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Mukha

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2007年10月17日 (水)

駿府城址&静岡浅間神社

Photo  おだわらシルバー大学のフィールドワークで16日、静岡市の「駿府城址」と「静岡浅間神社」へ行ってきた。歴史観光コース3年生(25人)の最後のバスツアーである。駿府城は徳川家康の居城で<天下普請>の豪華な城と言われているが現在は火災や地震で天守閣などの建物は失われたままになってPhoto_2 いる。静岡浅間神社の社殿は60年の歳月を費やして建築されたもので、漆塗り極彩色が施され、国の重要文化財に指定されている。その豪華さと歴史の重みを味わった一日だった。

 シルバー大学のフィールドワークは年に2回行われる。これまで三島、鎌倉などに出かけている。武士(もののふ)の軌Photo_3 跡を追う研修である。駿府城址は地元のボランティアガイド協会「駿府ウエイブ」のガイド2人の案内で回った。家康は慶長12年(1607年)に大御所として駿府に入り、それまでの駿府城を一回り大きくした城を全国の大名に命じて築いた。建物は今は無く、全体像は、復元された巽櫓(たつみ・やぐら)の中の資料コーナーにある模型等でしのぶしかPhoto_6ない。私が感じ入ったのは、家康が幼少の竹千代時代に今川氏の人質として駿府で過した時の部屋と、その前に掲げられた最後の将軍・徳川慶喜の額。いずれもレプリカであるが、慶喜は大政奉還後、駿府に蟄居させられた。その時、人質の竹千代を思いやった言葉が額に収められている。慶喜は晩年、私が住む小田原市国府津で避寒生活を送っていた。「慶喜公はこの辺りにお住まいだったようです」とガイドが示す駿府城内の一角を、私はしばし眺めていた。Photo_4

 静岡浅間神社(しずおか・せんげんじんじゃ)は、「神部(かんべ)神社」「浅間(あさま)神社」「大歳御祖(おおとしみおや)神社」の三本社と四境内社の計七社を総称した呼び名で、通称「おせんげんさま」の名で崇敬されているという。「浅間」の<あPhoto_5さま>と<せんげん>の読み方の違いが興味深い。「アイヌ語(あさま=火山、土台の意味?)と仏教伝来後=神仏混交=の中国語読みに関係しているらしい」と神官は話していた。詳細は不明で私にとって後日の課題となった。壮麗な社殿は、「東海の日光」と、日光Photo_8の東照宮と並び称されているが、素直に頷(うなず)ける。特に、高さが25mもある広壮雄大な大拝殿は見ごたえがある。

 フィールドワークの足は小田原市の低公害車・ハイブリッドバス。この日は、東名の集中工事でしばし渋滞した。しかし、天候に恵まれ、ほぼ予定通りに日程をこなした。おだわらシルバー大学は、今後、体育祭、文化祭等の行事が続く。私達3年生の<大学生活>はだんだん残り少なくなってきた。

2007年10月13日 (土)

「お会式」 国府津

Photo_9  境内に「万灯」(まんとう)が飾られた。我が家の菩提寺、小田原市国府津の法秀寺(鈴木妙英住職)で12日、「お会式」(おえしき)が行われた。お会式は、宗祖等の命日にあわせて行われる大法会・祭りである。法秀寺は日蓮宗 。宗祖・日蓮聖人が東京・池上本門寺で亡くなった日(10月13日)に、庭先Photo_10の桜が時ならぬ華を咲かせたという故事から万灯を飾る。万灯は紙で作った造花である。そんな中を近辺の寺の講中Photo_11が団扇太鼓を叩きながら集まり、法秀寺の檀信徒とともに題目を唱えた。

 お会式と言えば、池上本門寺が有名で毎年数十万人の参拝者が訪れる。私も2度ほど伺った。日蓮聖人の命日前夜に、全国各地かPhoto_12ら集まった百を越す講中が纏(まとい)を降りながら繰り広げる「万灯練り行列 」を見るためだった。約3000人が池上徳持会館から本門寺まで約2㎞にわたって練り歩く光景は壮観で、秋の風物詩として新聞やテレビで紹介されている。日蓮宗のお会式は、俳句の秋の季語になっているほどだ。Photo_13

