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Mukha

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2008年1月31日 (木)

「独法改革」渡辺大臣

 「福田内閣メールマガジン」(第16号 2008/01/31)  から、渡辺喜美・内閣府特命担当大臣の話を転載Photoする。タイトルは「独法と『1940年体制』」---。

 こんにちは。渡辺喜美です。 昨年終盤は、独立行政法人改革、いわゆる独法(ドッポウ)改革に取り組みました。最後は総理や官房長官の助太刀(すけだち)もいただき、年末に「整理合理化計画」を閣議決定しました。私としては、合格点の成果に至ったと思います。 もちろん、これで独法改革が終わったわけではありません。ファミリー法人との随意契約や天下りなど、直ちにメスを入れる必要があります。引き続き、精一杯取り組んでいきます。
 「整理合理化計画」の策定にあたっては、国民の皆様からのご意見を募集しました。総計1,269件のご意見をいただき、多くのヒント、励ましのお言葉を賜ったことは、私にとって大きな支えとなりました。改めて、厚く御礼申し上げます。
 現在は、私のもう一つの担当課題である、「社会保険庁改革」について、ご意見募集中です。こちらも、よろしくお願いします。これら課題に取り組む中で、私がいつも思うのは、日本はいまだ「1940年体制」、つまり戦時体制の遺物に囚われている、ということです。
 例えば、独法の多くは、特殊法人を前身としますが、特殊法人の原型は1941年に作られた「営団」(住宅営団など)です。年金はじめ社会保障制度も、1940年前後に原型が作られました。また、公務員制度における天下りや年功序列も、貯蓄と間接金融を中心とした日本型金融システムも、やはり、戦時体制の中で形作られたものです。これらの仕組みは、戦後の一時期、有効に機能したこともありました。しかし、長い時を経るうちに澱(おり)がたまり、多くの機能不全も生じています。
 そろそろ、日本を「1940年体制」の呪縛から解き放ち、日本社会本来の活力を取り戻すべきときです。乱高下する株式市場にも象徴されるとおり、日本の行く手は、全く楽観で
きる状況にありません。しかし、こういうピンチのときこそ、チャンスに変えることも可能です。
 金融・行政改革担当大臣として、引き続き、「官から民へ」「貯蓄から投資へ」の流れを、全力で推し進めていきます。

※ 独立行政法人整理合理化計画(平成19年12月24日閣議決定)について
http://www.gyoukaku.go.jp/siryou/tokusyu/h191224/index_dokuhou.html

※「年金業務・組織再生会議の中間整理についてのご意見・情報の募集」
http://www.gyoukaku.go.jp/pub/nenkin.html

※ プロフィール
http://www.kantei.go.jp/jp/hukudadaijin/070926/16watanabe.html

2008年1月26日 (土)

「満月」そしてTV収録

 そうか、満月か---。外食中に携帯電話が鳴った。蒲鉾の「鈴廣」から「まんげつ蒲鉾」のPRだった。相手は遠慮がちに話していた。24日夕のこと。帰路、東の空、国府津山の上にまん丸のでっかい月が輝いていた。このところ、雨や曇りのためもあるが、天空を仰いでいなかった。天候のせいではない。心の余裕がなかったため、というのが正解であろう。

 今月は、何故かいろいろと重なっている。正月の箱根駅伝は恒例として、18日の叔母(父の妹)の七七忌と前後して、文教大学の授業、秋学期の成績評価、新年度・2008年度の「シラバス」(授業計画)作成と、待ったなしにしなければならないこと。確定申告の準備、「おだわらシルバー大学」の講座と文化祭準備。小田原市立国府津中学校同期会幹事の集まり、趣味の団体「日本参道狛犬研究会」会報のコラム執筆、小田原市からの突然の知らせによる「電子住民基本カード」の変更、図書館の借用本の返還--- 等々、加えてビデオデッキの故障で電気店を呼ぶとあって、「たまには、家に一日中居たい---」と叫びたくなる心境の昨今である。Photo_4

 「満月(23日)の電話」は、そんな忙(せわ)しい、落ち着きのない私の気持を、ふと我に返らせてくれるものだった。とは言っても、上記の<仕事>は済んだわけではなく、本日からPhoto_2取りかかるものも多い。そんな中、25日午後4時から「おだわらケーブルTV」で収録があった。「おだわらシルバー大学文化祭」(2月2日)のお知らせ番組である。私は実Photo行委員長の立場で、小田原市役所の担当職員と出演した。4分間。もちろん話す内容も限られてしまう。一回のリハーサルのあと本番。「視聴覚教室」の発音をとちり、「発表内容は新たに小田原市のホームページで紹介されます」と言うところを、「小田原市の」の部分を飛ばしてPhoto_3しまった。

