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Mukha

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2007年8月31日 (金)

「安倍改造内閣」初のメルマガ

  安倍改造内閣初のメールマガジンが30日に届いた(着信午前7時)。「政策実行内閣」と自ら命名した安倍晋三首相のコラムは、年金問題に対する舛添要一厚生労働大臣への期待をにじませ、中央と地方の格差是正を民間から起用した増田寛也総務大臣に託すなど<マスマスコンビ>を目玉にした新たな改革を強調している。今回のメルマガには、各大臣の挨拶が掲載されている。改造人事に関連して官房副長官に任命された大野松茂氏が、「倍内Photo_2閣メールマガジン」の今週・第44号から編集長になった。安倍首相のコラムと舛添厚労相の挨拶を掲載する。

 政策実行内閣 こんにちは、安倍晋三です。先月の参議院選挙の結果で示された、国民の厳しい声を真摯に受け止め、美しい国づくり、新たな国づくり、そして改革を再スタートさせるため、今週、内閣改造を行いました。これまでの、閣僚による不適切な発言、政治資金の問題、年金記録問題などによって失われた、政治や行政に対する国民のみなさんからの信頼を取り戻すため、新しい内閣のメンバーとともに全力を尽くす決意です。

 政治資金の透明性を高める努力は行っていかなければなりません。そのための政治資金規正法の改正にも取り組んでいきます。今後、政治資金の問題が指摘されれば、閣僚には、国民に対してしっかりと説明をしてもらいたいと思いますし、十分な説明ができなければ内閣から去っていただく。そうした覚悟で閣僚になってもらいました。

 年金記録の問題についても、最後の一人までチェックして必ずお支払いします。その実現に向けて、新たに厚生労働大臣となった舛添大臣には、しっかりと職責を果たしていただけると期待しています。先の参議院選挙では、中央と地方に存在する格差を、政治はもっと配慮すべきとの強い声もありました。私たちは、こうした地方の声に耳を傾けなければならない。そして、謙虚に受け止め、政策で対応していかねばなりません。今回、地方で知事を経験した増田さんに総務大臣として加わっていただきました。地方の生の声を、
政策に反映していただくよう期待しています。新しい内閣のメンバーには、地方に足を運び、みなさんの痛みの声に耳を傾け、それらをきめ細かく政策に反映していってもらいたいと思います。

 こうした反省の上に立ちながら、今後とも、改革は続けていかなければなりません。これは、決して変わることのない、私の信念です。私たちは、将来の世代に対して責任を持っています。人口が減少し、経済がグローバル化する中でも、日本が今後とも発展を続けるためには、厳しくとも、今、改革を前進させなければなりません。戦後つくられた、憲法を頂点とする様々な仕組み、教育や公務員制度などについて、時代の変化をしっかりとふまえ、原点にさかのぼって大胆に見直していくとの方針は、今も変わっていません。外交においても、主張する外交を、さらに力強く進めていきます。わが国の貢献に対して、国際社会が期待しています。今後とも、世界の平和と安全のために、十分に責任を果たしていかなければならないと考えています。

 こうした政策を着実に実行していくための新しい内閣です。また、政策の中身について、国民のみなさんに丁寧にご説明し、理解を得るよう努力しなければならない、との思いも強くしました。みなさんの声に常に耳を傾け、その声にこたえられるよう、新しい内閣は全力を尽くします。参議院では与野党が逆転していますが、国民のためによりよい政策を実行していく、との思いは与野党を超えて共通のもの。野党のみなさんと堂々と議論し、理解を得るためのあらゆる努力を行いながら、国づくりをしっかりと前に進めていきます。
晋)Masuzoe07

 ◆厚生労働大臣 舛添要一(ますぞえ・よういち)) 厚生労働行政は、私たちが生まれてから亡くなるまで一人ひとりの一生の生活に関わりをもつ行政分野です。私たちが将来にわたり安心して暮らせるようにするためには、年金・医療制度の改革、地域医療の確保、少子化の問題、フリーターをはじめとする雇用対策など対応しなければならない課題は多く、また、国民の皆さまの信頼を取り戻すために、年金記録問題の解消や社会保険庁の廃止・解体六分割を断行することも必要です。私は、国民の皆さんが本当に安心できる国に住んでいるという実感を持てるよう、国民の視点から、精一杯取り組んでまいります。よろしくお願いいたします。
http://www.kantei.go.jp/jp/abedaijin/070827/07masuzoe.html(略歴)
  http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1341.html(記者会見動画) 