 今年は日蓮聖人の七百二十六遠忌。法秀寺の本堂にも造花は飾られ、そのもとで説教が行われ、法会が営まれた。法秀寺の万灯はささやかである。しかし、私達が子どもの頃は盛んで露店が並んだ。日蓮宗の宗派や法秀寺の檀信徒に関係なく、Photo_14国府津や近郊住民の楽しみの一つだった。現在、国府津で人が集まる祭りと言えば「天神さん」だけである。交通の問題、境内の広さ、世話人の苦労など問題は多いが、このお会式がもう一度盛んにならないかなぁ、国府津の風物詩の一つにならないかなぁ---と、万灯を眺めながら思った。

2007年10月11日 (木)

大学3年生 就活の秋

Photo  企業による大学3年生向けの大掛かりな会社説明会が東京ドームで開催されたと、10日付け読売新聞夕刊が報じていた。参加企業は140社で真新しいスーツ姿の学生約1500人が訪れたという。スーツ姿と言えば、こ の日、文教大学でやはり3年生を対象にした就職試験対策講座の一つとしての「マナー講座」が開かれた。就職試験絡みの講座は私の授業開始前の時間が多いため、私はできるだけ見学するようにしており、時には授業の参考にしている。会場の教室いっぱいの学生で、その熱気もさることPhoto_2ながら、バッグの中身までのアドバイスなど、「ここまでしなければならないのか」と思うほど、女性講師の細心の指導に恐れ入った。結論として、「相手に不快な思いをさせない」という一語に尽きるが、それも学生達の自覚一つにかかっている。

 「服装、化粧、持ち物のマナー」、「立ち居振る舞い(面接)マナー」をテーマに、約60項目にわたるチェック・ポイント、チェック・リストが挙げられていた。学生ばかりでなく、自らにも参考になったが、おおいに共感の持てた講師の話は、「面接で自ら失敗したと思っても、退席する時もさっそうと帰れ」という言葉だった。「選ぶのは相手である。しょんぼりしたり、あきらめたような歩き方をしていると、『この人物は、何かあると途中で直ぐに辞めてしまう』と考えられてしまう」と、その理由を述べている。選ぶのは相手である。自分では「まずかったなぁ」と思っても、良い意味での逆効果がある場合もあるのだ。付け刃、メッキは直ぐ剥(は)げる。自らの姿勢、物心両面の<パーソナル・カラー>を持とう----。

 授業前に、春学期の受講生から声をかけられた。4年男子学生。「大手運輸会社への就職が決まりました。先生の授業が大変役立ちました---」と笑顔で話していた。私の授業はともかくとして、学生への朗報は、私も嬉しい。2008年3月卒業予定の大学生、大学院生に対する企業の求人数は過去最高の93万3000人で求人倍率は2.14倍で、2009年の求人数はさらに増える見込みと言われる。しかし、全員が希望通りの職に就けるとは限らない。「皆さんには、これから芸能人並のスケジュール、つまり厳しい求職活動が待っている。身体を最高のコンディションに維持するように----」。女性講師は、こう強く訴えていた。

2007年10月 7日 (日)

「的川コラム」を読む

 月に向かっている周回衛星「かぐや」についての、宇宙航空開発機構(JAXA)の的川泰宣氏のコラムである。私は学生達に放送の録画を見せた。「放送では尻切れだった」というのが面白いし、元原稿の公開も珍しい。将来を若者達にかける熱い期待が共感を呼ぶ。的川氏のコラムの一読を---。

  一昨日、インドのハイデラバードから帰ってきました。IAC(International Astronautical Congress:国際宇宙会議)に出席したのです。少し前にこのハイデラバードで大規模なテロ事件が発生したとあって、アメリカと日本からはキャンセルがつづいたのですが、さすがに副会長としては出席せざるをないという事情もありましたが、もともと暢気な性格は如何ともしがたく、久しぶりのインドを満喫してきました。

