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Mukha

フォト

2008年1月 5日 (土)

「尾乗り子獅子」

Photo 日本参道狛犬研究会(三遊亭円丈会長、略称=狛研)の例会に、昨年、しばしば欠席した。年末の納会にも顔を出せなかった。会場が東京ということもあるが、狛研だけではなく、他の集まりにも義理を欠いた昨年後半の半年間だった。しかし、狛研の例会ごとに発行している会報「狛犬の杜」には、エッセイ「あ∞うん」を休まずに掲載している。以下は、第63号(2007年12月19日発行)に掲載された、題して「尾乗り子獅子」の再掲である。

      

Photo_2

阿像も吽像も共に子獅子を抱えている。阿像には左前足の上に一頭、さらに尾の上に一頭いる。尾乗りの子獅子を見るのは、私は初めてである。「大久保神社」(小田原市城山三丁目)。小田原城から二百メートルほど西へ行った樹叢の中にある。奉納は「明治廿九年三月三日」、「魚共同」と台座に刻字されている。石工の名前は見当たらない。<尾乗り子獅子>は顔が欠けていた。一目見た時、痛々しさと同時に、怒りを覚えた。いたずらによるものだ。

この狛犬に会えたのは、大久保神社を訪れること三回目。間口二メートル足らずの入り口に鉄格子がある。神社は無人で、普段は錠がかかっているからだ。鉄格子のすき間から吽像の姿が見えるだけで、外からは狛犬の全体像がわからない。「おだわらシルバー大学」の研修で今秋初めて中に入った。大久保神社は小田原初代藩主・大久保忠世と十一代藩主・大久保忠真を祀ったこじんまりした神社。数年前までは開放されていたが、神社等へのいたずらが絶えないために入り口を閉めたという。顔を削られた子獅子がそれを証明している。

神社にいたのはわずか十分間。再訪して詳しく調べたい。子獅子には兄弟がいる。なんとか顔を復元できないものか、と思っている----

2007年10月 3日 (水)

石工の目 「野村保泉」

P1010054  綱川誠志郎氏から「狛犬便り」が届いた。今度は信州の穂高神社の狛犬である。綱川氏は愛知県岡崎市に工房を持つ石工。日本参道狛犬研究会(略称=狛研・三遊亭円丈会長)のメンバーで、狛研が東京・品川神社に奉納した「クモ狛犬」の作者でもある。このブログに綱川氏からのニュースを時折掲載しているが、狛犬を見る視点が私みたいな者とはさすがに違う。注目は「野村保泉」の名P1010052_2前である。P1010056
 「先日、信州の旅の途中で興味のある狛 犬を見つけたので紹介 します。穂高神社の狛犬なんですが一見そんなに感動するような狛犬ではないのですが台座を見て驚きました!!---- 皇紀二千六百年(昭和15年)野村保泉の文字があるのです。狛犬を良く見ると大きさは四尺を超える大きなもので原型を元にして 作られたみたいです」P1010055_2
 「石の種類は神田明神の狛犬の石に良く似ています。やはり東京で作ったものを信州まで運んだのではないでしょうか?近くにJRの駅がありました。狛犬の胴の彫り方なんて神田明神の狛犬に良く似た彫り方をしています。神田明神の狛犬は何年の製作か覚えていませんが、とても共通点が有る様に思われました。あの時代に信州の神社の狛犬を作っていたなんて野村保泉恐るべしです」。

2007年9月16日 (日)

駒ヶ岳山頂の狛犬 箱根

 狛犬のそこだけが霞んで見えた。14日に狛犬探訪に出かけた。目指Photo_8すは箱根駒ヶ岳山頂にある箱根元宮。山頂は霧に包まれて数m先も見えない。案内標識と補修した道を頼りに10 分余り歩いてたどり着いた。狛犬は、元宮近くの石祠前に置かれていた。大きさは50cm足らず。コケと笹に覆われ、刻字があるかどうかもわからない。祠の中には「駒形大神」と彫られた石の額が入ってPhoto_4 いた。元宮には二組の先客がいたが、所在無さそうに弁当を広げお茶を飲んでいた。駒ヶ岳は海抜1357m。天気が良ければ富士山はもとより神山(1438m)など箱根連山と芦ノ湖が眺望出来る。この日は何も見えない。しかし、私にとっては、霧の中の狛犬が幻想的に見えた。周辺は昔の祭祀跡で奇岩がごろごろしPhoto_5ている。修験道の霊場に迷い込んだ感じで、異様な雰囲気の中での狛犬探訪となった。