2007年8月30日 (木)

長崎寄席 「柳家花緑独演会」

Photo_2  名前は「長崎寄席」といっても、場所は九州の長崎県にではなく、東京都豊島区南長崎にある。「仕事の件でナガサキと聞き、何とも遠いところから話が来たものだと思いました。ナガサキは都内にあったんですね---」とは橘家圓蔵師匠の話。もう、何年も前のことか。「長崎寄席だより」が29日に届いた。次回の案内で、演目は「柳家花緑独演会 花緑ワールド~落語とピアノの夕べ~」、期日は「9月29日(土)開演6時30分」とあった。花緑師匠は今や人気抜群の落語家でテレビや舞台で大活躍している地域寄席の一つにすぎない長崎寄席が、よく花緑を呼べたなぁと思う。そこがPhoto_2伝統と実績を誇る長崎寄席の寄席たるゆえんである。

 長崎寄席は1982年(昭和57年)に、落語好きの商店主らによって産声を上げた。以来25年。ほぼ二か月に1回高座を開き、上演回数は数えて145回にのぼる。「花緑独演会」は「25周年記念<第5弾>」と銘打ってある。私は「長崎寄席常連会」のメンバーというより、メンバーだった。友人の紹介で途中から入会した。年会費3000円。いろいろな特典があり①二つ目の会(通常1000円)が無料(年3回)②ベテラン中堅真打の会(2000円)が半額(年3回)③同伴一人が前売り料金より更に割引④池袋演芸場の木戸銭を上席中席の夜の部300円引き---など。長崎寄席の会場「ひびきホール(タローズハウス3階)」は、西武池袋線東長崎駅下車3分のところにある。当時、私は池袋に住んでおり、よく寄席に通った。今は実家の小田原市国府津におり寄席も遠のいたが、「寄席だより」は毎回送って来てくれる。

 ところで花緑師匠だが、今度で長崎寄席への出演は13回目になるという。初出演が1990年(平成2年)3月、前座名の「九太郎」から二つ目の「小緑」の時。「二十歳の時でした。声が大きく、メリハリがきいて、物怖じせず、骨太で、この人は将来性のある芸人さんだなと思いました」と、世話人の一人・柴田紀和夫氏は振り返っている。今では実力と人気を兼ね備えた大看板。落語界には、こうして長崎寄席から育っていた落語家は多い。そこで、有名になっても「無理を聞いてもらえる」のが長崎寄席。花緑師匠のピアノ演奏もその一つ。私はまだ聞いたことがないが、プロ並の腕前とか。師匠の弾くピアノが、これも私が知らない、ベーゼンドルファー社の「インペリアル」という機種。世界中で20台弱しかないという高級ピアノだそうだ。オーナーの世話人の友人が使用を許可してくれたという。「いざ、長崎寄席へ」。私の気持はうずくのだが、果たしてどうなるのやら---。

 長崎寄席世話人会=東京都豊島区南長崎5-8-12    柴田方(電話03-3951-5933)

2007年8月29日 (水)

皆既月食と、衛星「かぐや」

Photo  6年半ぶりといわれる皆既月食を見ることができなかった。私の住む小田原から見上げる空は曇っていた。北海道や九州では観測された。新聞報道によると、28日午後6時52分から8時23分までの約1時間半、月は完全に地球の影に入り、その後も一部分が欠けて見える部分食が9時24分まで続いたという (写真右上=読売新聞、右下=朝日新聞)。満月の日でもあり、この天体ショーには少々思い入れがあった。月周回衛星「かぐや」(SELENE=セレーネ)が9月13日(木)に打ち上げらOsk200708280066れるからだ。当初は8月中旬の予定だったが、子衛星の部品交換のために延期された。既に「かぐや」打ち上げに伴って、月に届ける「月へ願いを---」のメッセージが数多く寄せられている。科学探査とは裏腹のこのロマンチシズムに乗った一人として、そんな想いでちょっぴり皆既月食を見たかったのだが---。