 番組はこの日午後5時、6時、8時からと3回に渡って放送された。帰宅して、6時からの放送を録画した。ぶっつけ本番とは言え、まだまだ心の余裕はないようだ。私は数年前に「おだわらあの人この人」の番組に出演した。スタジオ内の椅子がまるで裁Photo_5判官の席のように黒い高い背もたれがあり、「見苦しい」とクレームを付けた。以来、どのテレビ、特にニュース番組のスタジオに見られるような、ごく普通の椅子が使われるようになった。キャスターは、私のことはともかく、椅子変更のいきさつは覚えていたようだ。私に出演を依頼した当時の担当者は、いま社長になっている。ロビーでお会いし、懐旧談に花を咲かせた。新たな番組作りへの意欲を聞き、彼から、少しばかりパワーをもらった。

 帰路、小田原市役所で、変更された「住基カード」を受け取り、タクシーで帰宅した。急いだのは、「4分間」のテレビを見るためである。当たり前のことではあるが、収録通りに放送されていた!?。まだまだ残した<仕事>は多い。さて、本日から、気合を入れてに取りかかるか---。 

2008年1月24日 (木)

洞爺湖サミット・ロゴマーク

 北海道洞爺湖畔で7月に開かれる「G8サミット」のロゴマークである。Photo三重県立特別支援学校北勢きらら学園の5人グループの作品だ。福田内閣メールマガジン(第15号・2008.1.24付)で紹介されている。小中高生を対象に募集し、応募した4198点の中から選ばれた。5人を代表して、高等部3年の近藤敦也(こんどう・あつや)さん(18(写真=右から2人目、立っている人)がメッセージを寄せてい る。

 「北海道洞爺湖サミットロゴマーク募集に応募したきっかけは、クラスみんなで環境について共に学び、みんなの思いを一つのかたちに表したかったからでPhoto_2す。そしてなによりも、思い出に残る一つの作品をみんなで作り上げたいという思いがありました。
 クラスで最初に「環境」・「地球」・「共生」・「平和」という四つのテーマを決めました。そして、話し合いと試行錯誤を積み重ね、今回のデザインができました。
 ロゴマーク作成で一番苦労したところは、みんなの考えや思いをいかにかたちにしていくかということです。
 今、振り返ってみると、このロゴマーク作成という活動で、クラスみんなが成長し、今まで遠い存在だったサミットのことを身近に感じられるようになりました。この取組を通して再認識したことがあります。それは、色々な人の意見を聞き合うことの大切さです。北海道洞爺湖サミットでは、環境問題や人々が戦争・紛争などで苦しんでいる現実をしっかりと見据えて、世界中の人たちが平和で安心して暮らせる社会が実現するような議論がなされることを期待しています」

 こうしたグループによる作品の記事を目にする時、私が知りたいのはその制作過程の話し合いである。近藤さんも書いているように、「みんなの考えや思いをいかにかたちにしていくか」、もっと詳しく聞いてみたいものだ。近藤さんの趣味はホームページ作成と映画鑑賞で、将来の夢はグラフィックデザイナーになることだという。

 洞爺湖サッミトを前に、6月13日・14日に大阪で財務大臣会合が開催される。同じマガジンの中で、額賀福志郎・財務大臣はこう語っている。「財務大臣会合では、私が議長となり、主要国の財務大臣とともに、世界経済や地球環境問題、途上国の貧困問題といった世界が直面する重要な課題について議論を交わす予定です。日本は世界と共に平和と繁栄を創り、世界と共に前に進んでいくという「共創・共生」の精神で、サミットの成功に向けて全力で取り組んでまいります」と。

 福田首相は「明日(25日)、スイスで開催される『世界経済フォーラム年次総会』、いわゆるダボス会議に向けて出発する予定です。今年開催されるサミット議長国を代表して、世界経済や地球環境など様々な課題について、わが国の考え方を世界に向けて発信してまいります」と述べている。

 これから、「環境」の文字が一層新聞紙上に踊り、「環境」の言葉が益々テレビから流れてくることであろう。

2008年1月22日 (火)

NHK インサイダー疑惑

Nhk2008121  NHK記者らの不正株取引疑惑が1月18日付け新聞各紙等で報道された。インサイダー取引疑惑である。加えて、「ドラマの撮影中、一般車に無断で小道具のナンバープレートを張り付ける騒ぎを起こした」と、22日付け紙上で報道された。また、NHKの不祥事である。橋本元一会長(写真=左)は21日夜に緊急記者会見を開き、株取引問題を理由に辞意を表明した。辞意表明のニュースとプレート騒ぎが同じ紙面に掲載されていた。皮肉なことである。NHKのインサイダー取引疑惑に絡み、朝日新聞(22日付け朝刊)は「甘い情報管理 特ダネへのアクセス簡単」と、NHKに対する厳しい批判記事を載せている。

 放送前に入手した外食産業の資本・業務提携ニュースをもとに、職員3人が株を売買し利益をあげた---。これが、NHKの金融商品取引法違反(インサイダー取引)である。私は、昨年2月1日付けのブログでマスコミ関係者の株取引規制に触れた。読売新聞社は2007年2月1日付けで社員の株取引に絡む社内規定を新設した。編集局の政治・経済・社会の3部はすべての株式売買を禁止するなど、部局別のガイドラインを定め、違反者は解雇を含めて懲戒処分される厳しい規定である。このブログ掲載にあたって、朝日新聞と日経新聞、それにNHKに電話およびメールを入れて聞いた。