 箱根元宮の例祭は10月24日。箱根神社(濱田進宮司)の神官による御神火祭(きり火神事)が行われる。箱根神社は今年、御鎮座1250年。その記念誌に駒ヶ岳山頂の狛犬が写っていた。幸い、芦ノ湖畔近くからロープウエイ(1800m、 7分間)が運行されている。とにかく、狛犬を確認し、見てみたPhoto_6かった。狛犬は江戸タイプで、狛犬そのものは驚き、感心するような<作品>ではない。そのことは写真を見た段階で予測できた。意義は狛犬が奉納され鎮座する場所にある。駒ヶ岳の名前は山容が「駒」の形に似ているところから付けられ、また「高麗」に通じると言われているが、濱田宮司はこう言っている。「修験者や参詣者が霊山箱根の山に参籠して、山神を跪拝Photo_7(きはい)した籠(こも)もり山(岳)から出た山名であり、信仰であると考えます」(御鎮座1250年大祭記念「箱根神社」誌)。霧の中の古代祭祀跡に身を置くと、宮司の言葉に説得力を感じる。

 箱根は観光客でそれなりににぎわっていた。ゴンドラは家族連れなどで混んでいた。山頂は霞んでいたが、途中のロープウエイから見る景色は明るく輝いていた。富士山も雲の間に間に頭をのぞかせていた。箱根元宮の御神火祭が終わると、箱根は紅葉へと色付くそうだ。青いトリカブトの花も見頃というが、狛犬は笹の葉に覆われて、振り向く人はいそうもない。「天の岩戸開き」にならい、世開きを祈念して、浄火を切り出す御神火祭。「駒形大神」の祠前の狛犬と一緒に見てみたい。

2007年8月 6日 (月)

原爆と広島の狛犬

 狛犬の杜---日本参道狛犬研究会(三遊亭円丈会長)が2か月に一回発行している会報である。私は、「あ∞うん」のタイトルで毎回コラムを連載している。その中で、思いで深く、印象に残る一番のコラムはどれかと問われれば、躊躇(ちゅうちょ)なく広島の被爆狛犬をあげる。以下は第30号(平成14年=2002年7月1日)に掲載された記事である。

 白神社(Photoしらかみしゃ=宗像紀道宮司)には3対の狛犬がいる。昭和に建立されたのが2対で玉に足を乗せている。もう1対は寛政5年(1793年)9月建立で台座に「願主寅年男子」「尾道市石本」とある。石は瀬戸内海湾型花崗岩といわれる。爆心地から490m。いずれも爆風で吹き飛んだが、寛政の狛犬は熱線で表面が剥離(はくり)している。「今でも放射能が残っています。もちろん人体には影響ありませんが---」と、宗像宮司は話している。

 4対の狛犬がいるのは爆心地から930mの廣瀬神社(渡部定彦宮司Photo_2)。安政6年(1859年)5月建立の玉乗り狛犬1対だけが倒壊し、後足が欠けている。「願主大杉屋卯三郎」「尾道住人石本屋和助作」と台座にある。「石本」とは尾道に代々伝わる石工であろうか。<安政狛犬>に対し、他の大正、昭和の狛犬は一見何事もなかったかのように鎮座しているが、昭和15年建立の大型阿像が台座上を南側に10㎝ほど回転・動いていた。渡部宮司の話でわかったが、東側からの爆風によるものだ。