 参加者は2600人、発表論文数は1200と聞きました。でも実際にはヤバかったのです。会期中の火曜日に、シンポジウムの会場になっていたHyderabad International Convention Centerの入口で、胸に自爆装置をつけた人物が逮捕されたのです。また土曜日に3時間ほど市内観光をしたとき、この町の観光の目玉であるCharminarというパリの「凱旋門」みたいなところをタクシーで通りかかりました。タクシーの運転手さんが、そばのモスクを指差しながら、「あそこで2日前に爆破事件があったんだよ」とのこと。「えっ?」と驚いて、「そんなこと新聞に出ていなかったみたいだけど?」と訊くと、「ああ、4人ぐらいしか死ななかったからだろう」ですって! まあ大会は成功裏に終わって、世界の宇宙開発の働き手たちが無事だったことを、結果論として喜びましょう。

 さて、日本に帰ると、NHKの『視点・論点』(2007年9月19日収録)を見たという人が一杯いました。実はあの日は喉の調子が悪く、ゆっくりと話した関係で、時間が来たときには、予定の3分の2も話し終えていなかったため、心残りな10分間でした。そこで、その日わたしがしゃべるために準備した原稿をみなさんに読んでもらおうと思います。あの日言えなかった箇所は、いずれ成果発表のどこかの段階で、また『視点・論点』でしゃべりたいと考えています。以下がもともとの原稿です。

 みなさん今日は。的川泰宣です。今日は、お月さまへの挑戦が再び世界的規模で始まること、その火蓋を日本の探査機が切ったという話題をお届けします。昨年の秋には、日本の月探査機「セレーネ」をもうじき打ち上げるということで、「月に願いを!」キャンペーンを展開したところ、その趣旨に御賛同いただいた上、世界中から41万人ものお名前とメッセージを頂戴しました。有難うございました。その後月探査機「セレーネ」には、一般公募によって「かぐや」の愛称がつけられました。ローマ字でKaguyaと書くと、外国の人は大体guにアクセントを置いて発音するので、「カグーヤ」とか「カギューヤ」とか発音するので、「かぐや姫」にならないで「家具屋」になってしまうという難点があるのですがね。

 さてその「かぐや」は、当初の予定から一日遅れたさる9月14日10時31分、種子島宇宙センターから、H-IIAロケット13号機に搭載されて、無事に旅立っていきました。見事な打上げでした。ロケットから無事に切り離されて一人旅に移った「かぐや」には、41万人のお名前とメッセージが薄いフィルムに刻まれて搭載されています。その後「かぐや」のチームは、衛星姿勢の安定化、太陽電池パドル展開、地球との通信を受け持つアンテナの展開、そのアンテナと地上局との通信リンクの確立、打上げの際の小さな誤差を補正する軌道修正、軌道周期を調整するための軌道変更など、今までのところ、一連のオペレーションを順調に消化しております。

 この後、「かぐや」は、月まで届くような大きな地球周回軌道を2周した後、軌道周期を調節してうまいタイミングで月と出会い、来る10月4日には月をめぐる軌道に投入される予定です。それから高度100kmの円軌道にまで徐々に軌道を下げながら、二つの子どもの衛星を放出していきます。そしてさまざまな機器の調整を慎重に行ってから、11月ごろから本格運用に入り、少なくとも約1年間、「かぐや」は月をめぐる軌道にあって、月を徹底的に調べ上げます。「かぐや」には、十四種類(数え方によっては十五種類)の科学機器が搭載されています。地形がどうなっているかを調べる高度計、立体画像を撮るカメラ、月の磁場を調べる磁力計、月の岩石の鉱物やその鉱物がどんな元素を含んでいるかを調べる分光計、月の内部の質量・重力分布がどうなっているかを調べる装置などです。「かぐや」のカメラが提供してくれる画像はこれまでにない高画質なもので、月面の地形がこれまでよりも格段によく分かります。それも高さの情報を含む立体画像になるので、非常に面白いものになるでしょう。またNHKのハイビジョンカメラも搭載されますが、これは私自身が、このNHKの近くの小奇麗な喫茶店でNHKのプロデューサーの方と話をしたのがきっかけとなって、NHKとSELENEチームとの橋渡しをすることになったものです。実現までには山も谷もありましたが、感慨深いものがあります。

 それでは、「かぐや」の観測にはどんなことが期待されているかについてお話しましょう。

  (1) あのアポロ計画は、「月が誕生した頃は非常に温度が高く、マグマオーシャンというマグマの海があったこと」を発見しました。それまでは、私たちの太陽系にある惑星や月は低い温度で形成されたというのが一般的な考え方だったので、大きな転換になったわけです。アポロ計画のおかげで、地球を含む太陽系の惑星の「高温起源説」という基本的なシナリオが重要な裏づけを得たわけです。ただしマグマの海がどれぐらいの深さまであったかということはいまだに謎です。これは「かぐや」が貴重な解答を与えてくれるでしょう。これが第一の期待ですね。

