、終日、市民への注意を呼びかけていた。その後は、市 内小中学校の登校変更時間を繰り返し流していた。私がラジオを「ON」したのは、台風9号が小田原付近に上陸し、台風の目に入っPhoto_2た7日午前2時過ぎだった。「FMおだわら」の緊急災害放送の様子を知りたかったからだ。

 「FMおだわら」は、地域密着型のコミュニティ放送局として今年3月に開局した。小田原で初めてのFMラジオ局で、周波数/送信出力は78.7MHz/10W、小田原市役所内に局を置いて放送している。「災害時、緊災害放送に切り替わる」ことになっているが、この状況が具体的にわからなかった。と言うのは、私の家では放送が聞きにくいのだ。私の家ばかりではない。電波が届きにくく、聴取者が少ないのが現状だ。そこで、小田原市の広報広聴課に「FMおだわらにおける災害時の特別放送の状況について」調べてもらった。小田原市が「FM小田原株式会社」の出資者の一人であり、番組編成に多少なりとも関わっているからだ。回答は以下の通りだった。Photo_3

 ①平成19年7月4日午後8時~5日午前10時。大雨・洪水警報発令に伴い、市内降水量情報、道路状況、河川増水状況、冠水・増水・土砂災害に対する注意喚起②7月14日午後4時~15日午後1時。台風7号接近・上陸による大雨・洪水警報に伴うもので、内容は7月4日と同じ③7月15日午前7時~午後1時。山王川氾濫警戒水位による避難準備情報発令に伴うもの④8月17日午前1時~7時。南米西部地震による太平洋沿岸への津波注意報発令に伴う注意喚起---この他にも、行方不明者(徘徊)など防災無線を通じて広報した内容を随時放送している(9月4日現在)。

 私は、9月7日の放送を聞いて、その状況がある程度わかった。中身についてはもの足りないが、局が発足してまだ間もなく、経験不足やスタッフなどの問題でやむをえないと思った。私がこの緊急災害放送にこだわる理由は、一言でいえば、タクシーやマイカードライバーに、車内ラジオを「FMおだわら」の周波数に合わせてもらいたい、「FMおだわら」を聞いてほしいからだ。交通情報、鉄道運行状況等は時々流しているようだが、加えて「交通事故」「火災情報」「不審者情報」「気象」---等々、「FMおだわら」を聞いていれば、リアルタイムで小田原市内と周辺地域の様子がわかるようにしてほしいものだ。

 「FMおだわら」は、家庭では聞こえなくても、移動中の車内では聴取できるようだ。せっかくの小田原のコミュニティ放送である。放送内容に工夫を求めるとともに、私達はもっと「78.7MHz」に周波数を合わせ、気が付いた事は提言するようにして、「FMおだわら」を育てようではないか。(写真は上=番組表の案内、中=台風9号の小田原上陸を伝えるNHKテレビ、下=増水で落下した酒匂川に架かる十文字橋:神奈川新聞から)

2007年9月 3日 (月)

51年目の優勝 国府津

Photo  サングラス姿の高橋正則氏は、ちょっと照れながら400mのトラックを一周した。小田原市国府津体育振興会会長。高橋氏の後ろには優勝旗と優勝カップを掲げた2人の体育振興会理事。その後に、黒のコスチュームに身を包んだ国府津中学校吹奏楽部のメンバー約20人が高らかにマーチを奏でながら続き、しんがりはプ ラカードを掲Photo_2げた18人の中学生。行進は、「第59回小田原市民総合体育大会」で国府津地区が優勝した報告である。プラカードは18の競技種目を紹介したものだ。国府津地区が市民総合体育大会に参加してから51年目にしてつかんだ初優勝である。

 9月2日。「平成19年度国府津健民祭」が国府津小学校校庭で行われた。国府津体育振Photo_4興会と国府津地区連合自治会(伊澤二三雄会長)の共催で、今年で31回目を数える。パレードは昼食の合間に行われた。高橋氏が国府津体育振興会の何代目かの会長かは聞きもらしたが、選手をそろえて市の大会に送り込むことは並大抵ではない。リーダーとして日々の活動に家庭の協力は欠かせない。関係者はその苦労を知っているだけに、「初優勝」は感慨ひとしおで、 パレードを見ながら涙ぐむ人もいた。そう言えば、私の小中学校時代の同級生は「クレー射撃」競技にかり出されていた。60歳を過ぎて「今は練習をしていないから---」と言いつつ国府津チームのために参加していた。その彼も2年前に亡くなった。優勝まで半世紀。道程は遠く険しかった。

 この優勝報告に花を添えた「国中吹奏楽部」の演奏も見事だった。こちらは吹奏楽部の地区大会で「銅賞」に輝いたそうだ。フォーメーションもバラエティに「虹の彼方へ」ほか映画音楽など5曲を披露。トラックに沿って楕円形に張られた各地区の自治会テントにPhoto_3陣取った観衆・聴衆から盛んな拍手を浴びていた。アンコールに応えて「川の流れのように」を演奏した。健民祭での吹奏楽部の演奏は恒例の行事になっているが、私がじっくりと耳を傾けたのは初めてだった。優勝報告パレードも手伝って、今年は印象に残る演奏になったのではなかろPhoto_5うか。

 健民祭には国府津の自治会1区~19区(17区欠番)まで全自治会が参加する。幼児の「ヨーイドン」、小学低学年の「玉入れ」から老人クラブの「ゲートボールリレー」まで年齢も種目も幅広い。自治会対抗と、町内を6地区に分けた地区対抗もある。私は都合で競技を見ないで帰宅した。国府津小学校と自宅は目と鼻の先。競技の進行を放送する小学生の声が自宅に居ても聞こえてくる。私の同級生が出場した「ムカデリレー」は今年も一番だった。連戦連勝である。自治会別では「16区」が、地区別では「西湘地区」がそれぞれ優勝した。健民祭優勝カップを高橋氏が授与したことは言うまでもない。

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