 NHKの回答はこうだった。「NHKでは『行動指針』(平成16年9月30日制定)で、『取材で得た情報を個人の利益のために利用しない』と定めており、職員の株取引についても、この項が適用されます。職務上の義務に違反した場合や、職員としてふさわしくない行為があった場合には、当然、懲戒処分の対象になります」(2007年2月2日 NHK広報局)。

 今回、疑惑をもたれている職員は、取材に直接関わった経済部記者ではなく、放送までの間に社内の「報道情報端末」にアクセスできる報道局制作記者ら3人だ。そこに、NHKの情報管理の甘さが指摘されたわけである。「まだまだ私の志が組織に徹底していない。まさに恥じ入る」。橋本会長は辞意表明会見でこう述べたという。心あるNHK・OBは「組織全体の弛緩と劣化」を嘆き、「今回の不祥事は政治の介入の余地を与えてしまったのでは---」と心配している。

 マスコミ他社は、また起きたこのNHK不祥事を、心して、<他山の石>とすべきである。

2008年1月15日 (火)

「ヒマラヤザクラ」

Photo_2  日本のサクラのルーツと言われる「ヒマラヤザクラ」。11月~12月にかけて咲く。写真は昨年12月25日に撮影したものだ。場所は熱海市の静岡県立熱海高校近くにある。樹齢は40年。満開だった。私にとって3回目の「観桜」。おだわらシルバー大学の仲間3人と訪れた。この写真は、2月2日(土)の「おだわらシルバー大学文化祭」の個人作品の部に出展する予定であるPhoto_3

 サクラは、ネパールのビレンドラ元国王から送られた種子 から育てた。昭和43年5月のこと。ビレンドラ元国王(故人)は皇太子時代に東京大学に留学、昭和42年に伊東市を訪問した。この時に「熱海植物友の会」が熱海のサクラとウメの種子を献上した。ヒマラヤザクラの種子はその返礼で、熱海市下多賀の市営農場で播種、育成された。案内板にPhoto_4は以上のことが書かれている。熱海市には現在、4か所にヒマラヤザクラが植えられているが、熱海高校近くのサクラ以外のサクラは、この<ビレンドラ・サクラ>から移植または接木で育成されたものだ。Photo_5

 ヒマラヤザクラが日本のサクラのルーツということについては、サクラ博士の染郷正孝・東京農大短期大学部元教授の著書「桜の来た道」(東京農大農業資料室・信山社)に詳しい。日本のサクラは、一言でいえば、冬眠して春に咲くということ。サクラの種類は何百種とあり、今は日本でも冬に咲くサクラが多々ある。平成18年(2006年)は日本・ネパール国交樹立50周年。記念式典で染郷氏はサクラについて講演し、熱海市で新たに記念の植樹も行なった。

 私達Photo_6が観桜中、東京から来た夫婦に出会った。聞けば、テレビで紹介されたヒマラヤザクラをぜひ見たいと、新幹線「熱海駅」からタクシーで来たという。曇り空ではあったが、満開のサクラとススキのコントラストが微妙に調和しており、夫妻は感激の面持ちで鑑賞していた。「おだわらシルバー大学文化祭」の個人作品について、私は一年生の時、1年間の学習記録写真を出した。二年生の時は白内障手術と重なり出展どころか文化祭そのものも見れなかった。三年生つまり<卒業>の今年度は文化祭の実行委員長になり、仲間の勧めもあって、このヒマラヤザクラの写真を展示することにした。

2008年1月13日 (日)

「高校受験」を目指す現役大学生

Photo_5  社会人になってから大学に通う人、学校へ行けなかったり行かなかった若者が高校や中学に入学するケースは多々ある。卒業式に、そんな経済的・精神的に苦労した学生・生徒が代表で卒業証書を受け取る話題が時々新聞やテレビで紹介される。が、現役の大学生が改めて高校を受験したいというケースは非常に稀(まれ)ではなかろうか。私が文教大学で担当する講座に登録している78人(1年~4年生)の一人である。自由課題の「作文」でこのことを知112った。全日制高校に合格したが、体調不良で数日間通っただけで辞めた。3年間ほど休養して「高等学校卒業認定試験」に受かって大学に入った。だが、「一般教養や常識としての高校までの勉強をしておきたい」。そんな思いが高校への心を駆り立て、大学生活と成り立つ「通信制高校」の受験を目指すことにしたという。「合否はわからない。でも、何かをする前に諦めたくはないので先ず取り組み、がんばりたい」---作文は、こう結んであった。