  (2) 月が今から46億年前にどのようにしてできたのかについては、ご存知のように、地球との関係をめぐって、親子説、兄弟説、他人説などが飛び交っていたのですが、最近では、出来立ての地球に火星ぐらいの大きさの天体が衝突し、そのときに周りに飛び散った塵から月が形成されたという「衝突分裂説」または「ジャイアント・インパクト」という説が人気抜群です。でもこれが正しいとすれば、計算によって1ヶ月以内という速いスピードで月ができなければならないという厳しい要求があります。「かぐや」がこの疑問にどう答えてくれるか、世界中の科学者が固唾を呑んで見守っています。この問題については、月の地殻ができたときの温度の状態を「かぐや」が明らかにする必要があるわけで、それによって、月がどれぐらいの速さでできたかを推定することになります。非常に興味のあるところですね。

  (3) また、「かぐや」による月の磁場の観測も、地球の磁場の秘密の解明につながる大発見が期待できます。月を知らないと地球もよくは分からないわけで、まことに地球と月は運命共同体なのですね。あのアポロ計画が1972年に終了して以来、久しく本格的な月ミッションがなかった時代から、大きく情勢が変わって、これから人類の新たな月への挑戦の時代が始まります。「かぐや」につづいて近いうちに中国の「嫦娥」が、また来年にはインドの「チャンドラヤーン」とアメリカのLRO (Lunar Reconnaissance Orbiter)も月へ向かいます。ロシアもLuna Globを打ち上げる予定ですし、イタリア、ドイツも月計画を検討しています。まさに世界中に「ふたたび月へ」というムードが漂い始めているのですね。「世界で最も月を愛する国民」と言われる日本人の作った探査機が、世界に先駆けてその月ラッシュの火蓋を切ったことは、実に感慨深いことだと思いますし、私は大いに誇りにも思います。同時に一昨年の「はやぶさ」以来、久しぶりに日本が世界に放った「かぐや」の打上げの快挙を、引き続き素晴らしい成果につなげていくことが、私たちの重大な使命と考えております。この地球と運命を共にする仲間の星に、近い将来、人類は再び人間を送るでしょう。かつて新大陸をめざしたメイフラワー号の乗組員の子孫が人類の歴史を大きく変えたように、月が地球の新たな文化圏に組み入れられる時代の鼓動が聞こえ始めてい
ます。

 もちろんその鼓動を現実のものに転化するのは、現代の若者たちですが、これから人類が月への歩みを大きく進めるに当たって、「かぐや」の豊富で高レベルの成果は他の探査機を圧して最大限に活用されることになるでしょう。それを見つめる日本の子どもたちが、この国とこの星の未来を支える科学的で夢に溢れた人に成長することができるよう、私たちは宇宙教育という観点からも奮闘する決意でおります。「かぐや」に向けられる世界の人々の視線は、非常に熱いものがあります。日本という極東の小国が、その文化の力を持って世界に羽ばたいていくための跳躍台になってくれれば ……そんな期待をもって「かぐや」の月到着を待ちつづけることにしましょう。「竹取物語」から1000年を経て、かぐや姫の待つお月様へ──本格観測の開始は11月ごろの予定です。         

   ところで、昨日、「かぐや」に搭載したNHKのハイビジョンカメラの試験撮像が公開されたことは、すでにご存知でしょう? まだの方はJAXAのホームページをご覧ください。この先が楽しみな素晴らしい画像ですね。私もまだなのですが、早く動画を目にしたいものです。(YM=10月3日午前10時32分着信)

2007年10月 6日 (土)

「円空仏」--「トヨタ2000GT」

  3冊の本がある。このほど送られてきたり、購入したものだ。紹介したいのは、本の内容より、贈呈者、登場人物と、ちょっぴりではあるが、私とのかかわりについてのサイドストーリーである。Photo_4

