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Mukha

フォト

2008年1月15日 (火)

「ヒマラヤザクラ」

Photo_2  日本のサクラのルーツと言われる「ヒマラヤザクラ」。11月~12月にかけて咲く。写真は昨年12月25日に撮影したものだ。場所は熱海市の静岡県立熱海高校近くにある。樹齢は40年。満開だった。私にとって3回目の「観桜」。おだわらシルバー大学の仲間3人と訪れた。この写真は、2月2日(土)の「おだわらシルバー大学文化祭」の個人作品の部に出展する予定であるPhoto_3

 サクラは、ネパールのビレンドラ元国王から送られた種子 から育てた。昭和43年5月のこと。ビレンドラ元国王(故人)は皇太子時代に東京大学に留学、昭和42年に伊東市を訪問した。この時に「熱海植物友の会」が熱海のサクラとウメの種子を献上した。ヒマラヤザクラの種子はその返礼で、熱海市下多賀の市営農場で播種、育成された。案内板にPhoto_4は以上のことが書かれている。熱海市には現在、4か所にヒマラヤザクラが植えられているが、熱海高校近くのサクラ以外のサクラは、この<ビレンドラ・サクラ>から移植または接木で育成されたものだ。Photo_5

 ヒマラヤザクラが日本のサクラのルーツということについては、サクラ博士の染郷正孝・東京農大短期大学部元教授の著書「桜の来た道」(東京農大農業資料室・信山社)に詳しい。日本のサクラは、一言でいえば、冬眠して春に咲くということ。サクラの種類は何百種とあり、今は日本でも冬に咲くサクラが多々ある。平成18年(2006年)は日本・ネパール国交樹立50周年。記念式典で染郷氏はサクラについて講演し、熱海市で新たに記念の植樹も行なった。

 私達Photo_6が観桜中、東京から来た夫婦に出会った。聞けば、テレビで紹介されたヒマラヤザクラをぜひ見たいと、新幹線「熱海駅」からタクシーで来たという。曇り空ではあったが、満開のサクラとススキのコントラストが微妙に調和しており、夫妻は感激の面持ちで鑑賞していた。「おだわらシルバー大学文化祭」の個人作品について、私は一年生の時、1年間の学習記録写真を出した。二年生の時は白内障手術と重なり出展どころか文化祭そのものも見れなかった。三年生つまり<卒業>の今年度は文化祭の実行委員長になり、仲間の勧めもあって、このヒマラヤザクラの写真を展示することにした。

2007年9月29日 (土)

2人の大使の歓送会

Photo_2  本人の口から決意を聞くと、やはり心が弾む。「来年5月に再びエベレスト山頂を目指します---」。三浦雄一郎氏。プロスキーヤーで登山家。2003年5月22日に、世界最高齢の70歳7か月で初Photo_5登頂に成功し、ギネスブックに掲載されている。三浦氏は2008年には75歳を迎える。北京オリンピックの年であり、中国は5月に聖火リレーの「エベレスト越え」を計画しており、世界最高峰(8848m)は何かと話題を呼びそうだ。私は有名人と一緒の写真をあまり撮らないが、三浦氏にお願いして二人一緒の写真を撮ってもらった---。Photo_3

 9月28日午後6時30分から東京・六番町の主婦会館プラザエフで2人の大使の歓送会が行われた。大使は、前ネパール大使からウズベキスタン兼タジキスタン大使に就任した平岡邁(ひらおか・すすむ)氏(60歳)と、通関情報処理センター監事から新ネパール大使になる水野達夫(みずの・たつお)氏(59歳)。いずPhoto_4れも8月7日付けで発令されている 。主催は(社)日本ネパール協会。三浦氏はゲストとして招かれた。三浦氏は少なくても年に2~3回はヒマラヤを訪れており、「歴代の駐ネパール大使にご馳走になっている」そうだ。世界最高峰は3つの名前を持つ。「エベレスト」(イギリス人・エベレスト卿の名前にちなむ)、「チョモランマ」(中国名)、そして、「サガルマタ」(ネパール名)。エベレストはネパール領というかネパールに関係する8000m級のヒマラヤ8座の一つになっている。三Photo_6浦氏とネパールは縁が深いのである。