 爆心地から300m、ほとんどが倒壊した中で、本覚寺(渡部康國住職)の鳥居は立っていた。広島平和記念資料館に掲示されている被爆間もない市内のパノラマ写真が証明している。その鳥居を入ったところに1対の狛犬がいる。吽像は右後足を玉に乗せた、円丈師匠いわく<Jリーグ狛犬>。昭和14年6月建立で石工は吉井康博。狛犬が倒壊したどうかは不明だが、寄進者一家が全滅と聞いてメモする手がにぶった。

 昭和20年8月6日の原爆投下で、爆心地から2㎞以内にあった広島の狛犬は、なんらかの形で被爆している。8月9日に被災した長崎の狛犬ともども、被爆狛犬にもっと目を向け、耳を傾けたい。

 後日談 本覚寺の鳥居のことを広島平和記念館に話したのは私である。寺には鳥居がないという先入観から、爆心地に近い神社と推定していた。境内に祀る祭神によって鳥居を構えている寺もあるのだ。記念館は素直に受け入れてくれた。この寺の若い坊さん(副住職)とは、埼玉県にある修養道場で一緒だった。彼のいる寺とは知らなかった。境内で偶然顔を合わせ、お互いにびっくりした。彼に被爆狛犬について話したことは言うまでもない。記事掲載から既に5年。「鳥居を見に来る方が増えました。原爆の語り部として鳥居と狛犬を大切にしています---」。修養道場でこう話す彼も今は結婚し、一児のパパである。

2007年8月 3日 (金)

神戸「生田神社」の狛犬

Photo  時は5月の結婚披露宴で、神戸市の「生田神社」→「ホテルオークラ神戸」、という名前だけで誰の結婚かピンときたら、かなりの芸能人通であるか、テレビ人間であろう。女優の藤原紀香が挙式(2月17日)をした神社であり、結婚披露宴(5月30日)を行ったホテルである。神社に若いカップルや女性の参拝者が目立つので気になっていたが、権宮司の六車(むぐるま)勝昭氏の話でわかった。披露宴の件はホテルへ向かうタクシーのドライバーから聞いた。偶然ではあるが、私がPhoto_2訪れた神社、また宿泊したホテルが彼女と縁があったということだ。8月2日の話である。

 生田神社(加藤隆久宮司)へは狛犬取材で訪れた。神戸市の繁華街・三の宮にほど近い神社とはいえ、若い女性の姿が目立つのは不思議だった。藤原紀香の結婚披Photo_3露宴は読売テレビ(日本テレビ系列)で全国中継された。以来、神社への挙式申し込みが増えたという。テレビの影響は大きいが、そんな若者が、時折、狛犬に携帯電話(カメラ付き)を向けていた。生田神社には3対の狛犬がいる。鳥居の前に石造(明治42年12月)、拝殿前に青銅(昭和34年1月)、末社の蛭子社前に陶製(昭和29年4月)の狛犬がそれぞれ鎮座している。若者が写真を撮っていたのはおもに青銅の狛犬である。青銅狛犬はPhoto_4戦災で焼失した神社の復興を記念して建立された。そして、あの「阪神淡路大震災」(平成7年=1995年1月17日)で神社拝殿が倒壊した。その時、青銅狛犬は、一部ではあるが拝殿の屋根を守った。「こま犬が屋根を受けとめた」と、新聞記事にもなった。氏子の間では「戦災復興記念の狛犬が、地震の時に拝殿の一部を守ってPhoto_5くれた」と崇敬されている。

 鳥居前と蛭子社前の狛犬は転げ落ちた。石造狛犬は元通り台座に移した。陶製狛犬は破損したため修復した。蛭子社前狛犬の台座には、「昭和29年4月」の奉納者名とともに、「再建 平成7年12月吉日」と再建者の名前が一緒に刻まれている。生田神社は、昭和13年の阪神大水害、昭和20年の神戸大空襲、平成7年の大震災と大きな天災人災に見舞われた。そのたびにたくましく復興し、甦(Photo_6よみがえ)り 再生してきた。平成17年1月17日に「震災復興奉告祭」を行った。陶製狛犬は震災一年足らずのうちに再建された。神社崇敬者の篤い気持と心意気が伝わってくる。「生田」は、「生(い)きた」、「生(う)まれた」とも読める。藤原紀香は兵庫県西宮市の出身で高校・大学は神戸である。35歳になった彼女が、そんな地縁とともに神戸の大氏神として敬われている生田神社で結婚式を挙げたことが、なんとなく頷(うなず)ける気がした。