 ◆山田匠琳氏=「円空と木喰 NHK・美の壺」(NHK出版、950円、2007年9月25日発行)。NHK教育テレビで放送中の番組「美の壺」をまとめたシリーズの一冊。山田匠琳(やまだ・しょうりん)氏は彫師で円空学会常任理事。番組の中で円空仏の模刻を披露し、本では「彫師から見た『彫師・円空』」の一文を寄せている。匠琳氏は読売日本テレビ文化センター時代からのPhoto_5お付き合いで、私は氏が主宰する「木遊会」の展示会にほぼ顔を出している。氏は受講生への教え方として、心の中で三つのグループに分けている。①仏像彫刻を本格的に目指す人②仏像彫刻を通して仏像の知識を求めている人③仏像彫刻と遊びに来る人。受講生の要求を見極めるということである。「なるほど」と思った。これなら、学ぶ側に飽きが来ない。私も指導方法の参考にしている。本を贈って頂きながらまだ礼状を書いていない。急がなければ---。

 佐久間幸子氏=「芸術新潮 10月号」(新潮社、1400円、2007年10月1日発行)。熊本城築城400年記念特集として「細川家 美と戦いの700年」の特集記事を組んでいる。 表紙に佐久間幸子(さくま・ゆきこ氏が、細川護熙(ほそPhoto_6かわ・もりひろ)氏と並んで写っていた。最近はご無沙汰をしているが、佐久間氏宅には年に2回ほど伺っていた。彼女の写真を見て、早速、購入した。護熙氏は細川家18代当主。上智大学の同級生で、氏は朝日新聞から政界に進んだ。私は読売新聞へ入社した。記者修業の入り口ともいえるサツ(警察)回り時代の彼のエピソードがあるが、それは置いて、記事は、護熙氏の祖父「護立」(もりたつ)侯爵の<護立コレクション>をめぐっての二人の対談である。

 佐久間氏はかつて、「“まり弥”の源氏名で新橋の粋筋に名をはせた」(本文79頁)方。<護立サロン>に出入りして刀剣や禅画なPhoto_7どの多くの美術品に接していた。私は、東京芸大で織機を学んだ友人の紹介で彼女の家を訪れた。年に2回展示している志村ふくみ氏(人間国宝)の草木染の着物を観るためである。私に志村氏の着物などに手が届くわけがなく、「はぎれ」に目が行くだけだった。志村氏は名エッセイストでもあり彼女の著書や図録は購入した。それよりも、佐久間氏の話を聞くのが楽しみだった。美術展や博物館の展示の話が中心。私はただ耳を傾けるだけで、浅学の身としては質問も出来なかった。今回の対談を読んで彼女の造詣の深さを再認識させられた。志村氏母子の作品展が東京で開催された時に図録へのサインを頼んだ。佐久間氏からの紹介というと、志村氏は気軽に筆をとり、丁寧に応対してくれた---。佐久間氏の自宅近くの東京・神宮前にある「ワタリウム美術館」から「クマグスの森展 南方熊楠の見た夢」(10月7日~2008年2月3日)の案内が届いている。熊楠展を鑑賞の折、チャンスがあれば佐久間氏宅に伺い、改めて彼女の話を拝聴したい思いだ。

 野崎悠子氏=「ノスタルジックヒーロー別冊 トヨタ2000GT & トヨタPhoto_8スポーツ800」(芸文社、2000円、2007年10月20日発行)。目次の脇に、「恵存 斎藤良夫様 2007年10月4日 悠」と書いてあった。表紙には、「トヨタ2000GT デザイナー 野崎喩」とある。野崎喩(のざき・さとる)氏は、野崎悠子(野崎・悠子)氏のご主人である。<究極 の保存版>と銘打った別冊は彼女からの贈呈である。彼女は愛知県立芸術大学の名誉教授で日本展示学会の理事などを務めている。私は読売新聞名古屋総局(現・中部支社)のデスク時代に彼女と面識を持ち、今は日本展示学会のメンバーとして総会などでご一緒している。喩氏は現在、神奈川県にある「ワタミの介護レストヴィラ座間谷戸山公園」Photo_9で過しており、悠子氏は研究室がある愛知県と神奈川県を往復する生活を送っている。

