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Mukha

フォト

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2007年9月30日 (日)

バス道と橋 国府津

Photo_12  JR国府津駅前広場(小田原市国府津)の整備に伴う「バス進入路」が、いよいよ国道一号線とつながる。国道沿いの石垣はほとんど開削された。一方、国府津の森戸川の「富士見橋」拡張工事は、旧橋が総て撤去されて川幅も広がった。国道一号線の電線地中化工事などを含めて、国府津の町には昼夜にわたって建設の槌音が響いており、今、工事Photo_13 の真っ只中にある。完成工期は来年度と一応明示されているが、これまで、どれも延び延びになっており、やっと半分を過ぎたところか。住民にとって、騒音、振動を我慢しなければならない日々は当分続き そうだ。

 通称「唐沢」(からさわ)と呼ばれる国道一号線沿いの用壁(石垣)は、Photo_14「思った以上にPhoto_9強固に造られて」(発注元の小田原市)おり、取り壊しの時間が予想以上にかかっている。予定なら9月中には<貫通>しているが、台風などの影響もあって、国道とつながるのは10月初めになりそうだ。石垣の厚さは30㎝で、当初はPhoto_15一日(夜間工事)で 終わる仕事とみられていた。石とコンクリートをしっかりとPhoto_10固めてあった 。工事関係者にとっては厄介なことだが、その頑丈な仕事ぶりに感心した。手抜き工事がよく言われる昨今にあって、国道建設に携わった昔の建設業者の誇りが伺えるようだ。この感想は私ばかりではなく、取り壊し工事をのぞいた人は、皆、私と同じ感想だった。

 「富士見橋」。古い橋は完全に撤去された。川底に溜まっていた泥も取り除かれ、堤防も徐々に整えられて来ている。周辺には歩行者Photo_11等の安全のための防護網が張られており、歩行者や自転車は仮橋を通行しなければならない。そんな防護網の隙間や仮橋から見て、川幅がかなり広くなったことがわかる。今は。新しい橋を架けるための鉄材やコンクリート材が次々と搬入されている。工事中、台風や大雨による増水被害が心配されたが、幸い工事の影響は無かった。このまま、無事故で、増水被害がないままで工事が進んでほしい。

2007年9月29日 (土)

2人の大使の歓送会

Photo_2  本人の口から決意を聞くと、やはり心が弾む。「来年5月に再びエベレスト山頂を目指します---」。三浦雄一郎氏。プロスキーヤーで登山家。2003年5月22日に、世界最高齢の70歳7か月で初Photo_5登頂に成功し、ギネスブックに掲載されている。三浦氏は2008年には75歳を迎える。北京オリンピックの年であり、中国は5月に聖火リレーの「エベレスト越え」を計画しており、世界最高峰(8848m)は何かと話題を呼びそうだ。私は有名人と一緒の写真をあまり撮らないが、三浦氏にお願いして二人一緒の写真を撮ってもらった---。Photo_3

 9月28日午後6時30分から東京・六番町の主婦会館プラザエフで2人の大使の歓送会が行われた。大使は、前ネパール大使からウズベキスタン兼タジキスタン大使に就任した平岡邁(ひらおか・すすむ)氏(60歳)と、通関情報処理センター監事から新ネパール大使になる水野達夫(みずの・たつお)氏(59歳)。いずPhoto_4れも8月7日付けで発令されている 。主催は(社)日本ネパール協会。三浦氏はゲストとして招かれた。三浦氏は少なくても年に2~3回はヒマラヤを訪れており、「歴代の駐ネパール大使にご馳走になっている」そうだ。世界最高峰は3つの名前を持つ。「エベレスト」(イギリス人・エベレスト卿の名前にちなむ)、「チョモランマ」(中国名)、そして、「サガルマタ」(ネパール名)。エベレストはネパール領というかネパールに関係する8000m級のヒマラヤ8座の一つになっている。三Photo_6浦氏とネパールは縁が深いのである。

 ところで、大使歓送会の話。平岡氏は2004年9月から駐ネパール大使になり、昨年の「日本・ネパール国交樹立50周年」の様々な記念行事を開催した。その最中の8月に国名が「ネパール王国」から「ネパール」に変更されるという歴史的転換期に立ち会った。ネパールの、いわゆる「ピースプロセス」の動きを感慨深げに語っていた。水野氏は夫妻で顔を見せた。ネパールでは11月に国連の協力のもとに制憲議会選挙が予定されている。王制の問題を含めてネパーPhoto_7ルの国の在り方が大きく変貌することも予測されており、「少しでもネパールの国に貢献したい」と話していた。

 この日の参加者は約120人。日ネ協会関係者Photo_8、在日ネパール人をはじめ、平岡氏が赴任するウズベキスタンとタジキスタンでの仕事に携わっている関係者も多かった。両国は豊富な石油・天然ガスや鉱物資源の埋蔵国であり、先進国のエネルギー争奪戦とテロ対策の最前線でもある。両大使は参加者との名刺交換に丁寧に応じていた。司会者が、「大使に食事をとる時間を---」と声をかけていたが、「列」はあとを絶たず、二人はほとんど食事を口にすることができなかった。名詞交換を終えて三浦氏とテーブルを共にした時は、さすがにほっとした表情で談笑していた。2人の大使の活躍を期待するとともに、三浦氏の75歳エベレスト登頂を祈念する。

2007年9月27日 (木)

出席学生は初日66人

Photo_16  66人か、ちょっとシンドイな。文教大学(湘南キャンパス)秋学期の私の講座が9月26日から始まった。初日に出席した学生数は66人。春学期の初日(4月18日)は51人だった。毎回ではないが、講義と並行してできるだけ演習を行うようにしており、論文等の添削に正直時間がかかるからだ。春学期の初日の出席者は51人だが、登録学生数は60人だった。51人の内2人は<様子見>なのか、登録はしていなかった。また、登録はしていても一回も授業に出なかった学生が5人いた。従って、常時出席者は50人前後だった。秋学期の正式登録学Photo_17生数、つまり「受講者名簿」が後日大学側から届く。最終的人数はどうなるのか、それはともかくとして、66人の学年別内訳をみると---。

 一年次が45人(春学期登録数 23人)、2年次 が7人(13人)、3年次が12人(14人)、4年次が2人(10人)で、1年次の学生が圧倒的に多い。私の講座「テクニカルライティング」は専門教育科目(単位数 2)に分類され、受講するかどうかは学生の判断による。私の講義内容は、基本的には春・秋学期とも同じであるが、受講者の年次別学生数を配慮して微妙に中身を変えながら進めていくつもりでいる。パソコンなどIT機器の修得・使用法はやはり上級年次の学生が進んでおり、春学期の場合は新入生との差は著しい。このため、「情報処理課」に頼んで新入生に指導助手を付けたこともある。また、3年~4年次になると就職活動で、欠席することもしばしばあり、この<補講>も考えなければならない。補講といっても、私の場合は、別途、論文等を提出してもらうことである。2回目の授業は10月3日。学生数、年次別受講生を配慮しながら、講義の内容・進め方を改めて考えて行かなければならないだろう。

 ところで、この日、学生達による私の講座に対する「授業についてのアンケート」結果が届いていた。春学期授業最終Photo_18日の7月11日に行った。マークシート方式で対象は全教員。アンケートへの記入は強制ではなく、学生の意思に任されている。私に対するアンケートの回答者は、出席者47人の内の39人だった。アンケート項目は大きく分けて①あなた自身(学生のこと)のこの授業の取り組み状況②この授業の進め方と教員の取り組み③授業科目の内容---の3項目からなっており、さらに細かく、Q1)~Q16)までの設問がある。評価は5段階で、5(非常にそう思う)、4(ややそう思う)、3(どちらともいえない)、2(あまりそう思わない)、1(まったくそう思わない)となっている。