2007年7月24日 (火)

石工の撮った狛犬

Photo_5  迫力ある狛犬だ。阿像は左後足を少し折り曲げて、つま先を足座からはみ出して台座を蹴っている。いまにも走りだすというか、襲いかかるようで、実に生々しい---。岐阜県高山市にある村上神社の狛犬である。友人の石工で、愛知県岡崎市に在住の綱川誠志郎氏が高山旅行の時に撮影したものだ。近況を伝える久しぶりのメールに添付されていた。その数8枚。さすがにプロ、目の付けどころが違う。

 「早いもので斎藤さんとお会いしてからもう、一年経ちました。いつもブログを拝見しているので斎藤さんの事は手に取るように分かっていますょ。先日、高山に旅行した時に中々個性的で良い出来の狛犬があったのでお知らせします。平湯温泉の近くにあった村上神社の狛犬です。大きさは高さ75cm、長さ90cm、奥行き45cm。石はシャクタニ石に似た柔らPhoto_7かさそうな石でした。形は今まで見た事もPhoto_8無いはじめてみる形で出来はとても良いです。こっちに来る用事があれば是非連絡してください。久しぶりにお会いしたいものです」(22日午後10時30分着信)

 綱川氏の自宅と工房は隣接しており、庭先に作品の石仏や動物などの石造が置かれている。「日本参道狛犬研究会」(略称=狛研)のメンバーで、狛研のメンバーが東京・品川神社に奉納した狛犬の作者でもある。昨年夏、綱川氏は私の住む神奈川県小田原市を訪れ、私と一緒に周辺の狛犬探訪をした。彼の観る目は先ず形、そして彫り方。プロらしくクールで客観的な見方をしており、めったに感情を表面にあらわさない。今回のように、わざわざ写真まで送ってくるほどだから、村上神社の狛犬にはよほど感動したのだろう。

 写真を見ながら、また、綱川氏と一緒に狛犬探訪がしたくなった。

2007年6月23日 (土)

石工は外国人?狛犬研究会

 「今月の一枚」、「円丈の狛犬講座」、「会員うんちくスピーチ」---。2Photo_1129か月に一回開かれる「日本参道狛犬研究会」(略称=狛研 三遊亭円丈会長)のプログラムである。会員が持ち寄った狛犬写真をそれぞれ出品者自らが解説し、最後に参加者の拍手で決めるのが「今月の一枚」。22日の例会には5人が出した。旅先で出会ったもの、再訪して改めて型を確認したものなど、一枚へのアプロPhoto_1133ーチは様々。その中に、外国人が彫ったという狛犬があった。「Carved by B-」。横須賀市の神社に明治45年に奉納された狛犬の 足座に刻字されていた。どこの国の人かも含めて詳細は不明だ。しかし、外国人Photo_1138の銘があるのは珍しく(狛研では初めて)、さらに調査を進めることにして、これが「今月の一枚」にPhoto_1130選ばれた。

 「円丈の狛犬 講座」は68回を数える。全国を回り、その資料は文字通り日本一。現場に足を運んPhoto_1126でいるだけに、話の一つ一つに臨場感がある。とは言っても毎回狛犬の話に限らないのが<博学師匠>たる所以で、時にはゲーム機の話まで飛び出してくる。この日は、「45年間吸っていたたばこを止めた」という禁煙宣言の後に、本業・落語のネタ披露。7月1日に横浜の寄席でやる怪談話の<おさらい>。師匠の二人の弟子が狛研の司会を務めている。師匠の熱演もさることながら、その噺(はなし)を神妙に 聴いている弟子の姿が、これも可笑しかっPhoto_1137た。他人はいざ知らず、私個人の感想を言えば、狛犬からの脱線も楽しい。