 皆既月食は観測できなかったが、深夜の月は煌々と輝いていた。思い出すのは、以前、南氷洋上で見た月。でっかくて、大げさに言えば月のクレーターが肉眼で見える感じだ。そこを目指す「かぐや」の打ち上げを再確認した。予定日「平成19年9月13日」、予定時刻「10時35分47秒(日本標準時)」、予備期間「9月14日~9月21日(打ち上げ時刻は打ち上げ日ごとに設定される)」---。使用ロケットは「H-ⅡAロケット13号機」。三菱重工業株式会社と宇宙航空研究開発機構(JAXA)連名のプレスリリース(8月15日付け)による。この月探査計画は「SELENE=セレーネ」(SELenological and ENgineering ExploreHeader01_jr)と呼ばれ、アポロ計画以来最大規模の本格的な月の探査。月周回衛星の「かぐや」は、あの「かぐや姫」から名付けられた。

 この計画は、依然として深い謎に包まれている月の起源と進化の解明と、将来の月の利用を目的にしている。観測ミッション等、私には計画内容は到底説明できない。「我が国が本格的に月の探査を目指し、日本国民に夢・希望・勇気をもってもらう」--Photo_2-というJAXAの掲げるテーマに賛同し、応援しているというのが私の姿勢。<かぐや応援キャンペーン>に参加している企業・団体も30以上を数える。打ち上げの模様は「JAXA放送」で種子島のスタジオから生中継で伝えられる。

 皆既月食という天体ショウーは残念ながら見ることができなかった。しかし、今、地球上から我々が見ることができない「月の裏側」を、リアルタイムで観測できるのが時間の問題となっている。「打ち上げまで ○○日」。JAXAの「打ち上げ特設サイト」のカウントダウン・クロックは、その時までの日にちを刻んでいる。

2007年8月28日 (火)

プロジェクト「裁判員」 六平太

Photo_8  「裁判員制度」。日本の裁判のあり方を変え、そこから公権力と市民との関係を変え、さらに市民社会のあり方自体を変える。そんな思いを持つ人もいる裁判員制度の開始まであと1年8か月。27日の内閣改造で法務大臣に就任したPhoto_10鳩山邦夫氏は、「先頭に立って裁判員制度をPRして行く」と記者会見で表明していた。偶然だがこの日、法務省の広報アニメのDVDが手元に届き、じっくりと拝見した。タイトルは「総務部総務課 山口六平太 裁判員プロジェクトはじめます 」。漫画4誌「ビックコミック」連載の人気漫画の主人公「六平太」を中心にアニメ化したもの。アメリカの陪審員との違い、裁判員に選ばれる過程、必ずしも法律知識が必要ないこ と、つまり、日常の国民生活を送っている目線で審判することなど、わかりやすく描かれている。

 物語は、大手自動車メーカーの総務課に勤務する六平太の上司、「有馬係長」が9裁判員候補に選ばれたという通知から始まる。調べてみると、会社の仲間50人以上にも同じ通知が届いていた。そこで、「社3会貢献のチャンスである」という社長の指示で会社内に「裁判員プロジェクト」を立ち上げ、その責任者が六平太というわけだ。候補者が裁判員になるには裁判官による面接も8あり、量刑などの判断は裁判官と一緒に行うところが陪審員と違う点などを説明している。有馬係長は「殺人未遂事件」を裁判官3人、裁判員6人と担当し、無事裁判員の職責を果たす。また、裁判員は一審のみを担当することなどが解説されている---。法務省はこのアニメDVD6を10万本作成して、各地の説明会で上映するほか、ホームページでも紹介する。

 裁判員制度の啓発DVDは、最高裁作成の「裁判員」、日弁連の「裁判員 ~決めるのはあなた」があるという。私7はこちらはまだ見ていない。参院議長になった元裁判官の江田五月氏はこの裁判員と保護司の啓発DVDを見た感想をメールマガジン第682号(27日21:00着信)で書いている。最高裁DVDのテーマは「放火事件」で、江田氏はその内容から裁判員らの量刑評議に入る前に「私が出した10刑は懲役4年でした」と言っている。DVDの詳細はともかくとして、江田氏は裁判員制度について、「制度設計に不満はあるが、ぜひ実現させたい」と結んでいる。