 ところで、大使歓送会の話。平岡氏は2004年9月から駐ネパール大使になり、昨年の「日本・ネパール国交樹立50周年」の様々な記念行事を開催した。その最中の8月に国名が「ネパール王国」から「ネパール」に変更されるという歴史的転換期に立ち会った。ネパールの、いわゆる「ピースプロセス」の動きを感慨深げに語っていた。水野氏は夫妻で顔を見せた。ネパールでは11月に国連の協力のもとに制憲議会選挙が予定されている。王制の問題を含めてネパーPhoto_7ルの国の在り方が大きく変貌することも予測されており、「少しでもネパールの国に貢献したい」と話していた。

 この日の参加者は約120人。日ネ協会関係者Photo_8、在日ネパール人をはじめ、平岡氏が赴任するウズベキスタンとタジキスタンでの仕事に携わっている関係者も多かった。両国は豊富な石油・天然ガスや鉱物資源の埋蔵国であり、先進国のエネルギー争奪戦とテロ対策の最前線でもある。両大使は参加者との名刺交換に丁寧に応じていた。司会者が、「大使に食事をとる時間を---」と声をかけていたが、「列」はあとを絶たず、二人はほとんど食事を口にすることができなかった。名詞交換を終えて三浦氏とテーブルを共にした時は、さすがにほっとした表情で談笑していた。2人の大使の活躍を期待するとともに、三浦氏の75歳エベレスト登頂を祈念する。

2007年4月 4日 (水)

ネパールからのメール

 ネパール在住の女性の画家から半年ぶりにメールが届いた。私がご無沙汰していたことにもよるが、彼女は時々、スイスをはじめとするヨーロッパ、アフリカ、場合によってはアメリカへ出かけて、カトマンズを留守にすることが多い。ネパールは今、政治の<激動期>にある。6月に「王室」の行方を左Photo_803右する制憲選挙が実施される。その「国連停戦監視要員」としてわが国から自衛隊員らがネパールへ派遣されている(写真=時事)。日本国内の新聞、テレビも、これまでにないネパール報道が続いている。マスコミ報道と、現地滞在者との間ではネパールに感じる<温度差>が多少異なる。そんな彼女の、今のネパールに対する皮膚感覚を、彼女の行動範囲の中から伝えたい。

 「こちらこそご無沙汰いたしました。2月の17日頃スイスから帰る予定が、留守番の人に突然ヴェトナムでの仕事が入ったので、9日に帰ってきました。ネパールを離れた後、日本人のヴィザが3月末まで無料になったので、3回目の無料ヴィザをいただきました」
 
 「2月は、チベットのお正月で何かと忙しく、3月からロシア語レッスンを再び始めて、調子ののってきた所、姉のグループ8人が来て、9日間観光やトレッキングに案内しました。運動していなくてもカトマンドゥに住むだけで、筋肉が鍛えられるのか、筋肉痛もなく、登ったり降りたりできました」
 
 「30日の帰りは、バスの死亡事故に抗議した住民の道路封鎖で12時間バスに乗りました。前回突然飛行機がキャンセルになってバスもなく道路も崩れて、泥の中でバンを持ち上げ、夜中にカトマンドゥ到着だったので、今回帰りは、バスにしたのですが---。ガイドさんは、住民が抗議できるようになっただけでもいい事だと。昼食の場所にたどり着いたのは、4時半で、6時間半遅れてカトマンドゥに到着しました。トイレ休憩で、みんなでラジオ体操したり結構楽しく、思ったより早くホテルに着きました」
 
 「3日間は、洗濯と大掃除。今日やっとロシア語の復習。明日から再び先生が見えます。本の表紙絵を2つ頼まれているので、描き始めましたが、暑さで集中力が足りません。週末に延期。ポカラの標高が低いので暑いのかと思っていましたが、カトマンドゥも真夏の暑さです。ポカラへ行く前は寒かったので、急いで夏服、扇風機を出し、家具を夏用の配置にしました。観光客、トレッキングの外国人が驚くほどたくさん来ています」
 