 アンケートで私が注目したのは、学生達が自らにつての評価と、要望や感想などの「自由記述欄」。Q2)の「予習復習に当てた1授業当たりの時間」では、「3~2時間」2人、「2~1時間」6人、「1時間未満」16人、「0時間」15人。ほとんどの学生が、<白紙の状態>で毎回授業に出席していることを<正直>に書いていた。こちらは、私に関係することだが、Q13)の「この授業から、この分野をしっかり勉強しなければいけないという意識が高まった」に対して、上記の5段階方式で、「5」が11人、「4」が17人、「3」が10人、「1」が1人で、平均「3.9」と、平均点の中では一番低かった。「自由記述欄」の記入者は5人だけで、「PC教室での授業でしたが、PCがほとんど有効に利用されていなかった」というのが1件(3年次)あり、この学生は授業内容について、Q11)の「この授業で基本的知識を得ることができた」の設問に「3」の評価をした他は、ほとんどが「2」(5項目)か「1」(4項目)という、何とも手厳しい評価を下していた。出席率については、自ら「90%以上」とマークしてあった。

 アンケートを書かなかった学生が、なぜそうしたのか、また、評価も意見もわからない。授業中に、パソコンで遊んでいる学生もいた。ただ、学生達の論文や作文等を読む限りでは、投げやりの答案が一枚もなかった。学生達が心の中で何を感じ、何を思っているか、私には知るよしもないが、「文章」および、「手書き文字」は、思った以上に「しっかり」しており、「きれい」だった。論文を何回か手直ししてメールで送信して来た学生もいた。66人(最終人数は不明)の学生の論文添削は厳しいが、また、やりがいのあることでもある。そう心して、次回からの授業に臨(のぞ)むことにしよう---。 

2007年9月26日 (水)

「米橋」稼動へ 小田原

 いや~っ、良かった。吉報だ。「米橋(よねはし)料理店」が再開するというのだ。経営者の米山(よねやま)昭さんからの便りだ。「米橋」はJR小田原駅の東口にほど近く、多くの文献を元に北条時代など関東武士が食べていた料理を再現し、郷土料理として提供しているお店である。米山さんは昨年末に病に倒れ、手術後のリハビリに励んでいた。再スタートは10月2日からだ---。

 「重陽の節句も過ぎ、月の美しい今日この頃となりました。さて、健康上の都合で休んでおりましたが、おかげさまですっかり回復して、包丁を持つに相成りました。以前のように全開フル回転とは行きたいところですが、まずは様子を見ながら、ブレーキを踏み踏みやらせて貰います。何卒、依然同様よろしくお願い申し上げます。 十月二日より始めます。毎週、火、水、木、金、夕五時すぎ~九時までとさせて戴きます。営業範囲はカウンター、一階の座敷。季節のそぞろを取り入れ、個性品を調整致します。米橋料理店」。葉書は25日に届いた。「---奥津さまよりうかがっております。国府津まで出向いてもよろしいです」との添え書きがあった。

 私は今、北条時代前の小田原城主だった「大森氏」を調べている。Photoその大森氏が食べた料理を米山さんがつくり、「再現関東武士・戦国の食卓」の題名で雑誌「歴史街道」2004年6月号に掲載された。写真・献立付きで、金沢文庫(横浜市)に伝わる史料などによる、とあった。私はこの話を米山さんからかねがね聞きたいと思っていた。国府津は私が住んでいる町である。奥津氏とは、国府津商工振興会長で、「徳川慶喜公の散歩道~別荘の街・国府津の人模様~」(夢工房)の著者。奥津氏の資料を元に、慶喜が食した「土筆御膳(つくしごぜん)」を米山さんは再現した。米山さんが退院後、二人は時々電話をしており、そこで私の話が出て米山さんが気を遣ってくれたわけである。ありがたいことだ。「大森氏の食卓」の話を早く聞きたいが、その前に、先ずは米山さんと祝杯をあげたい---。

 米橋料理店=小田原市栄町2-2-11 電話0465-22-4645 

2007年9月25日 (火)

ある学生からのメール

 「1セメで水曜日の4限に斎藤先生のテクニカルライティングの授業を取っPhotoていた情報学部経営情報学科のA(学籍番号と氏名を記入)です。6月20日の授業課題「レンズ付フィルムについて」の添削が一緒に授業を受けていた友達や先輩には送られているのですが、私には送られてきていません。私のファイルが斉藤先生に届いていなかったのかもしれないと心配になったのでメールをさせていただきました。文教の先生のアドレスに送れなかったので、こちらのアドレスに送らせていただきました。よろしくおねがいします」(学生の名前を除き、「斎藤」「斉藤」表記など原文のまま。8月21日午前8時21分着信)。

 私が非常勤講師を務めている文教大学(湘南キャンパス)の学生の話である。Aさん(私は男女を問わず「さん」付けで呼んでいる)からのメールが届いた時には、既に「平成19年度春学期成績表」を大学側に提出した後だった。しかも、大学側リストへの入力ミスがないかどうかの確認と、私の評価に訂正はないかどうかという「定期試験採点簿チェックリスト」の点検も終えた後だった。なぜ今ごろ、このメールのことをブログに書くのか---。それは、明日26日から始まる私の秋学期(2セメスター)初日の出席調査票に、学生全員のメールアドレスを記入させるつもりだからだ。学生の個人的なこと、つまりプライバシーに関わることについて、教員があれこれ聞くのは控えるようにと大学側から要望されている。授業に関係ないメール(そのアドレスを知ること)もその一つ。そこまで神経質にならなくても---という意見もあるが、現実問題として、全国的にみると学生と教員のトラブルがかなりあり、新聞紙上をにぎわしているからだ。

 私は、学生達の論文・文書作成にあたって、手書きとパソコン入力を使い分けている。パソコン入力の場合は、その文書をメール送信してもらっている。それぞれ添削して、手書き文書は手渡しで返し、時には、学生達一人一人に口頭でアドバイスしている。メールの場合も基本は同じで、添削して「返信」している。この時に私は初めて学生達のメールアドレスを知る。従って、メール送信が無い学生については、私はその学生とメールでやりとりを出来ないわけである。Aさんがその一人だった。Aさんと同じような学生は他にもおり、私は授業中に論文の未提出を注意していた。大概の学生は後日送信されて来ていたが、Aさんだけはなかった。また、出席日数がぎりぎりのうえに論文も未提出で、合否線上の学生については大学の「教育支援課」を通して連絡を取るようにしている。

 春学期(1セメスター)の私の講座への受講登録学生は60人。残念ながら出席日数が大幅に足りない8人を不合格にせざるを得なかった。Aさんは出席もよく、他の論文の成績もよかった。それだけで合格ラインを超えていた。私は、冒頭の「レンズ付フィルムについて」の論文が提出されないのを不思議に思っていた。Aさんが合否線上にいたら教育支援課を通して連絡を取っていたかもしれない。メールの送受信も技術の一つである。Aさんの論文が送られていたら、Aさんの成績は上がっていたかもしれない。こうした事情から、私は学生とのメールによる連絡体制の齟齬(そご)を防ぐために、秋学期の学生全員にメールアドレスを書いてもらうことを決めた。 このブログを学生達に読んでもらうつもりだ---。

2007年9月23日 (日)

Naraya Cafe & Guesthouse

Photo  えっ、と驚いた。「駅から0分」と案内には書いてあったが、まさかこんなに近いとは---。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下にある「Naraya Cafe & Guesthouse」、ナラヤカフェ アンド ゲストハウス。9月23日の正式オープンを前に 、22日 午後2時から開かれたオープニングパーティーに参加した。箱根登山鉄道「宮ノ下駅」の、文字通り目の前にあった。子ども達が遊んでいた「足Photo_2湯」に目が行かなければ、うっかり通り過ぎるところだった。気が付けば、「宮ノ下駅」上り線の乗降 客がプラットホームから身を乗り出して興味深Photo_7げに眺めていた。