 一般的に、刑事裁判という不慣れで厄介な「裁判員」の仕事に携わりたいと思う人は少ないのではなかろうか。5私は、読売新聞記者時代に司法を担当した経験もあり、「裁判員制度」にそれほど抵抗を感じない。法務省アニメのメニューは、①裁判員プロジェクト②裁判員候補者に選ばれる③裁判1日目④裁判2日目---の4チャプターから構成されている。「字幕」と「音声ガイド」はそれぞれ「on/off」が選べる。時間は30分。「裁判員制度」をどれだけ国民に浸透させることができるのか。関係者が山口六平太と総務課員の「 裁判員プロジェクト」へかける期待は大きい。

2007年8月27日 (月)

「うなぎ」の話

Photo  「淡水魚より、むしろ海水魚の図鑑に入れてほしい---」。「海水魚の図鑑にも」というのが正解か。<うなぎ博士>の東京大学教授・塚本勝巳氏の話である。うなぎは海で産卵し、河川の成育場の間を何千キロも回遊する。「うなぎは夏の新月、マリアナ沖の海山で産卵する」。塚本氏らは2年前、「ニホンウナギ」の産卵場についての画期的な発見をして世界の注目をあびた。しかし、うなぎの生態についてはまだまだ謎が多Photo_2い。「うなぎの不思議展」が東京・品川の「船の科学館」で開催中だ。その関連講演「ウナギ研究最前線」を26日に聞いた。「うなぎの生活史」など興味深い話が多かった。塚本氏は同時に、うなぎの養殖、「大量種苗生産技術の確立」を強調した。「シラスウナギ」が減少し輸出が規制されるようになったからだ。

 うなぎの生活史はこう説明されている。「産卵」(100万Photo_3 ~300万粒=海で生れる)→「孵化仔魚」(レプトファルス幼生=3~50㎜:海で育つ)→「稚魚」(シラスウナギ:50~60㎜=海から川へ)→「クロコ」(川で大きくなる)→「親うなぎ」(川から海へ)。親うなぎは約2000㎞を航海して、マリアナ諸島西方の「スルガ海山」で産卵して一生を終える。海山を、研究者は、オスとメスとの「出会いの場」「道しるべ」「待合所」と呼んでいる。約「北緯15°東経142」°の位置にある。日本からはるか彼方の産卵場までどう泳いで行くのか。<航路>は海の中層らしい。表層では外敵に遭う恐れがあり、深層はうなぎにとって水温が低くPhoto_4過ぎるということらしい。

 うなぎは海で1年、淡水で10年過すというが、その一生は固体によって違うことは言うまでもない。「耳石」(じせき)の年輪ならぬ毎日形成される「日周輪」でわかるという。産卵場のピンポイント特定(2005年6月7日)といい、ここまでのうなぎ研究の成果をあげるPhoto_5までに30年以上の歳月がかかっている。外洋での調査研究ができる船舶という 大掛かりな設備が必要であったからだ。塚本氏は東大海洋研究所先端海洋システム研究センター長。研究調査船「白鳳丸」の第一次研究航海(1973年)に大学院生として乗り組んでから何回も航海を続けている。今年8月Photo_6にも出かけた。狙いは「親うなぎの採捕」だったが、未獲に終わった。また、9月に出かけるという。うなぎの研究はそれほど難しいということだ。

 日本人は一人当たり年間4~5尾のうなぎを食べている。そのほとんどは天然のシラスウナギを捕獲して育てている。最近ではそれが減少しており、人工養殖の研究が進められている。水産総Photo_7合研究センターは2002年に卵からシラスウナギまでの飼育に成功した。昨年度には、親うなぎからの受精率は70%、孵化率は50%に向上、シラスウナギの生産は年間100尾台に達している。しかし、養殖に使われる億単位のシラスウナギを生産するまでには高いハードルが残されている。「うなぎの不思議展」では、うなぎの現物とともに人工養殖器が初公開されている。展示では生態面ばかりでなく、江戸時代からの「食物誌」も紹介されている。講演会終了後、小中学生が塚本氏にいろいろ質問していた。夏休みの自由研究テーマか。海と川とを回遊する謎に満ちたうなぎ。興味はつきない。「うなぎの不思議展」は9月30日まで。

2007年8月26日 (日)