 雨の日の1月12日午前、大学へ行った。学生達の作文を全員に読んでもらうことを目的に、縮小コピーして一冊にまとめるためだった。非常勤講師の私の授業は毎週水曜日の第4時限(午後3時~4持30分)。授業回数は春学期、秋学期とも各13回。100人が入るコンピューター教室でのマイクを使っての授業は、学生達の名前と顔を覚えるのもままならない。加えて講座は「テクニカルライティング」。技術文書、論文、レポートというか、心・感情を抑えたクールな文章作成技術を教えている。出題テーマも例えば、「AEDと文教大学」「レンズ付きフィルム」など、使う側にとっていかにわかりやすく伝えるかの文書を求めている。「味気ない」といっては教員失格かもしれない。そこで、ゲストスピーカーを招いての話、そして、学生達が自分の感情・気持を吐露できる「作文」を1~2回取り入れている。

 テーマも自分で考え、字数は800字程度、手書きを条件にしたいわゆる自由課題の作文を1月9日の授業で課した。秋学期12回目、2008年初の授業である。出席者は67人だった。私は「手書き」と「Eメール提稿(が多いが)」を適時使い分けている。手書きは今期3回目だった。また、テーマを自由にしたのは、「○○について書きなさい」という、与えられた課題ではなく、テーマを考えること自体、学生達にとって結構頭を悩ます問題なのである。この他、これが一番大事であり私は「シラバス」にも書いているが、文章作りの基本は「普段からモノをみる目、観察力を養うこと」である。その一助としてゲストスピーカーを招Photo_6いているわけで、春学期には江戸文字作家の立川文志師匠、秋学期はネパー ル人女性のプジャン・バスネット夫人と公立図書館員をお願いした。プジャンさんは、トリヴバン大学(経営学)を卒業後ヒマラヤン銀行に勤務し、その後日本に留学して社会開発と教育問題を専攻している上智大学院(博士課程)生。異文化に触れることで自分の立場を見直し、図書館員の話で大学図書館の価値を新たにした学生もいる。ゲストスピーカーを招いた時は、「講義の内容レポート」とPhoto_7「感想」を書いてもらい、感想はゲストと私に同時にメール送信してもらっている。

 秋学期の授業は1月16日が最後となる。前回の作文のテーマは多岐に渡っている。一つの教室に会する学生達は、誰がどんな考え、気持で学生生活を送っているのか、おそらく分からないと思う。そこで出席者全員の作文をまとめて16日に配布することにした。ものの考え・思想には点数は付けられない。学生達に渡す作文は、そのまま何のコメントも付けていない。名前も外してある。お互いにどんな感じを受けるか---。私の役割は、学生達の主張や意見をより効果的に表現するかを個々の作文にコメントを付けて返すことである。最後の授業は「論文」作成でメール送信してもらう。その後は成績評価書の作成。こちらは出席日数やこれまでの論文等を総合的に判断して付ける。もちろん、クールに、クールに。

 ただし、作文に見られる学生達の将来へかける思い、情熱と夢には、一先輩として、感情をむき出しに、「がんばれ」、と心から応援する。 「大いなる好奇心と、青臭い正義感をいつまでも忘れずに」---。これが私の若者達へのいつものメッセージである。

2008年1月11日 (金)

400年前の食「米橋」

Photo  先ず目で楽しんでほしい。「中世日本料理」「400年前の食」である。JR小田原駅にほど近い料理店「米橋」(よねはし)が再現した。日本テレビの「ぶらり途中下車の旅」で紹介される。この番組は1992年10月から放送されている長寿番組。今回は東海道線の東京--小田原間がテーマ。その収録が1月10日に行なわれた。私は常連客の一人としてカウンター席を埋めた。旅人はダニエル・カール氏。あの山形弁で売り出したドイ ツ系アメリカ人。Photo_2古代料理を紹介する店内のメニューをすらすらと読んだ。「漢字は好きなのです」とは言え、例えば「烏賊」など日本人客でも読め字を、いとも簡単に読む---常連客としては、旅人の外国人の読解力に感心した。

 さて料理。キジの刺身の羽盛、キンメダイの唐蒸酢、サザエのPhoto_3家盛(いえもり)、牛蒡(ごぼう)の味噌漬け、柚べしPhoto_5、あいきょう・ごんぎり、山かげ---等々。キジの刺身は何年ぶりだろうか。やはり「米橋」で食した。家盛とは、アワPhoto_4ビ、大ハマグリサザエなどの殻に、その身を調理して詰め戻す料理をいう。また、キジといえば、花なら「サクラ」を指すように、昔、単に鳥といえば「キジ」のことを意味していた。Photo_6

 途中下車で、どこを紹介し、何 を写すかはディレクター等が決めて準備する。かつて、東京下町に唯一残っている都電の旅の時、友人の漆塗師(うるしぬりし)が登場した。今回の中世料理は、「米橋」オーナーの米山昭(よねやま・あきら)氏が、数年前に小田原城主「北条氏」「大Photo_3森氏」ら関東武士の食事を再現した特集記事をディレクターが読んでいて、「ぜひお願いしたい」ということで、紹介されることになった。Photo