 「Naraya Cafe & Guesthouse」(以下、ナラヤカフェ)は、箱根Photo_3に300年続き、2001年(平成13年)6月に幕を閉じた名門「奈良屋旅館」が母体。その旅館従業員寮を改装したものだ。9月6日付けのこのブログでも紹介したが、経営者は安藤義和・恵美ご夫妻。義和氏は東大大学院の学究生活から転進した。出身地の箱根・宮ノ下に、もっと元気を出してほしいという願いか らだった。中学時代の友人とともに設Photo_9 計し、大学時代に知り合った各校のボート部仲間の協力Photo_5でナラヤカフェは完成した。挨拶で、「奈良屋旅館を閉じた時には喪失感に襲われた」と話していた。その喪失感を元に戻し、伝統の「奈良屋」の名前を復活させ ようという想いが 、ナラヤカフェPhoto_8建設への力の源泉だった。恵美夫人は二人目の子どもを身ごもっており、子育てをしながら建設を手伝った。その<産みの苦しみ>を味わっているだけに、「ナラヤカフェを、子ども達と同Photo_4じように一人前に育てたい」、と義和氏に続いて、感情を込めて話していた。

 建物は、トタンの壁面をあえてそのまま残すなど、昔日の姿を伝える工夫も凝らされている。23日Miyanoshita_m20 の正式オープンを前に、改装後一か月間、ナラヤカフェをプレオープンした。足湯の担当は、奈良屋旅館の最後の当主だった安藤紀之氏。義和氏の父である。自らが管理する源泉からお湯をひき、毎日、管理している。足湯は無料である。宮ノ下には外国人泊まり客の多い「富士屋ホテル」がある。プレオープン中、よく外国人が利用していたと紀之氏は話していた。ナラヤカフェは、ゲストハウスや駐車場など、まだまだ手を入れ、整備しなければならないところが多い。ギャラリーには、「奈良屋旅館」の看板が置かれていた。郷愁に浸りつつも、新たな門出に向けて、義和氏のご両親、恵美夫人の母親ら、家族総出で汗を流していた。

2007年9月22日 (土)

駅前道路が国道へ 国府津

Photo  厚さ30㎝の石垣を取り壊せば国道一号線と結ばれる。JR東海道線「国府津」駅前広場の整備に伴うバス進入路の掘削は着々と進んでおり、9月27日から国道と結ぶための石垣開削作業に入る。石垣は高さ約7mで国道わきの歩道沿いに設けられている。今回開削されるのはこの内の長さ約10m。「平成19年度国府 津駅前広場東側道路新設工事」で、工事発注者の小田原市と施工業者はこのほど近隣住民らに工事日程を通知した。期間は27日~10月18日までの予定で作業時間は午後9時~午Photo_3前5時。交通を配慮して総て夜間作業となっており、工事中、国道一号線は片側交互通行となる。駅周辺は電話線の埋設、電線移動など工事ラッシュが続いており、石垣の取り壊しが始まると混雑に拍車がかかり、歩行者への一層の安全配慮が求められる。

 新設道路はバス専用線で国道から進入する一方通行となる。Photo_4駅前広場東端から、マンションと喫茶食堂・民家の間を南に向かって掘り下げて行った。道幅は大型バスが通るのがやっと。掘削は用壁の整備と並行して進められているが、国道へ通じるために残っている掘削箇所は石垣だけとなった。石垣の厚さは30㎝、今の技術をすれば簡単に取り壊せる。ただ、眼下に歩道があり、国道が走っている。交通量の少ない夜間の工事とはいえ、細心の注意Photo_5が必要だ。また、開削から供用までかなりの時間があるため、国道からの<進入者(車)>が無いようにするため、それまでの管理を怠るわけには行かないだろう。

 夜間工事は当初、8月20日頃からの着工予定だった。周辺の電気・電話その他の工事の影響や台風などで、工事日程はかなり遅れている。今後は、現在のタクシープールを西側の旧自転車置き場に移しPhoto_6、駅前広場の本格整備に入る。これまでの工事告知は国府津駅周辺住民・商店等だけですんだ。これからは国府津駅から離れた地域からバスやマイカー、また、自転車による通勤、通学客に大きく影響するため、工事内容と日程の告知範囲を広げ、現場では、交通誘導員による指示とともに安全誘導路の看板設置も必要だ。

2007年9月21日 (金)

女子中学生襲われる

  学校の二学期・秋学期が始まったら、早速、小田原市の「安心・安全メール」が飛び込んできた。女子中学生が男に襲われた事件である。幸い逃げて無事だった。集団登下校、父兄や自治会有志によるパトロールも春と同じように行われているが、変質者・犯人はそのスキを伺いながら動いている。けがはもとより、子どもたちに取り返しの被害が出ないようにしなければならない。子どもたちを守るために、学校・社会の監視の目を緩めてはならない。

<学校からの情報>
 9月19日(水)午後6時20分頃、酒匂印刷局宿舎付近で、一人で帰宅途中の女子中学生が、背後から手で口をふさがれるという事件が発生しました。生徒は走って回避し、けが等の直接の被害はありませんでした。男の特徴は、若い茶髪の男。なお、同様の事件が9月14日(金)に、酒匂幼稚園付近においても発生しています。(20日午前11時11分着信)

 NPO法人「CAPセンター・JAPAN」----。 「小田原にCAPを 広める会」というチラシが市内の中学校に掲示されていた。「CAPおとなのワークショップ」の案内で、ワークショップは既に実施済みだが、教職員や子どもたちへのCap啓蒙のためか、チラシはそのまま残されていた。CAPは「Child Assault Prevenntion」の略で、子どもへの暴力防止プログラムの意味。子どもたちが誘拐、いじめなど、いろいろな暴力にあいそうになった時に、どうしたらいいのか、自分を守るためにどんなことが出来るかを一緒に考える教育プログラムである。

 歴史は古く、CAPプログラムは1978年にアメリカで開発された。198Cap_25年に日本に紹介され、1998年に各グループのネットワークセンターとして「CAPセンター・JAPAN」が設立された。CAPスペシャリストの指導のもとに、子どもたちが、ただおとなに守られているだけの存在ではなく、自分で解決方法を考えて困難に立ち向かう勇気と力を育てていいてほしい---という願いが込められている。行政からの支援を受けて、学校の授業の中にCAPプログラムを取り入れているところもあるらしい。子どもたちを取り巻く現状を考えた時、子どもたちを守るためには、尽くせる手段は、どんどん採(と)るべきだろう。

2007年9月20日 (木)

再び、的川泰宣氏登場

 月周回衛星「かぐや」の続報である。やはり、的川泰宣氏(宇宙研究開発機構)の解説を聞きたい。東奔西走の中で寄せられたメールである。NHKの「視点論点」で「かぐや」について話すことになり、その収録を19日に終えたという。放送の期日は未定のようだ。放送は夜10時50分から始まる。見逃さないように注意しなければ---。(9月19日午前11時53分受信)

 「かぐや」順調 9月14日に打ち上げられた「かぐや」の管制チーム(本拠地:相模原キャンパス)は、その後も順調に作業をこなしています。三軸姿勢の確立・慣性指向の確立、太陽電池パドルの展開、高利得アンテナ(HGA)の展開がなどはいずれも正常に行われ、その後、NASAゴールドストーン局からのコマンドにより、HGAのS通信リンクも確立、また、ロケットが「かぐや」を地球周回軌道に投入する際の小さな誤差を修正するための軌道修正も正常に完了しました。

 月といいタイミングで出会うための軌道周期の調整を現在進めており、10月4日には月周回軌道に投入されます。その後は、高度100kmの円軌道になるまで徐々に軌道を落としながら、その途中で2機の子どもの衛星を放出します。早く最初の映像が届かないかなあ。楽しみですね。

 私は、昨日仙台に日帰りして来ました。東北地方で盛り上がっている大学生たちのロケットやローバー開発などの取り組みをNHK秋田が特集するのでお付き合いしたのですが、優秀で情熱の溢れる若者がいっぱい育ってきていますね。東北大学や秋田大学で指導する先生方もお疲れ様です。頑張ってください。

 今日は夜遅くNHKの視点論点の収録です。「かぐや」についてしゃべります。オンエアはいつなんでしょうね。分かりません。明後日からIAC(国際宇宙会議)のためにインドのハイデラバードに出かけるので、それまでに片付けなければならない用件が山積しています。まあ誰も同じでしょうが……。ハイデラバードも、先ごろのテロでいろいろと危ぶまれてい ますが、大会を成功させるためには、立場上は行かざるを得ないですね。(YM)

2007年9月17日 (月)