 野崎悠子氏のご主人がトヨタのデザイナーであることは前々から聞いていたが、名車「2000GT」を手がけたことを知ったのは十数年前だ。名古屋で開かれた日本展示学会のフィールドワークでトヨタ自動車博物館を訪れた時である。ミニチュアカーを手にする彼女に聞くと、「主人がデザインしたもの」と言う。「トヨタ2000GT」は、映画「007は二度死ぬ」(1967年公開)で浜美枝がボンドガールとして出演した映画に登場した車である。ミニチュアを私も一台買って今も本棚に置いてある。今回、本と一緒に写真(右下)を撮った。礼状はメールで送るつもりだが、悠子氏とは今月20日~21日に、彼女が代表を務める「学際交流視察研究会」で顔を合わせることになっている。「身近な自然を読む その8 / 消される自然・生まれる自然 :木曽川を診る」をテーマに、木曽川下流域の関連エリアを巡行する予定だ。本とともに、私の「レジュメが未提出である。当日、を持参するように」との督促の手紙が同封されていた。私は今回の視察研究会で特にプレゼンテーションする予定はないが、やはり何かを書かなければいけないのか。「トヨタ2000GT」の白いミニ・カー手にしながら、自らを一日も早く<木曽川モード>に入るように努めることを考えた。 

2007年10月 5日 (金)

食の橋渡し 小田原「米橋」

 料理店「米橋」(よねはし)。屋号の由来は---。「おコメの橋Photo渡しをする。コメは食の原点。つまり、コメをはじめとする食材を吟味して調理し、料理をお客様に味わってもらう。そんな願いを込めて名付けた。食の橋渡しである」。店主の米山昭(よねやま・あきら)氏の話である。店名に、苗字の「米山」の「米」の字をかけたことは言うまでもない。「米橋」へ3日夜に出かけた。一年ぶりである。米山氏は今年1月に食道がんの手術を受けた。退Photo_2院後のリハビリ効果も手伝って、術後の経過も順調で、10月2日から再び包丁を握れるようになった。3日は再開二日目。客足の合間の雑談で、私は屋号の由来を初めて聞いた。米山氏は6月に57歳の誕生日を迎えた。店を持ったのは21歳の時と言う。「米橋」と「米山」。ちょと、紛らわしい名前で ある。恥ずかしながら私は当初 、「米橋昭様」の名前で手紙を出してしまった。

 顔色も、振る舞いも一年前と変わらなPhoto_3い。再開初日の2日は、店は満杯だったと言う。どのお客も米山氏の回復を喜び、料理に舌鼓を打った。店はJR東海道線「小田原駅」近くにある。神奈川県外からの客もいた。和食の店であるが、戦国時代の古代料理も工夫しながら出している。<米橋フアン>は多い。この日も、酒匂川で釣ったばかりのアユが常連客からかなり届いた。私は塩焼きをお願いした。調理の合間の話で、米山氏が「(源)頼朝料理」に挑戦しようとしていることを聞いた。「リハビリ中にいろいろな本が読めた。頼朝のことを調べていて、京都のいわゆる公家料理に代わって、オオバンを正式な料理に出していることがわかった。今度、それを作ってみたい」。オオバンとは、極端に言えば割りこ弁当みたいなものという。米山氏の言葉を借りれば、「外料理を内料理にした」、簡易料理を公式料理に格上げしたというのだ。詳細は不明だが、私には、戦国料理を熱く語る米山氏の話が耳に心地良かった。

 この日は、文教大学(湘南キャンパス)の私の秋学期授業2回目だった。履修学生の正式名簿が届いていた。1年次~4年次まで計78人。一週間前の初日授業の出席者66人より登録学生は12人も多い。2回目の出席者は64人と前回より少なかったが、初めて出席する学生もおり、初日と一部ダブル講義をし、DVDを見せ、ミニ演習を行った。ちょっと疲れたが、授業が終わると、やはりほっとする。私はJR東海道線とバスを乗り継いで大学に通っている。大学からJR茅ヶ崎駅までバスは2ルートある。普段は約20分のルートを使っているが、この日は帰路、遠回りのコースのバスに初めて乗った。30分かかった。大学は山というか丘にあり、周辺には畑が多い。実をたわわにした栗の木を久しぶりに見た。秋の気配は十分である。そんな気分の延長線上に、「米橋」を訪ねた。<食の橋渡し>を米山氏から聞きながら、私はなぜか、学生達から提出されたレポートが気になった。