 小田原の話ではないが、「辻堂」の海岸近くにあるおでん街というか、おでんンセンターが登場する。そのルーツは江ノ島のおでん屋台にあり、東京オリンピックのヨット会場の整備に伴い辻堂に移ってきたという。東京オリンピックの時、私は新聞記者2年生でヨット取材班の一員だった。おでん屋台の話は私には初耳。番組スタッフは、当時の江ノ島のおでん屋台が並んだ写真を探している。心当たりがある方は教えてほしい。「米橋」の中世料理から話Photo 題は、思わぬ東京オリンピクに飛び、私にとっては懐かし いヨット取材を思い起こさせてくれた。

 放送は2月2日(土)午前9時30分~10時30分。テレビで放送される料理は、形や色合いは伝わってくるが、味や匂いは伝わらない。ダニエル氏が、おいしそうに味わうシーンが登場すると思うが、演技ではないことを強調したい。(画像をクリックすれば大きくなります)

2008年1月10日 (木)

「福田内閣」メルマガ

 今年もよろしくお願いします。福田康夫です。

  皆さんはお正月、どのように過ごされましたか。私は、元旦に皇居での新年祝賀の儀に参列したほかは、三が日は家族や親戚とゆっくり過ごしました。今年はいよいよ日本でサミットが開催されます。4日の仕事始めの日には、サミットで使うロゴマークを発表しました。

 今回のサミットの大きなテーマは、温暖化など地球規模での環境問題です。ロゴマークに選ばれた三重県立特別支援学校、北勢きらら学園高等部の5人の生徒さんの共同作品は、若葉の芽生えをモチーフにしています。「地球がいつまでも緑におおわれた美しい星であり続けてほしい」という願いがストレートに表現されており、言葉の壁を越えて、世界中にメッセージを伝えられる作品です。美しい自然に囲まれ、環境・省エネ分野で世界最先端の技術を持っている、日本ならではのサミットを、多くの皆さんの協力を得ながら、成功させたいと思います。

 ロゴマークを発表したあと、伊勢神宮に参拝しましたが、その際、地元の記者の方から、「食品表示の規制が、農水省や厚労省、経産省などいくつもの省庁にわかれており、国民のとってわかりにくいのではないか」との質問を受けました。確かに、今の行政のあり方は、国民の皆さんの立場から見ればわかりにくいところがあります。関係する部署が多くてどこに相談してよいかわからないとか、どこかに相談しても「そういう話なら別の部署に問い合わせてください」といったようなことでは、国民の皆さんのことを考えた行政とは言えません。

 年金の問題についても、国民の皆さんが支払った大事な年金記録のずさんな管理など、40年以上にわたる様々な問題が積み重なって生じたものであり、まさに行政が国民の立場に立っていなかった結果です。本格的な高齢化社会が到来する中で、「安全で安心できる社会」を作り上げなければなりません。そして、そのためには、政治も行政もこれまでの発想ややり方を大きく転換し、生活者、消費者の立場に立ったものへと変わっていかなければなりません。

 私は、今年を「生活者・消費者が主役となる社会」へと転換していくスタートの年にしたいと思います。今年は、食品偽装の問題から年金をはじめとした社会保障の問題まで、皆
さんの生活に直接かかわる、かつ、大事な問題に正面から取り組んで、一つひとつ着実に解決していきたいと考えています。

2008年1月 8日 (火)

「冨士屋商店」

200818  国府津の町に8日、ちょっとした衝撃が走った。「(株)冨士屋商店」の閉店謝恩セールの案内チラシが読売新聞に折り込まれていたからだ。明治21年(1888年)創業の老舗。明治、大正時代は衣料品、小間物、薬、メガネ、たばこ、化粧品などの販売とともに、旅館や待合、国鉄、役場などに食料品や酒、文具、トイレットペーパー等を納入し、百貨店のような役目を35していた。現在は、婦人服、肌着、学生衣料、化粧品等の小売と、事業所や工場、旅館、医院などにユニホームや白衣等を納めていた。

 国道一号線に面し、小田原市国府津商店街の特色である「看板Photo建築」の一翼を担っていた。後継者不足や周辺地域に進出した大型店舗の影響で、閉店が相次ぐ商店街にあって、料理旅館「国府津館」とともに、明治の面影を残す数少ない地元の老舗だった。冨士屋商店の店じまいは昨冬から決まっていたが、<公表>は年末年始が明けるのを待った。それだけに、数日前に閉店を知ったという商店仲間もおり、新聞折り込みを目にして驚いた住民が多かった。

 冨士屋商店経営の5代目・奥津弘高氏(56歳)は、平成14年から国府津商工振興会の第10代会長を務めている。国府津商工振興会が創立50周年を迎えた平成16年6月に記念誌「我がうぶすな」を発行した。そこに奥津会長は、「別荘の街・国府津 博士村・前川」を執筆した。明治から昭和の初めにかけて国府津と隣接の前川にあった別荘はざっと50軒。実にこまめに調べ、これまで小田原市がまとめた記録をはるかにしのぐPhoto_3内容だった。