ストップ「交通禍」 小田原 

Photo  「小田原警察署管内の人身交通事故発生状況 平成19年8月末現在 小田原警察署交通課」---。連休初日の9月16日の新聞各紙にこんなチラシが折り込まれていた。地域別、路線別、類型別の数字を詳細に並べてあり、「死亡事故の大半は、『スピードの出しすぎ』、『わきみ運転』、『横断歩行者妨害』」と、原因と注意をイラストで訴えている。私は初めて見るチラシ。以前から行っているのか、警察署独自でやっているのか、新聞販売店が協力してPhoto_2いるのか。電話を入れたが休日で担当者がいなかったために確認できなかったが、なかなか効果的なチラシだと感心した。連休初日という折り込みのタイミングも時宜を得ている。ドライバーに対して刺激になる。今後も定期的に続けてほしい。

 小田原警察署の所轄地域は、小田原市、箱根町、湯河原 町、真鶴町の4市町。平成19年8月末現在の人身事故発Photo_3生件数は計1104件(前年同期1206件)と前年より減少している。しかし、死者は8人(同3人)と増え、事故件数も高齢者(306人、前年256人)と歩行者(172人、同153人)が増えている。路線別の死者は「箱根新道」(3人)がトップ。スピード違反等の取締強化地域であることが頷(うなづ)ける。類型別事故は地域(大字名)別に掲載されている。私が住む国府津はどうか。計37件。市中心部の「扇町」(59件)、国府津隣接の「前川」(38件)に次いでワースト3。国道一号線、県道と多くの路線が走っているためか。車両相互の「出会い頭」(14件)と「追突」(11件)事故が目立つ。幸い、死亡事故は起きていない。

 チラシは数字の羅列であるが、地域別に載っているため、「自分が住む地域はどうか」と、思わず目で探したくなる。このチラシを目にして、小田原警察署のホームページを改めて開いた。交通関係には、「ヒヤリ・ハットMAP」というが2地区載っていた。「万年地区」と「町田小学校付近」。「交通安全マップ」というのが1地区で「下府中小70013_65_2 学校付近」。事故多発地帯で、万年地区は高齢者の交通事故防止対策の重点地区に指定されている。また、「生活道路モデル地区」マップもある。国府津にほど近い中里・鴨宮地区で、ロビンソン百貨店など大型店舗の進出が著しい場所である。それぞれの地区内で発生した事故件数とその状況が明記されている。ホームページにこれだけ詳細に載せ、ドライバーへの注意を呼びかけていることを知ると、新聞折り込みチラシの制作は、いとも簡単だろう。

 「小田原警察署管内の人身交通事故発生状況」チラシ---。地味ながら、ドライバーの自覚を促がし、輪禍防止への大きな力の一つになるだろう。

2007年9月16日 (日)

駒ヶ岳山頂の狛犬 箱根

 狛犬のそこだけが霞んで見えた。14日に狛犬探訪に出かけた。目指Photo_8すは箱根駒ヶ岳山頂にある箱根元宮。山頂は霧に包まれて数m先も見えない。案内標識と補修した道を頼りに10 分余り歩いてたどり着いた。狛犬は、元宮近くの石祠前に置かれていた。大きさは50cm足らず。コケと笹に覆われ、刻字があるかどうかもわからない。祠の中には「駒形大神」と彫られた石の額が入ってPhoto_4 いた。元宮には二組の先客がいたが、所在無さそうに弁当を広げお茶を飲んでいた。駒ヶ岳は海抜1357m。天気が良ければ富士山はもとより神山(1438m)など箱根連山と芦ノ湖が眺望出来る。この日は何も見えない。しかし、私にとっては、霧の中の狛犬が幻想的に見えた。周辺は昔の祭祀跡で奇岩がごろごろしPhoto_5ている。修験道の霊場に迷い込んだ感じで、異様な雰囲気の中での狛犬探訪となった。

 箱根元宮の例祭は10月24日。箱根神社(濱田進宮司)の神官による御神火祭(きり火神事)が行われる。箱根神社は今年、御鎮座1250年。その記念誌に駒ヶ岳山頂の狛犬が写っていた。幸い、芦ノ湖畔近くからロープウエイ(1800m、 7分間)が運行されている。とにかく、狛犬を確認し、見てみたPhoto_6かった。狛犬は江戸タイプで、狛犬そのものは驚き、感心するような<作品>ではない。そのことは写真を見た段階で予測できた。意義は狛犬が奉納され鎮座する場所にある。駒ヶ岳の名前は山容が「駒」の形に似ているところから付けられ、また「高麗」に通じると言われているが、濱田宮司はこう言っている。「修験者や参詣者が霊山箱根の山に参籠して、山神を跪拝Photo_7(きはい)した籠(こも)もり山(岳)から出た山名であり、信仰であると考えます」(御鎮座1250年大祭記念「箱根神社」誌)。霧の中の古代祭祀跡に身を置くと、宮司の言葉に説得力を感じる。

 箱根は観光客でそれなりににぎわっていた。ゴンドラは家族連れなどで混んでいた。山頂は霞んでいたが、途中のロープウエイから見る景色は明るく輝いていた。富士山も雲の間に間に頭をのぞかせていた。箱根元宮の御神火祭が終わると、箱根は紅葉へと色付くそうだ。青いトリカブトの花も見頃というが、狛犬は笹の葉に覆われて、振り向く人はいそうもない。「天の岩戸開き」にならい、世開きを祈念して、浄火を切り出す御神火祭。「駒形大神」の祠前の狛犬と一緒に見てみたい。

2007年9月15日 (土)

「かぐや」月へ!!

 月周回衛星「かぐや」を搭載した大型ロケット「H2A」13号Topics_20070913機の打ち上げに成功した。14日午前10時31分に打ち上げ、約45分後に「かぐや」の分離を確認した。午後6時52分には「ハイゲインアンテナ」(高利得アンテナ)展開の信号を受信し、衛星搭載カメラの画像が公Liftoff_00s開された。「かぐや」 は今、月周回軌道投入へ向けて順調に航行中である---。「かぐや」には月へ向けた私を含めた数多くの方々からのメッセージを託している。打ち上げは、天候等による2回延期のあとの成功だ。ガンバレ「かぐや」 久しぶりにPhoto_2壮快な気分である。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、打ち上げの記録映像をホームペ ージで流している。アナウンスとは異なるが、プレスリリースによる打ち上げシーケンス(速報)によれば、こんな実況になる。「リフトオフ」(0分0秒)→「固体補助ロケット点火」(0Liftoff_03分10秒)→「固体補助ロケット分離」(1分29秒)→「固体ロケット・ブースター燃焼終了」(1分50秒)→「固体ロケット・ブースター分離」(2分4秒)→「衛星フェアリング分離」(4分29秒)→「第1段主エンジン燃焼停止」(6分42秒)→「第1段、2段分離」(6分Liftoff_0450秒)→「第2段エンジン 第1回推力立ち上がり」(7分0秒)→「第2段エンジン 第1回燃焼停止」12分14秒)→「第2段エンジン 第2回推力立ち上がり」」(40分41秒)→「第2段エンジン 第2回燃焼停止」(44分3秒)→「衛星分離」(45分34秒)。ロケット打ち上げ時の天候は晴20070915_kaguya_2れ、東南東の風5.9m/s、気温29.8℃だった。

 「H2A」ロケットは三菱重工業が製造し、JAXAが「かぐや」を造 た。ロケットや衛星について、私は皆目わからない。でも関心は高い。原点は<宇宙への夢>である。JAXA20070915_kaguya2_1は、打ち上げライブ中継視聴者にアンケートを募っている。その「Q7」で「宇宙活動に 係する出来事をご存知ですか」と10項目あげている。①「土井宇宙飛行士のスペーシュシャトル搭乗決定」②「冥王星が『惑星』の分類から外れる」③「太陽観測衛星『ひので』打ち上げ」④4「スペースクチュールコンテスト開催」⑤「技術試験衛星『きく8号』打ち上げ」⑥「若田宇宙飛行士の日本人初国際宇宙ステーション長期滞在決定」⑦「星出宇宙飛行士のPhotoスペースシャトル搭乗決定」⑧「小惑星探査機『はやぶさ』 地球帰還開始⑨「宇宙日本食を認定」⑩「火星探査機『フェニックス』打ち上げ(NASA)」---。