踊る阿呆 阿波おどり

Photo  JR中央線「高円寺駅」(東京・杉並区)のプラットホームから「東京高円寺阿波おどり」を見物した。25日午後8時ごろだった。電車で神田駅から阿佐ヶ谷駅に向かう途中、高円寺駅にさしかかると、鉦(かね)や太鼓の音が電車内まで響いてきた。車窓から眺めると、中央線高架下を走る道路いっぱいに、次々に「連」が繰り出していた。そう言えば、今朝の民放テレビが「イベント人出予想」で、100万人を越えるのではないかと、高円寺阿波おどりを紹介していたのを思い出した。途中下車して、次の電車が来るまでホームで、文字通り高見の見物をした。そろいの衣装にカラフルな団扇(うちわ)を手にして踊る姿、何よりも、あの軽快なリズム・お囃子(はやし)が心地よい。ホームでは駅員が、電車待ちの乗客が線路に落ちないようにとロープをはって、必死に注意を呼びかけていた。

 この日の私の上京目的は、東京・葛飾に住む友人宅への弔問。静岡県沼津市で独り住まいをしていた父親が22日に亡くなり、葬儀の後、東京の霊園墓地に納骨するため、お骨を自宅に安置していた。焼香のために伺った。あの日、父親はいつものように朝水撒きをしており、夕方5時ころ訪ねてきた知人に亡くなっているところを発見された。95歳の誕生日を迎えたばかりという。<大往生>である。友人(67歳)は長男。毎日のように自転車を乗り回し、時には「生シラス」を抱えて上京する元気な父親だっただけに、突然の死は大きなショックだったようだ。父親は台湾で警察官をしていた。友人は台湾生まれである。普段、能弁な彼も口数は少なく、手紙や写真などの遺品を静かに整理していた。私は、納骨の日にまた来ることを約束して、待たせてあったタクシーで帰路についた。

 「東京高円寺阿波おどり」は今年51回目。25日~26日の2日間、高円寺駅周辺を舞台に約70連が「踊る阿呆」となって繰り出す。25日は「ふれおどり」つまり前夜祭だった。それでも20連・約7000人が踊ったという。ホームには団扇を手にした見物帰りの客が多かった。私は弔問の直後だけに、周囲の雰囲気を一層華やかに感じた。二週間前には、別の友人の父親が97歳で亡くなり、見送ったばかりだ。もちろん偶然ではあるが、今年の夏は何かと弔事が重なっている。「ヤットサー、ヤットヤット」の掛け声とともに、阿波おどりで、天井知らずの暑さと重苦しいこの夏を、一日もはやく吹き飛ばしてほしい思いだ。

2007年8月25日 (土)

総合防災訓練 小田原市

 8月25日午前9時に地震発生。マグニチュード7.0、小田原市内の最大震度は6強。名称は「神奈川県西部地震」---。こんな想定で小田原市は25日~26日の両日、国府津小学校を会場に総合防災訓練を実施する。既に一週間以上にわたり関係団体が予備訓練を行っている。初日の25日は午後4時から地区民約100人がテントを張っての宿泊訓練を実施。会場はわが家からつい目と鼻の先。訓練には自治会で防災を担当する小中高時代の同級生をはじめ、多くの友人、知人が参加する。私は所用で夕方、上京するため、訓練風景を見学出来なかった。どんなことが行われるか、プログラムを見てみよう。Photo_11

 総合防災訓練は小田原市(小澤良明市長)と国府津自治会連合会(伊澤二三雄会長)の共催。25日は「避難者カード」の記入から始まり、班編成、資機材準備。次いで、炊飯袋による炊き出しと夕食の準備、給水、避難所Photo_12テント設営、仮設トイレの設置などを行う。夕食後は、講話やビデオ上映などがあって、午後9時半に就寝。宿泊組は26日午前6時に起床して朝食のあと、午前7時に解散する。26日の本格的訓練は午前9時にスタート。地区民は非常持ち出しを背に、午後1時に一時非難場所経由で国府津小学校の広域避難所に集合する。この間、小澤市長が甲府市長へ応援要請をしたり、地区自由防火組織による「消火活動」「応急手当」「救出救助」「仮設救護所の設置」などが行われる。