 私は読売新聞社を退職し故郷・国府津に戻ってきた縁で、記念誌作りのお手伝いをした。この時、奥津氏はこう話していた。「別荘調査で古老の関係者宅に伺うと、『あぁ、冨士屋さんの息子さんですか』と言って、どこも快く迎えくれ、話してくれました。先祖のお陰と感謝しています」---と。新聞記者時代に相手の口をいかに開かせるのかに苦労した私にとって、奥津氏が「順調に取材を進められたのは先祖のお陰」と感謝する気持は十分に理解できた。奥津氏はその後も取材を深めて、昨年5月に「徳川慶喜公の散歩道」(夢工房)という著書を出版した。国府津にあった「大鳥別荘」に避寒のため、晩年滞在した慶喜公について書かれた「大鳥家別荘御滞在日誌」を読み解いた快作である。この取材にあたっても、いかに「冨士屋商店」の名前が力(ちから)になったかは、奥津氏の言葉を借りるまPhoto_2でもない。

 「國府津町優良商店 商賣繁栄雙六」という双六(すごろく)がある。国府津の商店を絵入りで紹介したもので、昭和初期に、商店街の歳末商戦の景品なり「おまけ」として作られたものと見られている。「振り出し」から「上がり」まで36コマあり、28コマ目と上がりが「冨士屋洋品店」となっている。双六は、国府津にあって、冨士屋商店の歴史と格を示す証拠の一つともいえる。

 創業120年間に及ぶ老舗・冨士屋商店の閉店は、個人的に寂しい限りだ。でも、「上がり」と思えば、気持も、ちょっと違う。営業は、今月、つまり1月31日限りだ。その後、当面は駐車場になると聞いている。

2008年1月 7日 (月)

国府津駅前広場

200817  雨のJR「国府津駅」前広場。7日午後、工事関係者が赤色灯棒を持って広場に進入する一般車両を仮設のロータリーに盛んに誘導していた。国道からの入り口などに「仮設ロータリー」利用の案内板が立っているが、私が見た限りでは、乗用車はそのまま何時ものようにJRの改札口前まで乗り入れていた。私が見たのは午後4時過ぎで、雨の降りしきる最中。車200817_2両も少なかったこともあって、誘導関係者は注意することもなく、静かに様子を見ていた。

 国府津駅前整備工事が、いよいよ今週から始まる。計画によると初日の7日から広場の掘削作業に入る予定だった。しかし、広場に掘削機はあったが作業をした気配はない。200816雨の影響だ ろうか。仮設ロータリーは改札口から西に30~40mほど離れている。車で国府津駅に来ても、雨の日などは傘をさして歩かなければならない。くしくも工事初日が雨で、「案内指示」も徹底しなかったわけだ。7日の仮設ロータリーへの誘導は一Photo_3般車両だけだったが、近いうちに、タクシー乗り場もそこに移動する。

 私は国府津駅利用者の一人。足元が凸凹になり、加えてタクシーを使っても、これまでのように即、改札口に乗り付けるというようなわけにはゆかない。不便は覚悟している。まだ、車利用の周辺地域の住民に仮設ロータリーの話は十分に伝わっていない。混乱も予想される。事故がないように、けが人を出さないように---工事の安全対策の徹底を強く求める。

2008年1月 6日 (日)

公的個人認証カード

 むさくるしい顔写真付きの「住民基本台帳カード」を掲載して恐縮だが----、小田原市から、以下のような連絡を受けた。「公的個人認証カードアプリケーションの不具合について(お知らせ)」という題名のもとに、こう書かれている。

 「小田原市が使用しているNTTコミュニケーションズ株式会社(以下、NTTCom)製の住民基本台帳カード(以下、住基カード)に搭載されている公Photo的個人認証カードアプリケーションについては、電子申請等を行なう場合、極めて低い確立(理論上32,769回に1回 *1)ではあるものの不具合が発生することが判明いたしました。これはNTTComが開発した送信データを暗号化するプログラムに問題がありまして、万一、不具合が発生した場合は、公的個人認証サービスを利用した当該電子申請・届出ができなくなる可能性が生じてまいります---」。従って、正常な住基カードと無償交換するから市役所に来いという連絡である。平成19年12月27日付けで、市窓第76号、小田原市市民窓口課長(公印省略)とある。

 交換期間は「平成20年1月4日(金)~平成20年12月26日(金)」で、受付窓口・時間は「小田原市役所2階市民窓口課3B窓口(住民票広域交付・住基カード)平日の午前9時から午後4時30分まで。*窓口の状況によりお待ちいただく場合がございます。時間に余裕を持ってお越しください」と書いてある。連絡は昨年末、郵便物に混じって届けられた。自宅から市役所までは電車・バスを乗り継いで行くかタクシーになる。出向くのは、4日は無理として月曜日の7日以降にすることにした。税金に絡む確定申告等に関係するためで、事前に担当者に二、三電話で確認した。