 「神使にな った猪(Photo_1132いのしし)」。「会員うんちくスピーチ」は<神使シリーズ>の福田博通氏の猪の話。今年の干支でもあるが、福田氏の調査・研究 も半端でない。ホームページ「狛犬の杜別館」に彼のコーナがある。ぜひ、そこをご覧頂きたい。例会は毎回、東京・池袋の豊島区立勤労福祉会館で午後7時から2時間開かれる。会員スピーチは普段二人を予定しているが、この日は、師匠の熱演で時間が足りず、Photo_1135一人は次回に持ち越された。

 閉会後は、会場近くの台湾料理店で一杯やる。ここではまた、例会とは違ってそれぞれが<狛犬談義>に花を咲かせている。私は池袋までJRを利用しているが、22日夕は架線事故で電車は超満員。十数年振りの体験で、汗だくで会場にたどり着いた。そんな<苦労?>も、狛研の仲間といると、一気に吹き飛ぶ。変な会だが、面白く楽しい会である。毎回会費は1500円。皆さん、一度、顔を出してみたらいかがですか---。 

2007年6月 7日 (木)

樹下の狛犬

Photo_1083  なんとも優雅たたずまいである。天蓋というか和傘を差しかけられる住職、いや、仏画に描かれた菩提樹の下のお釈迦様か。静岡県小山町にある熊野神社の狛犬。石段を上って見渡す境内から飛び込んでくる阿像の姿は、そんな雰囲気を漂わせていた。

 久しぶりの狛犬探訪だ。熊野神社は友人の情報による。JR御殿場線「駿河小山駅」から歩いて20分余。中学校校庭の隣にある。狛犬の大きさは約50cm。阿像は一頭の子獅子を抱え、吽像は玉を抱えている。耳が垂れ、巻き毛が 特徴の、狛犬仲間で呼ぶところの「江戸タイプ」。台座に「明治四十二年十二月 小Photo_1084田原 石工 青木濱太郎」とある。小田原は私が住んでいるところ。小田原市板橋に青木石材店がある。江戸時代からの石材商で、石工はここの関係者か。石工の名前は読み取れたが、奉納者の名前は刻字がかすれてはっきりしない。小山町観光協会にあった資料によると、「富士紡績小山工場倉方一同」、「明治四十三年八月 日韓併合記念」とあった。狛犬の制作年月日と奉納の時期が8か月もずれている。詳しく見たわPhoto_1085けではないが、奉納の趣旨が台座に刻まれているかかどうかもわからない。

 これまでの狛犬探訪の体験から言えば、台座の刻字が「奉納の日」とみられ、神Photo_1087 社に記録があれば、その刻字と同じ日になっている。詳細は改めて調べるしかないが、「日韓併合記念」というの も、私にとっては初めてだ。その建立の動機は別にして、私が今回魅(ひ)かれたのは、遠目Photo_1086からの阿像のたたずまい。和傘のような覆いは柘植(つげ)の木。吽像に覆いはなく、ちょっとバランスを欠くが、阿像を見飽きることはなかった。

 天気の良い日、私は時々、JR「国府津駅」から御殿場線に乗って、車窓から富士山の眺めを楽しんでいる。狛犬探訪は「沼津駅」に向かう途上で行っている。小山町だけで狛犬が鎮座する神社が12社もあると聞いた。御殿場線沿線の町々で、数多くの狛犬が見られるのではないかと思う。途中下車が楽しみである。

2007年6月 4日 (月)

ロープウエー かまぼこの里

  Photo_1078 新緑から深緑へ。土・日ともなれば景勝地への人出が目立つ。箱根も例外ではない。架け替え工事(大涌谷駅-桃源台駅)のために一部運休していたロープウエイーが6月1日から、早雲山駅-桃源台駅間の全区間が開通、新ロープウエーとしての運行を開始した。箱根登山鉄道の「あじさい電車」も16日~7月15日まで箱根湯本駅-強羅駅間を走る。また、箱根Photo_1073の麓・小田原市風祭にあり、改装中だった鈴廣の「かまぼこの里」が15日に新装オープンする。箱根めぐりの定期観光バスは、これら施設の完成にともないルート変更をした。これまでとは少し変わった箱根が楽しめそうだ。