 「時々ストやデモはありますが、厳しかった国内線のチェックもほとんどなく、表面的には平和です。トレッキング中、マオイストにも出合いませんでした。2年半前に行ったときは、多くのロッヂが閉鎖されていましたが、今回は、何処も大盛況でした。ポカラがあんなに賑わっているのを見たのは、97年以来です」
 
 「暫くは、勉強に専念します。やっと簡単な旅行記や作文が書けるようになりました。ネパール語で2年間お世話になった、教え方の上手な先生です。3月は寒く、ちょうど良い気持ちのいい時期をなくして暑くなってしまったのが、残念です。2月14日には、62年ぶりの雪にも驚きました。明日真冬の寒さになっても、不思議ではありません」
 「4月18日からますますお忙しくなりますね。お体に気をつけてください。目が良く見えるようになられた事は何よりです」-----。S・T

2007年3月26日 (月)

ネパール人 宮原巍氏

    宮原巍(たかし)氏がネパールの制憲選挙に出馬する。3月25日付けの朝日新聞朝刊が報じていた。現職は「トランス・ヒマラヤン・ツアー社」(カトマPhoto_756ンズ)と「ヒマラヤ観光開発株式会社」(東京)の社長。多分、世界一の高地のホテル・「ホテル・エベレスト・ビュー」を建設した。1934年(昭和9年)生まれ、長野県出身。日本大学理工学部を卒業後、理研ビニール工業、千代田化工建設を経て、1966年~68年にネパール政府通産省中小企業局に勤務。この間、南極地域観測隊、ヒマラヤ登山隊、グリーンランド遠征隊に参加している。還暦を迎えた1994年10月にエベレストに挑戦、880Photo_7510mのサウスピークまで登ったところで悪天候のために下山した。ネパー ルに帰化した日本人である。「ヒマラヤの灯」「還暦のエベレスト」の著書がある。

ネパール帰化の日本人 国政に挑戦

在住30年以上 国籍取得し新党結成

[ニューデリー=小倉哲夫]ネパールで6月に予定されている制憲議会選挙に、長野Photo_754県出身でネパールの国籍を取得した宮原巍(たかし)さん(73)が新党「ネパール国家開発党」を結成して立候補することを決めた。30年以上ネパールでホテルを経営してきた経験から、観光振興などを軸にした経済施策を訴えていくという。

 日大山岳部出身の宮原さんは62年、ヒマラヤ登山で初めてネパールを訪れた。自然に魅せられ、72年にエベレストの登山コースにある標高約3880メートルにホテル「エベレスト・ビュー」をオープン。「世界最高峰のホテル」と話題になった。

 長く住み続けるうち、権力闘争に明け暮れ、腐敗した政治への不満が募ったという。自ら国政に参加することを考え始め、05年6月に国籍を取得。400以上の議席を小選挙区と比例区で選ぶ制憲議会選挙に、比例区から出る予定だ。

 観光開発策のほか、鉄道網の整備、自然保護区の設定、初等教育の浸透などをうたったマニフェストもまとめ、冊子1万部を用意した。ネパールでは、政党がマニフェストを出す例はほとんどないという。Photo_755

 記事の発信がインドのニューデリーになっているが、ネパールの取材は、インドに常駐している特派員の担当である。2年前の2005年(平成17年)12月3日、東京・新宿で宮原氏の講演を聞いた。演題は「ネパールに暮らした40年」。日本ネパール国交樹立50周年記念事業の関係者懇親会の席だった。非能率なネパールの役人世界、インフラの遅れ、<内戦>問題。記事にある通り、一言でいえば手厳しいネパール批判の連続である。ネパール関係する者は大概感じていることである。しかし、宮原氏の話に嫌味はなかった。ネパールの問題を我が事として心配する、<ネパール人>宮原氏でなければ語れない批判だからなのであPhoto_753る。

 懇親会で私は「ヒマラヤの灯」を購入して宮原氏のサインをもらった。「ホテル・エベレスト・ビュー」建設までの記録である。いくらヒマラヤが好きとはいえ、伊達や酔狂でできる仕事ではない。宮原氏の話を聞きながら、彼の底知れぬパワーとネパールへかける人一倍の情熱を感じた。氏にとって、6月の制憲選挙はまたとないチャンスかもしれない。

2007年3月 4日 (日)

ネパールはどこへ?