 「---なお、本不具合により、不適切な申請・届出が誤って送信されたり、住基カード内部の個人情報が漏洩することはありません。また、公的個人認証サービスを利用せず、住基カード自体の機能の使用(住民票の広域交付申請時の本人確認等)だけの場合は全く支障ありません。*1 NTTCom社内での検証により判明したもので、同社が納入した全国718自治体において、不具合が発生した実例はありません」---とも書いてある。つまり、住基カードに不具合があると、送信できない、ゲートが開かず使えないから、情報漏れという点については安心してくれ、というのだ。「--(不具合は)NTTCom社内での検証により判明し---、全国718自治体において、不具合が発生した実例はありません」とあるが、第三者(ソフト関係の会社)からの問合せで(NTTComが検証して)判明したもので、小田原市のこの文言は、NTTComからの話をそのまま転載したものである。

 小田原市役所の担当窓口とともに併記されていた「NTTコミュニケーションズお客様お問い合わせ窓口」に電話して、不具合発生連絡のプロセスが少し分かった。人数は私には分からないが、「公的個人認証サービス利用者」に安心感を与えるために、「(不具合の確立が)理論上32,769回に1回」とか等の上記の文言を付け加えたと思うが、こと「IT」情報・管理には慎重の上にも慎重を期し、関係者への連絡・説明は分かりやすくするべきだ。

 今回の「お知らせ」は小田原市のホームページに掲載されていない。「NTTコミュニケーションズ---」には、日に二、三件の問合せがあるという。利用者数に限らず、情報は広く知らせるべきである。 

2008年1月 5日 (土)

「尾乗り子獅子」

Photo 日本参道狛犬研究会(三遊亭円丈会長、略称=狛研)の例会に、昨年、しばしば欠席した。年末の納会にも顔を出せなかった。会場が東京ということもあるが、狛研だけではなく、他の集まりにも義理を欠いた昨年後半の半年間だった。しかし、狛研の例会ごとに発行している会報「狛犬の杜」には、エッセイ「あ∞うん」を休まずに掲載している。以下は、第63号(2007年12月19日発行)に掲載された、題して「尾乗り子獅子」の再掲である。

      

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阿像も吽像も共に子獅子を抱えている。阿像には左前足の上に一頭、さらに尾の上に一頭いる。尾乗りの子獅子を見るのは、私は初めてである。「大久保神社」(小田原市城山三丁目)。小田原城から二百メートルほど西へ行った樹叢の中にある。奉納は「明治廿九年三月三日」、「魚共同」と台座に刻字されている。石工の名前は見当たらない。<尾乗り子獅子>は顔が欠けていた。一目見た時、痛々しさと同時に、怒りを覚えた。いたずらによるものだ。

この狛犬に会えたのは、大久保神社を訪れること三回目。間口二メートル足らずの入り口に鉄格子がある。神社は無人で、普段は錠がかかっているからだ。鉄格子のすき間から吽像の姿が見えるだけで、外からは狛犬の全体像がわからない。「おだわらシルバー大学」の研修で今秋初めて中に入った。大久保神社は小田原初代藩主・大久保忠世と十一代藩主・大久保忠真を祀ったこじんまりした神社。数年前までは開放されていたが、神社等へのいたずらが絶えないために入り口を閉めたという。顔を削られた子獅子がそれを証明している。

神社にいたのはわずか十分間。再訪して詳しく調べたい。子獅子には兄弟がいる。なんとか顔を復元できないものか、と思っている----

2008年1月 4日 (金)

戻ってきた賀状

 年賀状が10通も戻ってきてしまった。

 「配達準備中に調査しましたがあて所に尋ねあたりません」(小田原他5局)、「配達準備中に調査しましたがあて名不完全で配達できません」(足立)、「あて所に尋ねあたりません」(横浜金沢・花見川)、「あて先不明で配達できません」(山鼻)---。赤いスタンプで押された郵便局の返送理由が局によって微妙に違う。賀状は、昨年12月中に戻ってきたのがほとんど。やはり「配達準備中に調査しましたが--」というのが正しい言葉であろう。小田原局と同じスタンプの他の5局は、「荏原」「大泉」「狛江」「松戸北」「四街道」。

 もし転居しても一年以内なら転居先に転送してくれる。何故こんなに戻ってきてしまったのか。昨年までは届いていた。返送された方々から、正月に届いた賀状の住所に改めて送り直した。しかし、それ以外で、住所変更等もあるだろうが、本当に詳しく調査したのか、ちょっと疑問に思う気持が残った。郵政民営化にともない、<仕事>はスピードアップした感がある。でも、スピードを求める代わるに拙速になりはしないか。民営化への移行で手続きが複雑になり、案内係員が汗だくで説明に追われる姿が、しばし見受けられる郵便局もある。戻ってきた賀状を見ながら、こんなことを思った。