2007年10月 4日 (木)

福田内閣メルマガ

 福田内閣のメールマガジン創刊準備号が届いた。(着信:10月4日午前8時16分)。国民との対話の道を継続する気持から、小泉元総理、安倍前総理に続いて発行するという。私も注目して行きたい。

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        福田内閣メールマガジン(創刊準備号 )     
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[はじめまして、福田康夫です。どうぞよろしく。]

 「政治家も役人も信用できない。」 そうした国民の皆さんの不信の声を、私は、今、率直に受け止めています。国民の皆さんの信頼なくしては、どのような立派な政策も実現できません。皆さんから信頼されるように、よい政策を実現するよう、一生懸命やっていく覚悟です。

 「信頼」を取り戻す名案はありません。国民の皆さんの気持ちになって、必要な政策を一つひとつ丁寧に積み重ね、さらに、その政策を皆さんに理解していただくことが、大事であると思います。そのためには、お寄せいただくご意見が大変重要であり、皆さんとの対話を重ねていきたいと考えております。

 そうした思いから、小泉元総理、安倍前総理と続けたメールマガジンは、福田内閣においても引き継ぎます。メールマガジンは、皆さん一人ひとりとのホットラインです。色々なご意見やできごとなどを、是非ともお聞かせください。皆さんとの双方向の対話の場として育てていきたいと願っております。


 ※ 第168回国会における所信表明演説(07/10/01)
http://www.kantei.go.jp/jp/hukudaphoto/2007/10/01syosin.html

[編集長のひとこと]
 官房副長官の大野松茂です。福田内閣メールマガジンの編集長を務めることとなりました。総編集長は福田総理ご自身が務めます。どうぞよろしくお願いいたします。総理はこれまでの内閣メルマガに寄せられた皆さんのご意見や評価をご覧になったうえで、福田内閣らしいメルマガを企画するように、との指示をされています。
 このメルマガでは、毎週、総理や各大臣に登場願うほか、全国の各地で頑張っている方々の生の声や魅力的な取組をお届けしたいと考えています。地方の再生は、福田内閣の重要な課題。ご期待ください。このメルマガを内閣と皆さんの対話の場として充実したものにしたいと思います。ご意見、ご感想をご遠慮なくお寄せ下さい。(まつしげ)

[政府インターネットテレビ番組ガイド]
●新着情報
<1CH>総理記者会見・演説
 ・第168回国会における所信表明演説(07/10/01)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1421.html
 ・総理の動き-福田内閣発足(07/09/26)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1416.html
 ・福田内閣総理大臣記者会見(07/09/25)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1397.html

2007年10月 3日 (水)

石工の目 「野村保泉」

P1010054  綱川誠志郎氏から「狛犬便り」が届いた。今度は信州の穂高神社の狛犬である。綱川氏は愛知県岡崎市に工房を持つ石工。日本参道狛犬研究会(略称=狛研・三遊亭円丈会長)のメンバーで、狛研が東京・品川神社に奉納した「クモ狛犬」の作者でもある。このブログに綱川氏からのニュースを時折掲載しているが、狛犬を見る視点が私みたいな者とはさすがに違う。注目は「野村保泉」の名P1010052_2前である。P1010056
 「先日、信州の旅の途中で興味のある狛 犬を見つけたので紹介 します。穂高神社の狛犬なんですが一見そんなに感動するような狛犬ではないのですが台座を見て驚きました!!---- 皇紀二千六百年(昭和15年)野村保泉の文字があるのです。狛犬を良く見ると大きさは四尺を超える大きなもので原型を元にして 作られたみたいです」P1010055_2
 「石の種類は神田明神の狛犬の石に良く似ています。やはり東京で作ったものを信州まで運んだのではないでしょうか?近くにJRの駅がありました。狛犬の胴の彫り方なんて神田明神の狛犬に良く似た彫り方をしています。神田明神の狛犬は何年の製作か覚えていませんが、とても共通点が有る様に思われました。あの時代に信州の神社の狛犬を作っていたなんて野村保泉恐るべしです」。

2007年10月 2日 (火)