 この中で私は⑧をよく知っている。「はやぶさ」の帰還を首を長くして待っている一人で、自室には「はやぶさ」の小惑星「イトカワ」までのミッションを紹介したポスターを掲げている。その他、知っているのは半数くらいか。でも、その数は問題ではない。知らない事が多ければ、その分「知る楽しみ」が増えるからだ。「かぐや」がとらえた月の表情を早く見てみたい。

2007年9月14日 (金)

魚拓・藍染・非木紙・女流展

 小田原市内の画廊などをまわり、13日(木)、4つの展示会をみてきた。市内の画廊は毎週月曜から水曜日にかけて展示替えをして新たな一週間の企画展や個展を開いている。今週は偶然にも友人・知人の展示会が重なり、駆け足でまわってきた。

 「藍虹舎展」年一回の藍染のグループ展。藍虹舎(加藤水紅主宰)のメPhotoンバーによるもので今年で17回目。今回は8人がメーンテーマの風呂敷と自由課題の作品を並べている。私はこれ までに作務衣や暖簾(のれん)を手にいれているが、今回は絞りの風呂敷一枚を購入した。(9月13日~17日:アオキ画廊0465-24-0 637)

 「女流展」油絵やコラージュの展示会。小田原女流美術会(豊島シPhoto_2ズ枝会長)のメンバーによる。色使いが明るく、会場が華やいでいる。メンバーの笑声が会場を一層明るくしている。(12日~17日:ギャラリー新九郎=伊勢治書店3F=0465-22-1366 )

 「フェアトレードと手すきの紙展」発展途上国で作っ ている紙(和紙など)とPhoto_3それを使った作品を展示。13日はワークショップ「森にやさしい非木紙(ひぼくし)の手すきはがきを描いてみませんか」と題した絵てがみ教室が開催された。非木紙とはジュート、コゴン草、ロクタなどの雑草から作られた紙のこと。私はジュートの「新聞入れ」が気に入った。国府津に店がある「ちえのわハウス」の主催 。(11日~18日:おだわら女性プラザCHAT茶っと=音羽プラーザビル2階)

 「美術魚拓展」水性絵の具や顔祭彩などを使って和紙に魚を写し取っPhoto_4たカラフルな作品が16点。魚拓グルプ(宮本紅魚代表)メンバー4人が出展している。イワナやヤマメの川魚からエビ、タコの海生生物まで素材は様々。宮本氏は、魚ばかりではなく植物や果物なども写し取っているため、自らの作品は「拓画」と表している。(1日~30日:「はげ八鮨」ギャラリー=オービックビル=0465-22-0945)

2007年9月13日 (木)

安倍首相 最後のメルマガ

Photo  何とも突然で無責任極まりない退陣劇だ---。9月12日の安倍晋三氏の「首相辞任」表明である。新聞は号外を出し、テレビは番組を変更して放送していた。そんな中で、私が注目していたのは、辞任表明記者会見直後の「官邸ホームページ」と毎週木曜日に送られてくる「安倍内閣メールマガジン」の取り扱いだった。私が12日夕方に開いた官邸HPは、「安倍総理の演説・記者会見等」の項目に、「安倍総理冒頭発言」と「質疑応答」の順に写真付きで掲載されていた。辞任関係記事はここだけで他の欄には見られなかった。これはこれで結構なことだと思った。

 一方、安倍内閣最後のメルマガ(第46号)はどうか。着信は13日午前8時19分、いつもと同じ時間帯だった。[こんにちは、安倍晋三です]は載っていた。ケジメをつけるためには当然のことであろう。文中に「無責任」と自らに対する言葉がある。この言葉は記者会見にはなかった。あとは記者会見の中身の繰り返しで、安倍氏の心の内を語っているとは到底思えない。私は安倍首相のメルマガを何回かブログに掲載してきた。マスコミ報道の行間を読み取れないか---という気持からだった。文言に空虚さを感じる。いずれにしても、残念というより、後見の悪い退陣劇である。

● 改革、テロとの闘いを前に進めるために

 こんにちは、安倍晋三です。

 内閣総理大臣の職を辞することを決意いたしました。

 7月29日の参議院選挙の結果は、大変厳しいものでしたが、改革を止めてはいけない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならない、との思いから続投の決意をし、これまで全力で取り組んできました。また、先般のAPEC首脳会議が開催されたシドニーにおいて、テロとの闘い、国際社会から期待されている、高い評価をされている活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない、と
申し上げました。

 国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思いで、活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくりについても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべきと考えてまいりました。

 そのために、私は何をすべきか。局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると考えました。

 改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけですが、今の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければならない。そう判断するにいたりました。新たな総理のもとでテロとの闘いを継続していく。それを目指すべきではないだろうか。今月末の国連総会へも、新しい総理が行くことがむしろ局面を変えていくためにはよいのではないか、と考えました。

 決断が先に延びることで困難が大きくなる、決断はなるべく早く行わなければならない、と判断いたしました。無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。

 約1年間、メルマガの読者のみなさん、国民のみなさん、ありがとうございました。この間にいただいた、みなさんの忌憚のないご意見、心温まる激励を、私は決して忘れません。 私は官邸を去りますが、改革、そしてテロとの闘いは続きます。これからも、みなさんのご支援をお願いします。(晋)

2007年9月11日 (火)

砂に埋まったプール 国府津

Photo_5  なるほど、これは酷い。話に聞いた通りプールは砂で埋まっていた。相模湾に面した国府津海岸にある小田原市のプール。6日~7日にかけて小田原を直撃した台風9号による被害だ。プールばかりではない。波は西湘バイパスを襲い、防波堤を乗り越えて海岸通りのフェンスを壊し、周辺駐車場のシャッターを吹き飛ばした。海岸通りに積もった砂と側溝を埋めた砂は、役所によって緊急に除去されたが民地の砂はそのまま。また、雨なPhoto_6どが降れば側溝に流れ込む恐れがあり、バケツ片手に砂の除去に汗を流す住民の姿が目立つ。復旧の見通しがつかないバイパスの通行止めなど、台風の影響は大きく、かなり後を引きそうだ。

 こんな状態であるから、プールのことなどは後回しになって20070906115240いる。やむを得ないことだ。プール(25m)は西湘バイパス高架下の海岸にあり、海水を利用している。砂浜か らの高さは3m。波はこれを超えてきた。相模湾を眼下にのぞむマンションに住む友人は自室から波を携帯電話で撮った(写真は6日午前11時55分頃撮影)。この時はまだ窓を開けていられたが、夜から翌朝までは窓を開けるどころではなかったという。波はバイパスを越えて行った。プールなどはひとたまりもないわけだ。役所とPhoto_9しては、まだまだ先に復旧を急ぐところが多く、プールは当分、手付かずの状態だ。浜辺を散策する人や釣り人は、プールの状況を見て、改めて台風の恐ろしさを実感している。私もその一人である。

 西湘バイパPhoto_7スで被害を受けたのは、二宮インターチェンジ(IC)付近の下り線。ICの東側で1km、西側で110mにわたって擁壁が倒壊・損傷し、道路が崩壊し、上りで「大磯西-橘IC」間の5km、下りが「大磯西-国府津IC」間の7.8km区間が交通止めになっている。この影響で併走する国道一号線は最大7kmにわたってPhoto_8渋滞するなど大混雑している。このため、バイパスを管理する国土交通省横浜国道事務所と中日本高速道路は、「小田原厚木道路」(小田原-厚木市:約32km)をバイパスや国道一号線利用者の迂回(うかい)路として利用してもらうために、通行料(二区間計700円)を10日午後2時から全線無料とした。この無料化はバイパスが復旧するまで継続することにしている。

 「こんな台風は初めて」と長老は話していた。酒匂川の堰止めや相模湾への突堤建設で、国府津の海岸に砂が貯まらず、波に浸蝕されるばかりで、海岸は年々やせ細っている。極端に言えば、海岸道路前で波打っている状態だ。宅地開発にともなうがけ崩れもあった。突風によるみかんの木々や樹木の倒壊も多かった。自然の猛威に逆らう事は難しい。だが、今回の台風被害は、必ずしも総てが自然災害とばかり言いきれないところがある。