 箱根を初めて訪れる友人達を、私は以下のコースで案内しPhoto_1077ている。JR新幹線「小田原駅」(東海道線、小田急線も)からまず「箱根湯本駅」に向かう。そこから、箱根登山鉄道で→「強羅駅」へ。次はケーブルカーで「強羅駅」→「早雲山駅」。ここでロープウエーに乗り換え、「早雲山駅」→「桃源台駅」へ。ロープウエーは「大涌谷駅」で途中下車して大涌谷を見学。桃源台駅に着いたら、芦ノ湖畔の「桃源台港」→「箱根町港」へと<海賊船>で芦ノ湖を渡る。「箱根町港」からはバスで十国峠経由でJR熱海駅に向かう。乗物も様々で特に子供連れや外国人に喜ばれている。日帰りも良し、一泊も良しで、当然、私も四季折々の箱根を満喫している。 Photo_1076

 「かまぼこの里」のオープンは鈴廣のメールマガジンで知らせてきた。「買う」「食べる」に加えて、「遊ぶ」など<食の体験型スポット>を目指している。ここは、正月の風物詩「東京-箱根間大学駅伝競走」、いわゆる箱根駅伝の中継地となっている。改装中は駅伝コースが変更されたが、来年の正月から元のコースに戻るのだろうか。<天下の険>---箱根は見所満載である。

2007年4月27日 (金)

第67回狛犬研究会

Photo_938  「お久しぶりです」。隔月に開かれる例会を一回休むと、そんな挨拶が実感として迫る。参加者の顔ぶれも多少変わっている。日本参道狛犬研究会(略称=狛研 三遊亭円丈会長)の第67回例会が26日午後7時から東京・豊島区立勤労福祉会館で開かれた。JR東海道線の遅延もあって 20分遅刻した。会場では円丈師匠が<一席>ぶっている最中だった。定番の「円丈の狛犬講座」が、この日は新作落語の披露に代わっていたのだ。「おでんの鍋」のちくわなど、<具(ぐ)の会話>からの世相風刺の噺(はなし)で、演題は「ぐつぐつ」。近く開かれる高座の練習を兼ねたもの。狛研会員の感想を聞くのがねらいで、時々、落語が披露される。感想を聞かれたある会員いわく。「---で、オチはどうなっているんですか?」。これには皆が爆笑し、師匠は苦笑いPhoto_939していた。落語の批評は脱線する。ここはやはり狛犬の会である。

 興味深いのが「会員のうんちくスピーチ」。今回は「千葉県八千代市の狛犬」について、平塚胖氏が緻密な資料とともに紹介。恒例の「山ちゃん」こと「山田敏春氏の狛犬ばなし」は、石工の親方「亀岡久兵衛」についてであった。久兵衛の名前は江戸から明治にかけてしばしば登場するが、どこのPhoto_940出身で、どこへ行ったかも不明という。ミステリアスな久兵衛の代々である 。山田氏はよく歩いており、いつも「オヤッ」という話題を提供してくれる。

 例会終了後は会場近くの中華料理店で円丈師匠を交えて一杯やり、例会では話しきれない情報の交換をする。「神使」研究の第一人者ともいえる福田博通氏が、「ネタが切れそうだ」と話していた。とにかく全国をまわり、その調査も半端ではない。狛研ホームページ分家「狛犬の杜別館」の「神使の館」に詳しく紹介されている。福田氏の話に驚いたが、「イヤ、まだまだあるハズではないでしょうか」と、無責任を承知で、私は福田氏に言った。そうあって欲しいという、私の願望でもあるPhoto_941

 「第4回参道狛犬展」が5月1日~6日までJR浦和駅(さいたま市浦和区)近くの「さいたまふるさと館」(℡048-834-1611)で開催される。最終日の6日には円丈師匠による「円生(円丈師の師匠)と狛犬ばなしを聞く会」(入場料2000円)が市民文化センター(℡048-822-2548)の5Fホールで開かれる。