 訓練参加者は35団体150人が予定されている。私は、25日の事前準備状況だけを見て上京した。この日の見学はかなり前からわかっており、8月の予定表に入れていた。上京は友人の父親が亡くなり、その弔問のためである。訓練を見れなかったのは残念である。一方で、町の中にある「防災無線放送」がもう少し聞きやすくならないか。防災対策用の「FMおだわら」がどのように機能しているか---。訓練の状況と合わせて、後日、聞くつもりだ。

2007年8月24日 (金)

米映画「ベスト100」

  Photo_2 時々、JR東海道線「新橋駅」の地下通路で映画のDVDを買う。一回に5枚前後。一枚500円という値段が手ごろなためでもある。購入理由は、AFI(American Film Institute=米映画協会)が「ベスト映画100」のランキングを11年ぶりに更新したニュースを目にしたからだ。ベスト100は、1997年に米映画史100年を記念して、監督、俳優らの映画関係者と批評家、歴史家によって初めて選出された。今回、これを見直したというわけである。「新橋駅」は、「ゆりかもめ」や「都営地下鉄銀座線」への乗り換えでよく利用しており、そこにDVD販売店がたまたまあったことによる。Photo_2

 先ず、トップ10を挙げてみよう。カッコ内は原題と数字は1997年のランキングである。①「市民ケーン」(CITIZEN KANE:1)、②「ゴッドファーザー」(THE GODFATHER:3)、③「カサブランカ」(CASABLACA:2)、④「レイジング・ブル」(RAGING BULL:24)、⑤「雨に唄えば」(SINGIN’IN THE RAIN:10)、⑥「風とともに去りぬ」(GONE WITH THE WIND:4)、⑦「アラビアのローレンス」(LAWRENCE OF ARABIA:5)、⑧「シンドラーPhoto_3のリスト」(SCHIDLER'S LIST:9)、⑨「めまい」(VERTIGO:61)、⑩「オズの魔法つかい」(THE WIZARD OF OZ:6)。

 解説によると、1位は相変わらず「市民ケーン」で、8作品が多少の上下はあるものの10位以内を堅持した。4位の「レイジング・ブル」と9位の「めまい」の躍進が目立つ。今回初登場した作品で最上位に付けたのが18位の「キートンの大列車追跡」(THE GENERAL)。最近の作品では、50位に「ロード・オブ・ザ・リング 指輪物語」(THE LORD OF THE RINGS:THE FELLOWSHIP OF THE RING)、71位に「プライベート・ライアン」(SAVING PRIVATE RYAN)、72位に「ショーシャンクの空に」(THE SHAWSHANK REDEMPTION)、83位に「タイタニック」(TITANIC)、89位に「シックス・センス」(THE SIXTH SENSE)が新たに選ばれた。

 何故、この映画が選ばれ、人気が高いのかという解説はなかった。私は映画の題名を並べているが、観ていないものも多いし、過去に観ても内容を忘れたものもある。テレビで放送された映画の中には録画をしたものもある。トップ10の中で、私好みの映画は「雨に唄えば」で、こうした軽いノリの映画が好きだ。あとは「アラビアのロレンス」と「カサブランカ」である。「市民ケーン」はストーリーをなかなか思い出せない。この「ベスト映画100」が更新された機会に、少しずつDVDをそろえるつもりでいる。

2007年8月23日 (木)

箱根神社 新宝物殿

Photo  「万巻(まんがん)上人坐像」。箱根神社(濱田進宮司)宝物殿に陳列されている。上人は神仏習合時代の箱根権現別当で箱根神社中興の祖。像は平安時代作の木造で国重要文化財に指定されている。「仏菩薩の表徴である三道相が首にあります。高僧像ではありますが、高僧の菩薩化と聖僧の姿を求めたと考えられます」。案内をしてくれた禰宜・柘植英満氏の説明である。宝物殿は現在特別展開催中で 、神社秘蔵の「御神像」が初めて公開され、柘植氏は神官として「御神像Photo_2」を目にした時の印象を感動的に語ってくれた。