Photo_643   6月に予定されている制憲議会選挙が実施されるかどうか。新憲法を制定するための国会議員を選ぶ選挙で、これが先ず第一の関門である。この制憲議会(定数425)が発足すれば、初会合で国王の処遇が決まる。国王は昨年4月の民主化運動を経て国政に関与する権限を剥奪されており、今後注目されるのは「立憲君主制」存続の可否。新議会の過半数により決まるという。現在、ネパールは、主要7政党による政府と、王制などに反対するマオイスト(毛沢東主義武装勢力)が<包括的和平>を結び、昨年12月までに暫定政府を発足させることに合意した。これに呼応して国連は今年1月に<ネパール政治ミッション(UNMIN)>を採択した。暫定政府の発足は延び延びになっているが、既にUNMINの軍事監視部門(構成員186人)の先遣隊がネパール入りしている。日本政府は、選挙のための投票箱約6万個を供与することにし4月までに調達する。また、国連は軍事監視団の一員として日本政府に自衛隊の派遣を要請している---。Photo_644

  「現在 のネパール情勢」と題した講演会が3月3日、東京で開かれた。(社)日本ネパール協会(伊藤忠一会長)主催で、講師は外務省西南アジア課の花澤光樹氏と海外在住ネパール人協会理事のジギャン・クマール・タパ氏。暫定政府の発足、制憲議会選挙のための最大の課題は、マオイストが所持している武器(3200~3500丁)と兵士(3万~3万2000人)の管理。武器等は国内7か所の兵舎に収用して鍵はマオイストが管理し、これを国連が監視することになっている。日本政府は、武器等の実効的・効果的管理を最重要視している。暫定政府が発足すればマオイストの入閣もある。しかし、武器を持ったままのマオイストの政権入りは不自然で問題があるからだ。花澤氏は、政治体制は? 元首は?と、ネパールの現状を問われることが多いらしいが、正直、「不明・分からない」と答えているのが実情、と話していた。

 ネパールが抱えている課題は多い。駐日ネパール大使はいまだにPhoto_645空席である。海外在住のネパール人は約140万人(インド在住者は除く)。インターネットでネパール国内の動きをつかむのも早い。制憲議会選挙に海外在住者の投票を要求したが、今回は認められなかった、とタパ氏は話していた。ネパール国内の学生に目を転じれば、<ストライキ>が多すぎて、単位取得に支障をきたし、どの学生も一年間進級できない状況だという。つまり、全員が留年ということらしい。---上記の制憲議会選挙であるが、6月実施は技術的にムリではないかと、悲観的見方もある。6月を逃すと、季節的に10月にズレ込む。ネパールは、人為的混迷とともに、自然までが混迷に拍車をかけているみたいである---。

2007年2月18日 (日)

カトマンズ 62年ぶりの雪

  ネパールから2本のメールが入った。久しぶりの降雪の情報と、結婚式へNp_temperature_01の招待である。

  雪の便りは15日付け。日本語の通訳やガイドをしている友人。「カトマンズは雪で騒いでいます。バレンタインデーの14日に降りました。なんと、カトマンズの町では62年ぶりの雪です。父が一歳の時です。雪は床に落ちると水になってしまいますPhoto_591が、雪は各地に降り、盆地の山は真っ白です。今でも見えています。若い人達はバイクや車であちらこちらに行ってます。新聞、ラジオ、テレビでは雪のニュースばかりです。今、ヒーターをつけてメールをしています。このお天気は明日まで続くそうです。東京は雪が降りましたか---」。エベレストに代表されるヒマラヤの山々をイメージする者には意外な感じがするかもしれない。ネパールにはジャングルもありトラもいる。雪に、マスコミが大騒ぎするのもわかる気がすPhoto_592る。

  結婚式の案内を送ってくれたのは、ビノッド・サキヤ氏(25歳)。このブログに何回も登場している石仏作家のダルマ・ラジ・サキヤ氏(33歳)の弟。式は25日~26日に行われる。私は残念ながら出席できない。白内障手術の後の養生のためである。サキヤ兄弟は5年前にPhoto_593東京・晴海で開かれた石造展のために来日した。私は石造展で兄弟と知り合い、2年前にカトマンズで行われたダルマ氏の結婚式に参列した。その時、サキヤ家に何回もお邪魔し、また、パーティーでビノッド氏のフィアンセを紹介された。「ビノッド氏の結婚式にPhoto_594も参列するからね」と約束したPhoto_590のだが---本当に残念だ。