2007年9月 7日 (金)

「FMおだわら」と災害情報

Photo  「小田原市役所からのお知らせです。水防警報が出ています。森戸川、早川、狩川、山王川の河川が増水しています」「西湘地区に大雨・暴風・洪水・波浪警報、足柄上地区に大雨・暴風・洪水警報が発令されています」---。「FMおだわら」は6日夜から7日朝にかけて、台風9号情報を放送し、停電対策、避難体制への準備など、終日、市民への注意を呼びかけていた。その後は、市 内小中学校の登校変更時間を繰り返し流していた。私がラジオを「ON」したのは、台風9号が小田原付近に上陸し、台風の目に入っPhoto_2た7日午前2時過ぎだった。「FMおだわら」の緊急災害放送の様子を知りたかったからだ。

 「FMおだわら」は、地域密着型のコミュニティ放送局として今年3月に開局した。小田原で初めてのFMラジオ局で、周波数/送信出力は78.7MHz/10W、小田原市役所内に局を置いて放送している。「災害時、緊災害放送に切り替わる」ことになっているが、この状況が具体的にわからなかった。と言うのは、私の家では放送が聞きにくいのだ。私の家ばかりではない。電波が届きにくく、聴取者が少ないのが現状だ。そこで、小田原市の広報広聴課に「FMおだわらにおける災害時の特別放送の状況について」調べてもらった。小田原市が「FM小田原株式会社」の出資者の一人であり、番組編成に多少なりとも関わっているからだ。回答は以下の通りだった。Photo_3

 ①平成19年7月4日午後8時~5日午前10時。大雨・洪水警報発令に伴い、市内降水量情報、道路状況、河川増水状況、冠水・増水・土砂災害に対する注意喚起②7月14日午後4時~15日午後1時。台風7号接近・上陸による大雨・洪水警報に伴うもので、内容は7月4日と同じ③7月15日午前7時~午後1時。山王川氾濫警戒水位による避難準備情報発令に伴うもの④8月17日午前1時~7時。南米西部地震による太平洋沿岸への津波注意報発令に伴う注意喚起---この他にも、行方不明者(徘徊)など防災無線を通じて広報した内容を随時放送している(9月4日現在)。

 私は、9月7日の放送を聞いて、その状況がある程度わかった。中身についてはもの足りないが、局が発足してまだ間もなく、経験不足やスタッフなどの問題でやむをえないと思った。私がこの緊急災害放送にこだわる理由は、一言でいえば、タクシーやマイカードライバーに、車内ラジオを「FMおだわら」の周波数に合わせてもらいたい、「FMおだわら」を聞いてほしいからだ。交通情報、鉄道運行状況等は時々流しているようだが、加えて「交通事故」「火災情報」「不審者情報」「気象」---等々、「FMおだわら」を聞いていれば、リアルタイムで小田原市内と周辺地域の様子がわかるようにしてほしいものだ。

 「FMおだわら」は、家庭では聞こえなくても、移動中の車内では聴取できるようだ。せっかくの小田原のコミュニティ放送である。放送内容に工夫を求めるとともに、私達はもっと「78.7MHz」に周波数を合わせ、気が付いた事は提言するようにして、「FMおだわら」を育てようではないか。(写真は上=番組表の案内、中=台風9号の小田原上陸を伝えるNHKテレビ、下=増水で落下した酒匂川に架かる十文字橋:神奈川新聞から)

2007年9月 6日 (木)

「NARAYA CAFE」 箱根三題

Photo  「NARAYA CAFE」が9月23日(日)に箱根・宮ノ下にオープンする。一軒のカフェの開店案内といえばそれまでだが、その母体が「奈良屋旅館」と聞けば、目をひきつけられる人も多いのではなかろうか。奈良屋は300年余りの歴史を持つ老舗旅館で、高級ホテル「富士屋ホテル」と並ぶ箱根の顔だった。2001年(平成13年)6月に相続の負担などにより幕を閉じた。(株)奈良屋が従業員寮として所有していた4棟を利用して計画されたのが Naraya Cafe & Plan_birdview_j_2Guesthouse」。規模などは比較にならないが、精神的な<奈良屋の復活>である。経営は安藤義和・恵美ご夫妻。義和氏は東大大学院から学究生活への道を転進して、故郷に帰ってきた。Naraya_history5

 奈良屋旅館の創業は江戸元禄期(1700年前後)にさかのぼり、諸大30c7da0cb918a8924382932cb9246a61名が本陣として宿泊。幕末以降 は外国人達の滞在先となった。箱根の格式高い旅館だった。奈良屋は後に「Naraya Hotel」と改称して、「富士屋ホテル」と熾烈な顧客争奪戦を繰り広げた。1893年(明治26年)に両者で協定を結び、富士屋は外国人専用、奈良屋は日本人専用と棲み分けた。大正初期までの話である。私は一度も宿泊したことがない。2001年6月の閉館時、最後の一日を記録したテレビ番組がある。私はこのビデオを義和氏の父・安藤紀之氏から拝受した。車に乗った紀之氏ご夫妻が門から出て行く最後のシーンが印象に残っている。従業員寮のことは聞いていた。空気の入れ替えを兼ねて、時々、何かの会合の場として使わしていたようだ。あれから6年、息子の義和氏が「Naraya Cafe & Guesthouse」として蘇えらせた。22日(土)午後2時からオープニングパーティがPhoto_2あるそうだ。

 「箱根富士屋ホテル物語」(増補版=千早書房)が4月に出版されている。著者は旅行作家の山口由美氏。ホテル創業者・山口仙之助の曾孫である。富士屋ホテルの紹介とともに、経営が山口一族から他の手に渡る<事件>などが語られている。奈良屋旅館の閉館に触れ、「当時、奈良屋は、関係者に送った挨拶状の中で閉館の理由を次のように綴っている。<先代女将や私共には十二代当主の相続を契機として生じた諸問題に翻弄されるという実情がございました> 富士屋ホテルがそうだったように、老舗をゆるがせたのは、経営的な業績不振ではなくて、一族の間に生じた軋轢の結果だった---」と書いている。そんな経緯を知る彼女にとって、 <奈良屋の復活>は、諸手を挙げて歓迎し、喜びとするところではなかろうか。

 箱根町教育委員会(電話0460-85-7601)は、「文化財建造物探訪会『老舗旅館めぐり』」を定期的に開催している。富士屋ホテルもその一つに含まれているが、今回9月20日(木)の日程は「福住旅館」「福住楼」「環翠楼」の3か所。会費は食事付きで4800円。定員は25人。応募者は多く、いつも抽選だ。「福住楼」の主人は私の高校時代の友人。何回かお邪魔しているが探訪会で参加しようと申し込んでも何時も外れ。今回(申込締切は10日)もどうなるやら。でも、箱根へ行く楽しみは増えた。富士屋ホテルの喫茶によく立ち寄るが、これからは「NARAYA CAFE」へも顔を見せなければ---。コーヒーのはしごもわるくない。

2007年9月 5日 (水)

「かぐや」の船出 的川泰宣氏

 「かぐや」の船出---。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の的川泰宣氏のコラムを掲載する。氏は私のブログではおなじみである。体調を崩していると聞いて心配していたが、どうやら順調に回復しているらしい。天体・宇宙といえば、やはり的川氏の解説は欠かせない。Photo_3(TPS/J=日本惑星協会=メール「Y・Mコラム」第398号:5日11:27受信)

 いよいよ9月13日、アポロ計画以来最大の月ミッションが、H-IIAロケットに乗って種子島から船出します。JAXA(宇宙航空研究開発機構)が世界に先駆けて送り出す「かぐや」です。既報のとおり、SELENE (Selenological and Engineering Explorer) というミッション名に加えて、一般公募の結果「かぐや」という愛称がつけられました。Kaguyaと書くと、外国の人は大体guにアクセントを置いて発音するので、「かぐや姫」にならないで「家具屋」になるという難点があるのですが ……。