 8月22日に箱根神社を訪れた。「おだわらシルバー大学」の自主研究のためだ。テーマは「大森氏の仏教政策と文化」(仮題)。大森氏は伊勢新九郎(北条早雲)が覇権をにぎるまでの「小田原城主」。箱根神社は、平安、鎌倉から江戸時代まで、Photo_3武士にとって信仰の地である とともに軍事上の重要拠点であった。箱根権現の動向が、また、武士団の興亡を意味していた。濱田宮司に代わって柘植氏が神社の成り立ちと武士団との関係を解説してくれた。この話は後日に譲ることにPhoto_4して、私達は特別展を観覧した。

 箱根神社は今年、御鎮座1250年式年。この最も大きい記念事業の一つが「新宝物殿」の建立。平成19年元旦に開館した。「万巻上人坐像」は常設だが、初めて公開された「御神像」は10月末までの限定展示。破損が目立つためにこれを修復するためである。秘蔵の公開は濱田宮司の英断といわれる。神像は「男神坐像」「女神坐像」「僧形神立像」など7躯。とは言え、修復後は収蔵庫に安置して、今後の公開日は未定と言う。図録も初めて刊行され、これら「御神像」や上人像をはじめ、国重要文化財の「箱根権現縁起絵巻」「箱根山縁起并序」等の貴重な全文が掲載されている。特別展の鑑賞とともに図録を手にすることをお勧めする。

2007年8月22日 (水)

「節電のお願い」 東京電力

Photo  「電力供給が窮迫 東電、水力を緊急稼動」「東電17年ぶり節電要請 猛暑でひっぱく 塩原発電所再稼動」---こんな見出しが新聞に踊っている。22日にわが家の8月分(7月20日~8月21日)の電力使用量と料金請求書がポストに投げ込まれていた。「803kWh:1万9821円(うち消費税等相当額943円)」。7月分(6月21日~7月19日)が「606kWh:1万5375円(うち消費税等相当額732円)」だから、かなり増えている。老人の足元の安全のために、一定の場所は夜、灯りを点けっぱなしにしている。しかし、電力をくうのは、やはりクーラーなどの冷房だ。検針案内とともに、東電からの「節電協力要請」のチラシが入っていた。多分、どこの家庭も同じであろう。

 電力不足は新潟県中越沖地震により、「柏崎刈羽原子力発電所」の7基全てが停止した影響による。家庭に対する節電対策として、以下の事をあげている。①冷房温度の、いつもより高めの設定②冷房効率アップのために、日差しを遮るカーテンやブラインド使用の奨励③使っていない機器のスイッチをこまめに切る④冷蔵庫の開閉を素早くし、詰め込み過ぎに注意する⑤見ていないテレビの主電源を切る---等々。また、ビル・工場に対して、エレベーターやエスカレーターの運転調整(間引き運転など)や、「不用照明の消灯」を呼びかけている。

 節電対策は、電力不足の解消ばかりでなく、CO2削減、つまり地球温暖化対策のために普段から心掛けなければならないことでもある。私にとって、まことに耳に痛い話である。夏の平日の電気使用量のピークは午後1時~4時の間という。東電は、その日の予想最大電力を伝えたり、節電を要請する「でんき(電気)予報」を出している。とにかく<緊急事態>である。節電へ、私も心を新たにしている---。 

2007年8月21日 (火)

無理心中?3人死ぬ 国府津

 一泊した東京で20日朝、読売新聞を見て社会面のベタ(一段)記事に吸い寄せられた。「妻子刺され死亡 夫は飛び降り死 小田原」の見出しに引かれて本文を読むと、<事件の舞台>は、わが家がある国府津だった。9階建てマンションの8階に住む自営業の男性(41)が駐車場で死んでおり、居間で保育士の妻(40)と中学一年生の長男(13)が胸を刺されて死んでいた。室内から血染めの刺身包丁が発見された。警察では男性が妻子を刺殺した後に、自宅ベランダから飛び降り自殺したものとみている。「だれかに監視されている。拉致しようとする人がいる」などと、最近、男性は口走っていたという。事件は19日午前3時過ぎに明るみに出た。

 名前は実名で報道されていたが、記事には国府津の番地がなく、マンション名も書かれていなかった。状況から無理心中の可能性が高く、いわゆる外部の者による<犯罪性>が薄いために、トーンを落とした記事になっている。私は国府津の友人に東京から電話した。マンションは私がJR国府津駅などへ行く途中にあり、保育士が勤める保育園も、長男が通う中学校も、いずれもわが家の近くにある。学校は夏休み中だ。話を聞くと、中学校ではクラス全員に電話やメールで仲間の訃報を伝えた。彼は運動部員だった。男性宅の様子や彼の言動も、ほんのわずかだが、伝わってきた。別に詳細を調べる気はないが、こうした事件が起きた時に、いつも感じることがある。何故、妻や子供を道連れにするのか、ということだ。