  ビノッド氏(写真=左)は4人兄弟の末っ子、姉が一人いる。大学では 経営学を専攻し、石仏作家一家の実質的マネージャー。兄達の助手として石を彫ることも多い。ダルマPhoto_595氏の結婚式は4日間にわたって行われた。長男、つまりダルマ氏と次男の結婚式が同じ日で、披露宴というかパーティーも一緒。パーティーといえば、花嫁側も独自に開き、こちらは3姉妹(挙式は以前に行Photo_596っていた)が一緒だった。結婚式の形はいろいろあるのだろうが、ダルマ氏の場合は---先ず初日。ダルマ氏が花嫁宅に伺って挙式。その日は一人で帰宅。その晩、新婦側の(お別れ)パーティーを開いた。翌日2日目。新郎が楽隊を先頭に、正装した家族、親戚等を従えて新婦を迎えに行く。そして夕方ころ二人は一緒に新居へ。この時、一行は踊りながら新居まで行進。3日目。新郎の縁者が集Photo_597まり新郎宅で披露宴。4日目。パーティー。日本で言う一般的な披露宴。新婦はただヒナ壇に座ったまま、贈り物を受け取っていた。

 パーティーは、新婦側の時は映画館を改造した会館で、新郎・新婦が一緒の時は、新郎宅の中庭にテントを張り、4階建てのサキヤ家の外壁に祝福のイルミネーションを飾っていた。 元駐日ネパール大使夫妻も顔を見せていた。ビノッド氏の場合は、末っ子ということもあり、簡素に行われると思う。ダルマ氏の挙式は2005年2月18日。結婚式風景を紹介する---。

2007年2月 5日 (月)

ネパール情勢 講演案内

    ネパール関係のニュースが最近しばしば新聞やテレビに登場するようになった。主要政党とマオイストと呼ばれる毛派を含めた暫定政府の発足Photo_559が合意された。これに伴い、国連の要請で日本の自衛隊が平和維持活動の監視団としてネパールへ派遣されることになりそうだからだ。写真は「現地における自衛隊に対する安全性」について語るネパール軍幹部の話を伝えるNHK・TVニュース。「日本ネパール国交樹立50周年協力会」事務局長・伊藤ゆき氏のメールから、「現在のネパール情勢について」の講演会案内を紹介する。

日本ネパール国交樹立50周年協力会の皆様 

   拝啓 分厚いコートが邪魔なほど暖い日が続いておりますが、皆様にはご多忙な日々と存じます。 

  お蔭様で、日本ネパール国交樹立50周年記念事業を恙無く終了し、120日に協力会閉会総会を行いました。皆様のご協力を、心から感謝し、御礼申し上げます。報告書は作業中ですので、追ってお送りいたします。閉会式にご参加くださった団体からも、カトマンズの日本人会からも、この情報ネットワークの維持と、連帯感の盛り上がりを大切にしたい、51年目の一歩に集まりを持ちたいとのお声も上がっております。 

   2006年は、1768年以来238年間続いた「ネパール王国=グルカ王朝」がネパール」となり、世界唯一ヒンドゥーを国教としていたネパールが世俗宗教国家となりました。さらに、10年にわたる15,000人の犠牲者を出したマオイスト闘争が和平協定により一応の終息をみせるという、ネパールの歴史上、非常に大きな意味を持った年でした。しかし、タライ地域では、マオイスト約束した地域・民族主義の履行を迫って再燃しています。そこで、下記の講演会のご案内をお送りいたしますPhoto_96_1  