 「かぐや」につづいて中国の「嫦娥」は国慶節に、インドの「チャンドラヤーン」も来年初頭には月へ向かいます。来年から始まるNASAの一連の月探査機と併せ見ると、まさに世界中に「ふたたび月へ」というムードが漂い始めているのですね。「世界で最も月を愛する国民」と言われる日本が、そのムードの火付け役になっていることは、実に感慨深いことだと思いますし、誇りにも思います。

 1986年に改訂された日本の「宇宙開発政策大綱」は、先ごろ亡くなった野村民也先生(日本惑星協会理事長)が宇宙開発委員会をリードして作り上げられたものですが、その一節に次のような記述があります──「人類にとって身近な天体である月を拠点Photo_2とする宇宙活動は、地球外天体に人間が宇宙活動を広げていく場合の第一歩である」。このように位置づけた上で、日本が精力的に月探査の取り組みを進めることを高らかに謳っています。これは蓋し卓見であり、多くの人々から喝采を浴びたのですが、時はバブル破れの厳しい時期であり、また他にもさまざまな事情があって、リフトオフが適いませんでした。その後、旧NASDA(宇宙開発事業団)と旧ISAS(宇宙科学研究所)が四つに組むかたちでSELENE計画が立ち上げられ、JAXAに引き継がれて、このたび多くの困難を乗り越えてついに打ち上げの運びとなりました。関係者のご苦労に心からの敬意を表します。

 「かぐや」には、十四種類(数え方によっては十五種類)の科学機器が搭載されています。地形がどうなっているかを調べる高度計、立体画像を撮るカメラ、月の磁場を調べる磁力計、月の岩石の鉱物やその鉱物がどんな元素を含んでいるかを調べる分光計、月の内部の質量・重力分布がどうなっているかを調べる装置などです。「かぐや」のカメラが提供してくれる画像はこれまでにない高画質なもので、月面の地形がこれまでよりも格段によく分かります。それも高さの情報を含む立体画像になるので、非常に面白いものになるでしょう。またNHKのハイビ ジョンカメラも搭載されますが、これは私自身が話のきっかけを作ってNHKとSELENEチームとの橋渡しをしたので、実現までには山も谷もありましたが、感慨深いものがあります。

 アポロ計画は、「月が誕生した頃は高温で、マグマオーシャンというマグマの海があったこと」を発見しました。それまでは、惑星(や月)は低温の状態で形成されたというのが一般的な考え方だったので、大きな転換になったわけです。アポロ計画のおかげで、地球を含む太陽系の惑星の「高温起源説」という基本的なシナリオが重要な裏づけを得たわけです。ただしマグマの海がどれぐらいの深さまであったかということはいまだに謎です。これは「かぐや」が貴重な解答を与えてくれるでしょう。これが第一の期待ですね。

 月が今から46億年前にどのようにしてできたのかについては、ご存知のように、地球との関係をめぐって、親子説、兄弟説、他人説などが飛び交っていたのですが、最近では、出来立ての地球に火星ぐらいの大きさの天体が衝突し、そのときに周りに飛び散った塵から月が形成されたという「衝突分裂説」が人気抜群です。でもこれが正しいとすれば、計算によって1ヶ月以内という速いスピードで月ができなければならないという厳しい要求があります。「かぐや」がこの疑問にどう答えてくれるか、世界中の科学者が固唾を呑んで見守っています。この問題については、「かぐや」が月の地殻ができたときの温度の状態を明らかにするわけで、それによって、月がどれぐらいの速さでできたかを推定することになります。非常に興味のあるところですね。また、「かぐや」による月の磁場の観測も、地球の磁場の秘密の解明につながる大発見が期待できます。月を知らないと地球もよくは分からないわけで、まことに地球と月は運命共同体なのですね。

 この運命を共にする仲間の星に、近い将来、人類は再び人間を送るでしょう。かつて新大陸をめざしたメイフラワー号の乗組員の子孫が人類の歴史を大きく変えたように、月が地球の新たな文化圏に組み入れられる時代の鼓動が聞こえ始めています。もちろんその鼓動を現実のものに転化するのは、現代の若者たちですが、これから人類が月への歩みを大きく進めるに当たって、「かぐや」の豊富で高レベルの成果は他の探査機を圧して最大限に活用されることになるでしょう。

 「かぐや」に向けられる世界の人々の視線は、非常に熱いものがあります。日本という極東の小国が、その文化の力を持って世界に羽ばたいていくための跳躍台になってくれれば ……私の心はそんな期待をもって打上げを待ち構えています。(YM)    

2007年9月 4日 (火)

映画「シッコ」(Sicko)

Photo  金持ちには手厚く、貧乏人は病院から遺棄される。生きるべきか、死ぬべきか---それを決めるのは保険会社。アメリカ合衆国の医療制度を告発したドキュメンタリー映画「シッコ」(Sicko)を3日夕、小田原市のTOHOシネマズ小田原で観た。Sickoには、「病人」という意味とともに「変人」「狂人」などを揶揄する意味もあるスラングだそうだ。マイケル・ムーア監督の作品。彼の映画をPhoto観るのは「華氏911」に次ぐものだが、まことに「おぞましい」気分にさせられる。映画にではなく、アメリカの保険制度などについてである。

 例えば、指を2本切断した患者は、縫合手術費用が足りないために、中指ではなく、<値段>の安い薬指だけの手術を選択しなければならなかった。あるガン患者の手術が決まったが、保険会社は、報告のなかった既往症をほじくり返して、それを理由に支払いを拒否する。会社関係者の涙ながらの告白がある。入院費が溜まった患者はタクシーで路上に放り出される。「9.11事件」の時に人命救助にあたった<ヒーロー>はじん肺などの後遺症に悩んでいるが、様々な理由で治療を拒否される。ムーアはこの何人かをキューバーへ行って治療を受けさせる。表現にオーバーなところがあっても、現実なのだ。

 ムーアは映画制作にあたって自らのホームページで医療問題に悩んでいる人達の体験談を募った。全国民を対象にした公的な国民皆保険制度がないことが一因である。カナダ、イギリス、フランス、キューバなどは「医療費はタダ」であるという映像を流し、アメリカを徹底的に批判している。この映画に対し、「フランスの非常に高い税金問題や、イギリスにおける資金削減による病院の倒産や相次ぐ医師の出国などにはふふれていない」「アメリカの医療技術や製薬技術は世界一で、世界中の金持ちはアメリカで手術を受けたがる」という反論が出ている。

 確かに、映画を観ている限りでは、コト医療面に関係しては「自分もカナダやイギリスに住みたい」気分にさせられる。しかし、突然の事故や病気で救急車に乗る時に保険の有無や支払い能力の<事前申請>が必要と聞けば、アメリカは一体どんな国なのかと、改めて考えざるを得ない。「I am sick of it (もう沢山だ)」とムーアは叫んでいる。今、日本の「医療構造改革」が問われている。アメリカのように市場原理を導入して営利企業への参入を目指しているからだ。「シッコ」(Sicko)は、まさか明日の日本の医療問題を映し出している、と思えないわけではない。---私が観た映画は月曜日午後6時40分から上映された。観客は私を含めて2人だけだった。

2007年9月 3日 (月)

51年目の優勝 国府津

Photo  サングラス姿の高橋正則氏は、ちょっと照れながら400mのトラックを一周した。小田原市国府津体育振興会会長。高橋氏の後ろには優勝旗と優勝カップを掲げた2人の体育振興会理事。その後に、黒のコスチュームに身を包んだ国府津中学校吹奏楽部のメンバー約20人が高らかにマーチを奏でながら続き、しんがりはプ ラカードを掲Photo_2げた18人の中学生。行進は、「第59回小田原市民総合体育大会」で国府津地区が優勝した報告である。プラカードは18の競技種目を紹介したものだ。国府津地区が市民総合体育大会に参加してから51年目にしてつかんだ初優勝である。