粋なデザート ! みかん

Photo  雨模様とあって、緑の色が瑞々しく輝いている。鉢仕立のみかんが5鉢。実も1鉢に5~7個付いている。昨年から、小田原市内でみかんを栽培している中学時代の友人から5鉢ほど届けてもらっている。親戚や知人へのプレゼントに使い、一鉢を手元に置いて、実成りの鉢植えみかんをじっくりと楽しむつもりだ。これからみかん狩りの季節で、東京Photo_2 方面からの客は枝付きのみかんを喜んでいるが、鉢植えみかんを見ると、大概の人は驚いている。

 みかんの鉢植え栽培は40年近く前から行われており、毎年8月下旬から主に東京方面に出荷されているという。樹の背丈は約1m。このほど届いた5鉢のみかんは、既にヘソの部分が色付いているのもあった。友人の話で、Photo_3 へぇ~と感心し、「イキ」だなぁと思ったのは、この鉢植えみかんが、料亭などのコース料理のデザートに出されていたということ。デザートには季節の果物が定番だ。最近は、みかんは余り見られない。そう珍しくもなく、皮をむいたりするのが面倒なのであろうか。でも、鉢植えみかんが出されて、お客がそれぞれ自分で一つずつ枝からもぎ取るとしたら、どんな気持になるであろうか。

今は、その料亭への出荷もなくなった。需要がないとともに、仮に需要があっても作る農家の側が少なくなって、注文通りに応じられないという。鉢植えみかんのデザート。一度、試してみたい。

2007年10月 1日 (月)

「震度5弱」 小田原

 その時、私はわが家の2階自室でパソコンを打っていた。10月1日午Photo_5 前2時21分、神奈川県西部(北緯35.2°東経139.1°)を震源とする強い地震があった。小田原市国府津にある自宅は音をたてて揺れた。部屋には本や資料などが、まるで<ピサの斜塔>のように乱雑に積んである。これまでに感じたことのない揺れである。しばらく続いた。しばらく続くことによって少し安心Photo_4感が増した。激震は一挙に来て、有無を言わさず被害をもたらす、と考えているからだ。何秒か、何分か。幸いにして、揺れの割には<積んどく本>もそのままで、部屋の中で倒れたり、落ち たりするものはなかった。

 私はラジカセで普段NHKテレビを聞いている。番組 通りの放送がPhoto_6流れていた。多分、テレビは地震情報のテロップを流していると思い、1階の居間へ行こうと立ち上がった時に、番組は地震情報に切り替わった。聞けば、震源地は「神奈川県西部」というではないか。テレビはNHKにし、ラジカセは「FMおだわら」に周波数を合わせた。近くの小田原消防署川東(せんとう)分署に設置されている「小田原防災無線」が、地震の発生と余震への注意を呼びかけていた。間もなく救急車が出動して行った。居間のテレビをつける前に母の部屋へ行った。ベッドでいつものように眠っていた。この地域の地盤は緩い。大型車Photo_7両の通行で振動する所である。熟睡していれば、よほどのことがない限り気が付かない場合もある。

 自室に戻りパソコンで気象庁などの地震情報をみた。「01日02時21分頃地震がありました。震源地は神奈川県西部(北緯35.2°東経139.1°)で震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は4.9と推定されます」。気象庁地震火山部が午前2時38分に発表した内容で、各地の震度が記載されていた。神奈川は、震度「5強」が箱根町湯本、「5弱」が小田原市荻窪、「4」が真鶴町真鶴、「3」が小田原市久野、二宮町中里、松田町松田惣領---ほかで、わが家のある国府津はこの周辺にある。「FMおだわら」は、小田原市が午前2時55分に「防災対策本部」を設置したことを伝え、「箱根新道」の通行止めを、震度情報とともに繰り返し放送していた。

 今回の地震で気になるのが震源地。神奈川県西部では7月24日午前11時38分頃に震度3の地震を記録している。震源地は北緯35.3°東経139.1°、震源の深さは約10km、地震の規模は4.4と推定され、今回の地震状況とよく似ている。詳細は今後の調査分析に待たなければならないが、ちょっと不気味な兆しである。午前8時過ぎに、東京から安否を気遣う電話をもらった。気象庁は10月1日から「震度5弱以上」が予測される場合に震度4が予想される地域の「緊急地震速報」を流すことにしている。今回はその矢先の地震である。のんびり屋の私にも、少しは緊張感が漂ってきた---。

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