「現在のネパール情勢について」講演会

 講師:外務省西南アジア課 課長 花澤 光樹氏
 講師:海外在住ネパール人協会 理事 ジギャン・クマール・タパ氏


  ネパール主要7政党による政府とマオイストは包括的和平を結び、毛派を含
た暫定政府を発足させることで合意しました。それに対し、国連が平和維持活PKO)の一環として軍事監視団の派遣を調整、日本政府に自衛隊の派遣を要請しています。めまぐるしく変化をとげているネパール情勢について外務省の花澤氏と日本在住のネパール人の立場からタパ氏のお二人に講演していただきます。また、講演の後に同会場にて親睦会を行います。皆様のご参加をお待ちしています。

 日時:33日(土曜日)午後5時~午後7
 会場:新宿 中村屋本店 3階「レガル」 電話:03-3352-6163
 
会費:会員5000円 / 非会員6000円(資料代・懇話会費含む)

お申し込み/お問合せ:(社)日本ネパール協会事務局 TEL&FAX03-3491-0314
JR
山手線「大崎」駅 西口駅前商店街「ニュー大崎ビル」7702号室

 都合により講師の変更等がある場合がございます。予めご了承下さい。
 参加ご希望の方は、228日までに電話で事務局にお申し込みくだ さい。

2006年12月12日 (火)

ヒマラヤザクラ開花

Photo_408  今、熱海市内でヒマラヤザクラが咲いている。4か所に計7本。満開なのが「親水公園」で、「月見が丘」「熱海高校下」「多賀中学校近く」は間もなく見頃のようだ。熱海市のホームページの「ヒマラヤザクラの開花情報」に載っている。ネパールの故・ビレンドラ国王から昭和43年5月に「熱海植物友の会」にヒマラヤザクラの種子が贈られたのがPhoto_407「熱海のヒマラヤザクラ」の始まり。国王は皇太子時代に東京大学に留学、昭和42年8月に伊東市を訪れた。その時、友の会から熱海のサクラと梅の種子が贈られた。ヒマラヤザクラの種子はその返礼である。種子は熱海市営農場で育成され、「熱海高校下」と「月見が丘」にそれぞれ一本ずつ植樹された。親木から次々と若木が育成され、現在、100本以上を数えるが、この内の4本が公開されている。また、「サクラの名所散策路」を整備中で、今月16日にヒマラヤザクラ10本が<サクラ博士>の染郷正孝氏らによって植樹される。

  ヒマラヤザクラのネパール名は「パイユ」。今年は日本とネパールの国交樹立50周年。東京・秋葉原コンベンションホールで開かれた記念イベントで染郷氏の講演とともに苗木が販売された。私は<ビレンドラ・サクラ>の話は聞いていたが実際に見たことはなかったため、7月に「熱海高校下」の現地を友人と一緒に訪れた。また、これより先の3月~5月に箱根の芦之湯フラワーセンターで開かれた「ヒマラヤの山と花の写真展」のお手伝いをして、ヒマラヤザクラについての話を色々と伺った。開花は12月頃。花は日本のサクラのようにパっと散らないのが特徴という。国内でも冬桜と呼ばれて10月~1月にかけて咲くサクラがある。「ヒマラヤザクラは日本の桜のルーツ」と言われる所以である。私はこの冬の開花を楽Photo_404しみにしていたところで、近く熱海を訪れる予定である。

  一 方、ネパールで11月21日に国交樹立50周年の記念植樹が行われた。「地球に緑を広げましょう」を合言葉に15年間も活動を続けている「ラブグリーン・ネパール」(アミーラ・ダリ代表=Ms.Amira Dali)の主催。カトマンズから車で約一時間のカブレ郡パトレケット村の「ファサコット地域共有森林」で行わPhoto_406れた。植樹予定地は19ha。「ラブグリーン・ネパールはこれまで森林保護、植林、農業開発、教育支援、学校建設、保健衛生教育などの活動を続けており、果樹その他の苗木100万本を地域住民に提供してきました。この地域ではバイオマス装置促進運動を展開し、500戸の農家が装置を設置しました。今回植樹されるヒマラヤザクラがネパールと日本の友好のシンボルとして輝くでしょう---」。アミーラ・ダリ代表の挨拶である。次いで、染郷博士が「ヒマラヤザクラの重要性」についての話をし、来賓の挨拶に続いて、日本人30人を含む約150人がそれぞれ植樹をした。