 9月2日。「平成19年度国府津健民祭」が国府津小学校校庭で行われた。国府津体育振Photo_4興会と国府津地区連合自治会(伊澤二三雄会長)の共催で、今年で31回目を数える。パレードは昼食の合間に行われた。高橋氏が国府津体育振興会の何代目かの会長かは聞きもらしたが、選手をそろえて市の大会に送り込むことは並大抵ではない。リーダーとして日々の活動に家庭の協力は欠かせない。関係者はその苦労を知っているだけに、「初優勝」は感慨ひとしおで、 パレードを見ながら涙ぐむ人もいた。そう言えば、私の小中学校時代の同級生は「クレー射撃」競技にかり出されていた。60歳を過ぎて「今は練習をしていないから---」と言いつつ国府津チームのために参加していた。その彼も2年前に亡くなった。優勝まで半世紀。道程は遠く険しかった。

 この優勝報告に花を添えた「国中吹奏楽部」の演奏も見事だった。こちらは吹奏楽部の地区大会で「銅賞」に輝いたそうだ。フォーメーションもバラエティに「虹の彼方へ」ほか映画音楽など5曲を披露。トラックに沿って楕円形に張られた各地区の自治会テントにPhoto_3陣取った観衆・聴衆から盛んな拍手を浴びていた。アンコールに応えて「川の流れのように」を演奏した。健民祭での吹奏楽部の演奏は恒例の行事になっているが、私がじっくりと耳を傾けたのは初めてだった。優勝報告パレードも手伝って、今年は印象に残る演奏になったのではなかろPhoto_5うか。

 健民祭には国府津の自治会1区~19区(17区欠番)まで全自治会が参加する。幼児の「ヨーイドン」、小学低学年の「玉入れ」から老人クラブの「ゲートボールリレー」まで年齢も種目も幅広い。自治会対抗と、町内を6地区に分けた地区対抗もある。私は都合で競技を見ないで帰宅した。国府津小学校と自宅は目と鼻の先。競技の進行を放送する小学生の声が自宅に居ても聞こえてくる。私の同級生が出場した「ムカデリレー」は今年も一番だった。連戦連勝である。自治会別では「16区」が、地区別では「西湘地区」がそれぞれ優勝した。健民祭優勝カップを高橋氏が授与したことは言うまでもない。

2007年9月 2日 (日)

日本国憲法「九条の碑」

Photo  その道の人なら大概知っているらしい。大西洋に浮かぶカナリア諸島のグランカナリア島テルデ市に「ヒロシマ・ナガサキ広場」があり、そこに「日本国憲法九条の碑」があるというのだ。碑はタイル張りでスペイン語で書かれた高さ3m、幅2m(写真=9★Collection)。カナリア諸島はスペインを構成する自治州の一つ。スペインは1982年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟したが、テルデ市は異議を唱え、市議会は非核地帯宣Photo_4言をした。そして、非核と平和を求める市民の間で日本国憲法が話題になり、1996年に広場と碑が完成したという。

 「海外から見た憲法9条」をテーマにした伊藤千尋氏の講演は、このPhoto_2話から始まった。伊藤氏は海外特派員生活が長い朝日新聞記者。彼の署名記事等は読んでいるが、一度、話を聞きたいと思っていた。伊藤氏は任意団体「アジア記者クラブ」(APC)の代表として、様々な視点から南米、アジア問題等に論陣を張っている。私は彼が代表になる以前から、時々、APCの集まりに顔を出しているが、これまで彼とは会ったことがなかったからだ。たまたまタウン紙に講演案内が掲載されており、9月1日午後、小田原市の川東タウンセンター「マロニエ」に出かけた。「憲法学習と交流のつどい」で、神奈川県西地域の「九条の会」の合同企画。

 アメリカでの「9・11テロ事件」を受けての報復に一人反対した女性議員「バーバラ・リー議員」が何故反対したか。小学生が違憲訴訟を起こせる南米「コスタリカ」の話---等々。バーバラ・リー議員は大統領提案に対する議会の投票の前、自分の部屋で「合衆国憲法を読み直し、憲法が議会に求めていることは何か」と問いPhoto_3直し、ベトナム戦争に思い至り、反対票を投じたという。コスタリカでは小学一年生の時に「人はだれも愛される権利がある」と教えられる。つまり、基本的人権を学ぶというのだ。伊藤氏は自ら関係者にインタビューし、現場に足を運んだ体験から話を進め、「(我々は)憲法を護る、というより、国民は憲法を使うべき」との持論を展開した。彼の話には、現場を踏んだ者でなければ話せない内容が多く、私にとっては興味深い講演だった。参加者は100人以上いたが各地の「九条の会」のメンバーがほとんどで、一般参加は私ぐらいだったかもしれない。伊藤氏は各地で講演しており、講演記録が「九条の会」の学習教材にもなっているほどだ。テルデ市の「九条の碑」については、「広島・長崎広場、九条の碑訪問ツアー」もある。

 憲法問題は、それはそれとして、APCについて少し紹介しよう。フリーランス・ジャーナリスト、企業内ジャーナリスト、市民、学生らに開放された「記者クラブ」である。主にアジア(第三世界)、人権、マスコミ報道を中心に目を向けており、月一回の例会には様々な分野からゲストを呼んで話を聞いている。いわゆる世間から叩かれた人、裁判の被告もいる。例会には誰でもが参加できる。会場が東京のため、私はこの1~2年顔を出すのは稀であるが、「アジア記者クラブ通信」は送ってもらっている。たとえ自分と違う主張の持ち主でも、その人の話を聞くと、意外と根っ子は自分と同じだと気付くことが多い。APCは一般紙や週刊誌に掲載された記事の行間を埋めてくれている、とも言えるだろう。

2007年9月 1日 (土)

「九月----」

Photo_5  いろいろと宿題を積み残したまま、9月を迎えてしまった。昨8月31日は小田原市政モニター会議に出席した。9月、私にとって一番大事なことは、文教大学(湘南キャンパス=写真右))の「2セメスター」(秋学期)が始まることだ。受講の学生はがらりと変わる。授業は1年生~4年生まで一緒。「1セメスター」(春学期)の受講生は60人。秋学期の受講生が何人になるかはまだわからない。春学期の1年生はまさに新入生だが、秋学期の1年生は半年間の学園生活を過している。講座「テクニカルライティング」は、広く言えば文章作成講座。基本は春学期と変わらないが、演習課題は同じとは行かない。「1年生には半年間の学園生活を踏まえた授業計画を一部織り込む」とシラバスに明記している。大学全体の授業は中旬から始まる。それらの準備も急がれるというわけである。

 大学は大学でも、こちらは「おだわらシルバー大学」の話。私は現在「歴史観光コース」の3年生。自主研究「大森氏の仏教政策と文化」(仮題)。大森氏とは室町時代の小田原城主。伊勢新九郎(北条早雲)によって小田原を追われた。締め切りまでPhoto_6に時間はあるものの、せめて8月中にレポートを数ページでも書いておこうと思ったが、1ページも進んでいない。23日に「山近音楽座」(やまちかおとらくざ、と読む)の公演がある。中原中也(写真左)の詩の朗読が予定されている。今年は中也生誕100年。「朗読なら中也を」と関係者に私が勧めたこともあって、解説を私にやれ、と既に案内チラシに私の名前が載っている。この原稿もまとめなければならない---。「毎日が祝日」を自負する私だが、気持が重い9月の始まりである。

 必ずしも参加するとは限らないが、今のところわかっている9月の主な予定。2日=小田原市国府津地区健民祭(体育祭)、8日=南極の話講演会(藤沢市・小田原のロータリークラブなど主催)傍聴、9日=ネパールフェスティバル2007(東京・8日から開催)、11日=おだわらシルバー大学秋学期授業開始(以後、毎週木曜日に授業)、21日=文教大学秋学期スタート(私の授業は26日から毎週水曜日)、23日=彼岸会(午前11時~檀家寺・国府津「法秀寺」)、山近音楽座公演(午後3時~小八幡・三寶寺)、28日=日本人ネパール大使歓送迎会(東京)---ほか。展覧会や音楽会、「酒の会」の案内も届いている。駒ケ岳山頂に鎮座する箱根神社・元宮にある狛犬探訪を今月中にしたいし(御神火祭は10月24日)、観たい映画もある---。まぁ、成り行きに任せるしかないか。

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