 これまで届いた賀状をもとに、住所、電話、メールアドレス、ホームページ等の整理をやっと終えた。その中の一通に転居案内をかねて届いた80歳を越す大先輩からの賀状がある。「とりあえず『生存証明』のつもりで出しました---」。こんな文言で頂いた賀状は過去に一度あった。その方は今どうしているかって? う~ん---。

2008年1月 3日 (木)

参院議長の元旦

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1月1日(火) お雑煮、新年祝賀の儀
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 今日は、東京は快晴の元旦。議員宿舎で娘夫婦と3人の孫たちと起床。妻はすぐに着付けに出掛け、9時過ぎから、娘の手作りのおせち料理とお雑煮で、
賑やかに新年を祝いました。4歳の孫は、雑煮の餅と両手で格闘でした。その後私が、燕尾服のシャツと大格闘でした。

 私は新調の燕尾服、妻は色留袖で、10時15分に皇居での新年祝賀の儀に向けて出発。10時40分に皇居に集合して、参集者と新年の挨拶している内、ご案内があり、正殿松の間に集まりました。午前中は、内閣、国会、裁判所の関係者が別々の部屋に集まって、天皇・皇后両陛下をはじめ皇室の皆さんが部屋をまわって新年を祝賀しました。午後からは外交使節の皆さんです。

 国会の部では、河野衆議院議長と参議院議長の私とが正面に立ち、衆議院側を代表して河野さんが、次いで参議院側を代表して私が、祝賀のご挨拶をし、天皇陛下からのお言葉があり、終了。その後に別室に移り、お祝いのお酒をいただきました。11時半過ぎに議員宿舎に戻り、孫たちとお土産のお菓子をいただきました。「花びら餅」の元になったものです。そこで孫たちは自宅へ。束の間の安らぎに感謝するのみです。私たちは、15時過ぎの新幹線で、帰岡。地元は厳寒でした。

---以上は、江田五月参議院議長のメールである。私達が普段伺い知れない国会と皇族の関係など、江田氏は議長に就任してからこまめに書いている。今年も引き続き江田氏と、福田内閣メールマガジンを通して国政を窺(うかが)いたい。

2008年1月 2日 (水)

箱根駅伝

Photo   右足のケイレンで、ゴールをわずか500mほど前にしてレースを棄権した。第84回東京箱根間往復大学駅伝の往路。順天堂大学。昨年の覇者である。東京・大手町の読売新聞社前から108㎞、襷(たすき)を繋ぎ、5人目で挫折した。ドラマテックな箱根駅伝。それが悲劇的であればあるほど、観衆は奇妙な興奮に包まれる。

 私の正月は、例年のように今年も箱根駅伝で始まった。観戦場所は自Photo_2宅に近い小田原市国府津の国道一号線。往路1~5区の中の4区。好天も手伝って、沿道は人で盛り上がってみえる。今年の私の観戦スポットは国府津隣の小八幡。「箱根駅伝を応援する『こやわたの会』」があり、民家の庭先でモチをついたり、甘酒を観衆に振舞っている。今年で3年目。沿道には参加15校から送られた70本余の幟(のぼり)旗が立つ。「小八幡祭囃子保存会」のメンバーが特設舞台で今年初めて応援演奏を披露した。この応援イベントのPRを手伝った縁で、私は小八幡に立ち寄った。

 特にひいきのチームはない。個人的には神奈川大学の監督を知っているが、私は駅伝そのものの雰囲気が好きだ。観戦は連続20数年になる。もう身体の一部になっているみたいだ。この感覚は、多分、沿道の中年以上のほとんどの観衆はそうではないだろうか。読売新聞記者現役の社会部時代、元日宿泊明けの日、つまり駅伝初日の1月2日、私は運動部の取材車に便乗して、国府津の実家(自宅)近くの国道で降ろしてもらったこともある。箱根・塔ノ沢の旅館で年末年始を過し、そこで応援したこともある。旅館は友人の経営で、審判車が必ず立ち寄るところ。今もテレビ中継で旅館前を走る選手達が映し出されている。

 5区箱根ゴール前でのアクシデントは、ラジオの実況で知った。今年はどんなレース展開になるのであろうか。復路の3日朝、また、観衆に混じって応援の手旗を振る---。

2008年1月 1日 (火)

2008年の御挨拶

 皆様からの賀状を手2008497_2 して、2008年を実感しています。昨年の政治等に対する怒りと失望感を吐露する方々、「余命を精一杯がんばる」と悲壮なメッセージを伝えるガンで闘病中の友人---そんな賀状の中で、お孫さんに囲まれた同世代のじいちゃん、ばあちゃんの甘い顔と文言を目にするとほっとします。

 私は、しばらくブログを休んでおり、「病気では---」という心配のメールやお電話を頂戴しました。特に、これっといった変化はありません。お心遣いに感謝申し上げます。今年からまた、適時、掲載致します。

 よろしくお願い申し上げます。 

 2008年元旦

  斎藤 良夫

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