 ネパールでの記念植樹の話は、「ラブグリーン・日本事務所」(小田原市)の府川公一氏の報告による。熱海市の「サクラの名所散策路」への植樹祭には染郷博士とともに日ネ国交樹立50周年記念協力会の伊藤ゆき代表幹事、府川氏、3人のネパール人が参加する予定だ。ヒマラヤザクラが取り持つ日本とネパールの交流の輪はさらに広がろうとしている。

2006年12月11日 (月)

JN50 in ネパール

  紅富士太鼓を先頭にした大パレード、桜の植樹、写真展、そして、200611242子ども達による空手交流会---。今年の日本とネパールの国交樹立50周年を記念する行事の仕上げとも言うべきネパール側イベントが、11月18日~27日までカトマンズ市内などで盛大に行われた。日本ネパール国交樹立50周年記念協力会の代表幹事・伊藤ゆき氏はこのほど帰国し、関係者にイベント概要の報告書を送った。記念行事は一応の仕上げだが、両国の友好行事にピリオドを打ったわけでは200611243なく、今後、一層の交流を深める計画が進められている。

 1) 600人のパレード 11月18日。ヤク・イェティ(Yak & Yeti)前王宮通りからニューロードを経て旧王宮広場まで、紅富士太鼓のパフォーマンスを先頭に日本人と日本関係団体の約600人がパレード。交通を遮断して正午にスタートし一時間の行進後に、旧王宮広場でオリ外務大臣、平岡駐ネ大使らを迎えて午後4時までプログラムが続きました。

 2) 防災セミナー 地震防災のためのパブリックセミナーがありました。学術的内容が多く、直接市民の役に立ちそうではありませんでしたが、「インドではナマズでなくコプラが地震を予知するので、その利用を考えたら」とPhoto_403いう名案(迷案?)も出ました。

 3) 桜の植林プログラム 11月21日。カトマンズ郊外の丘陵にヒマラヤザクラ約100本を植樹。 <サクラ博士>の染郷正孝氏らが植樹し、それぞれの名札を付けた。前日、バス事故があり、被害者が道路封鎖を行っていたため交通が混乱しました。2006112224dc1205108

 4) 故・橋本龍太郎氏の写真  11月22日(初日)。橋本・元首相は50周年記念協力会の会長で、日本国内でのイベント発足前に逝去しました。写真展会場は日本大使館。久美子夫人、長男の橋本龍氏をはじめ、33年前の橋本隊でエベレスト登頂を果たした石黒氏ご夫妻、ネパール政府関係者ら約150人が出席しました。出展数は150枚。展示後の写真は、小児病院への寄付金募集に使う案もありましたが、結局、ネパールの関係者Photo_401にプレゼントすることになりました。

 5) 多彩なイベント 市内パレード、岡本有子氏の民族舞踊、日ネ空手交流会、国際生け花ワークショップ、ファッションショー等々---。

 日ネ国交樹立50周年は、また、日本人によるマナスル登頂50周年でもある。これを記念して日本山岳会有志によるマナスル登山隊が結成され10月1日に登頂に成功した。関係者の喜びの声が伝わってくる。 

 日本ネパール協会の皆様、ご声援ありがとうございました。

   10月1日Photo_402快晴、無風のなか(現地時間10時30分)、日本山岳会有志で構成するマナスル登山隊メンバー、大蔵喜福(55)、小川武(64)、山梨柾巳(65)とシェルパ5名が登頂に成功しました。50年前にマナスルにあこがれた少年たちの夢が実現しました。
 

  昨年の春、挑戦するも悪天候に阻まれ敗退、同じメンバーでの2年越しの再挑戦でした。平均年齢Manslu164歳は、中高年とくにリタイアー世代から多くの喝采をいただき恐縮しています。幸運にも先行隊のルートと、天候の読みがうまくいき、9月28日からの1週間の間に登頂できたこと、皆様の声援のおかげと感謝しております。2日にBCにもどったとたん天候が悪化、頂上台地はもう冬将軍が吹き荒れ、雪煙が渦を巻いていました。

  輝かしいマナスル登頂50周年、また日本とネパールの国交樹立50周年という記念すべき年に我々を含め二つの日本隊が登頂出来たことは本当に嬉しい限りです。日本マナスル登山隊2006隊長、日本ネパール協会副会長 大蔵喜福

  ネパールでの主な50周年イベントの画像は、(社)日本ネパール協会のホームページで見れる。また、「サクラの植樹」は後日詳報する。 

2006年11月16日 (木)

ネパール人と鯨料理

Photo_328   4年間一度も会っていなかったのに、この3か月間に2度、延べにして20日間も顔を合わせるとは---。今、大阪に来ているネパール人のダルマ・ラジ・サキヤ氏に15日、日帰りで会ってきた。ダルマ氏はカトマンズ在住の石仏彫刻家。この欄でもしばしば紹介している。今年は日本とネパールとの国交樹立50周年。9月13日に夫妻で来日して個展などを開いて10月8日に帰国した。今回の来日は、アジア生産性機構(APO)のセミナー、および1Photo_3334日~15日開催の「ベンチャー2006 KANSAI & ベンチャー・エキスポ2006」のシンポジウムに参加するため。ダルマさんは「ARNICO STONE  CARVING」(アルニコ・ストーン・カーヴィング)という会社の代表でもあり、カトマンズ商工会議所会頭ら5人と11月13日に来日、商談などを重ねて25日に帰国の予定だ。

 APOにはアジア14か国42企業が名前を連ね、エキスポには関西2府7県の106企業・大学などが出展した。会場は「大阪国際会議場」。アジアからの参加者は隣接の宿泊先「リーガロイヤルホテル」とを往復して、びっちり詰まったプログラムをこなしていた。私が顔をみせた時はシンポジウム「環境にやさしい技術と国際競争力」を開催中で、その一部を拝聴させてもらった。これは先に「日ネ国交樹立50周年記念シンポ」でヒマラヤ銀行総裁が話していたことだが、ネパールのGNP(国民総生産)の一割が海外への<出稼ぎ>によるという。企業が少なく不況・政治的混乱もあって、専門技術者までが外国に出ているという。また、送金にあたっても個人口座を持っているPhoto_334人は少なく、こうした問題解決を急ぎたいとも話していた。それだけに、ネパールをはじめ、アジアからのエキスポ参加者は一つでも多くの商談をまとめるのに必死だ。ダルマ氏の会社は既にイタリアに石彫刻を輸出しているが、16日に行われる2社との交渉で、何とか日本への輸Photo_332出の道が開ければ---と語っていた。

 大阪・千日前にある鯨料理の店「徳家」。夕方、ダルマ氏を誘って「ハリハリ鍋」を賞味した。「畝須の刺身」と「コロおでん」も。ダルマ氏の注文によるが、彼にとって鯨料理は初めて。海がない国ということもあるが、クジラを見たことがなく、名前も知らないという。ただ、驚いたことに、店内に展示してあった「龍涎香」(りゅうぜんこう)を知っており、しかも使っているというのだ。マッコウPhoto_335鯨の腸内に発生する結石で香料の一種。石仏の顔に塗り込んでいるそうだ。チベットから購入しているという。化合物の合成香料が龍涎香の代替品として使われているから、まさか本物ではなかろうが--と思いつつ、漂着したマッコウ鯨から採取できる可能性があるため、ひょっとしたら、特別のルートがあるのかも知れないなどと思いをめぐPhoto_336らした。

 「徳家」へ顔を出した目的はもう一つ。女将の大西睦子さんに会うためだった。私は「徳家」へはほんのたまにしか行かないが、「くじら食文化を守る会」の縁で大西さんとは東京をはじめ、調査捕鯨船団の送迎で顔を合わせている。この日、女将は不在だった。南氷洋へ出港する「第二期南極海鯨類捕獲調査」船団を見送るため下関に行っていた。大西さんは船団の送迎には必ず顔を出し、国際捕鯨委員会(IWC)総会にも時々NGOとして参加し、「商業捕鯨再開」を訴えている<熱血女将>である。

 大西さんに会えなかったのは残念だったが、久しぶりに「法善寺横町」を歩き、「みずかけ不動尊」にお参りした。「龍涎香」とダルマ氏の話は驚きであり楽しかった。ダルマ氏の健闘と商談成立を祈って別れ、私は新幹線「新大阪駅」へ向かった。