 昔は借金苦による一家心中が目立った。私も記事にした経験が何回もある。そんな中で、「子供たちを頼む」という遺書とともに、子供を残して夫婦で死ぬケースが増えてきた。遺された子供たちが立ち向かう人生は想像を絶するが、それでも、「命があれば」「生きてさえいれば」---人生は切り開ける。親に子供の命を奪う権利はない。一家心中は悲劇であるが、子供の命を残すことに、私は複雑ながら、ほっとした気持にもなった。今回の事件が起きる前日の18日午後7時ころ、家族で警察に相談に行ったそうだ。「監視、盗聴、拉致---」という男性の<不自然な言葉>。警察がある相談窓口を紹介した。そこに妻が電話し、「月曜日(20日)に病院へ行く」と話していたという。そして悲劇は帰宅後の19日深夜に起きた。

 男性の心の奥底は到底のぞけない。妻も中学生も、まさか殺されるとは思っていなかったはずだ。別の報道によると、女性(妻)の叫び声をマンション住民が聞いていた。惨劇の現場から長男の声は聞こえてこない。殺された中学一年生。人生は短かかったが、命の重さは年齢に関係ない---。

2007年8月20日 (月)

「婦系図」と風間杜夫

 「切れるの別れるのってそんなことはね、芸者のときに言うことよ。Photo今の私へは、はっきり死ねといって下さい」---。ある程度の年齢の人なら、そのストーリーを知らなくても、一度は耳にしたセリフであろう。新派公演「婦系図」(おんなけいず)を19日、東京・三越劇場で観劇した。有名な「湯島境内」の場。お蔦(つた)の役は波乃久里子。お蔦が愛するドイツ語学者・早瀬主税(はやせ・ちから)を演じるのは風間杜夫。二人の共演は3回目だが、「婦系図」は初めて。<風間フアン>の仲間10数人と一緒の観劇で、上演後、Photo_2風間氏を囲んで一杯やった。風間氏は「自分が昔からやりたかった役。それだけに、一人でも多くの人に観てほしい」と話していた。私が風間氏の演劇を観るのは5回位。何の役でもこなし、「日本 アカデミー賞最優秀助演男優賞」「芸術祭大賞」「読売演劇大賞最優秀男優賞」など数々の賞を受けている、今や活気あふれる<役者>。そんな中で新派は、風間氏に最も似つかわしい舞台と思うのは、私ばかりではなさそうだ。

 新派公演の中に「新派新人公演」というのがある。今回、私は初めて知Photo_3った。新派劇団員の技芸向上と若手俳優の育成を目的にしたものだ。8月24日と27日の2回、本公演に続いて午後3時30分から「湯島境内」の一幕だけを上演する。全席自由席で2000円(本公演は全席指定席で6500円)。この新人公演一回目の24日に「瀬戸摩純」がお蔦役で出演する。彼女は、小田原市国府津にある我が家の近くで「カレー&コーヒー店」を営むご夫妻の娘さんで、二代目・水谷八重子(水谷良重)の弟子。本公演では、主税の大恩人・酒井俊蔵の娘「妙子」役を演じている。私の今回の「婦系図」観劇の目的は、風間氏の他にもう一つ「瀬戸摩純」を観るためでもあった。まさに一生懸命、必死であった。風間氏も舞台上で、そんな感じを受けているようだ。上演後、ロビーで自ら出演する「新派新人公演」を舞台姿のまま、これPRに務めていた。新人公演は後継者育成への好企画だ。私は彼女に「ほんの気持」を渡して激励した。24日は、ご両親をはじめ国府津と周辺地域の<「瀬戸摩純」応援団>58人がバスで上京し、本公演と<摩純のお蔦>を合わせて観劇する。Photo_4

 「実は家元から、『新派を頼むぞ』と言われてまして---」。風間氏は、19日の公演後の食事と酒の席で、こんな話を披露した。家元とは落語家の立川談志師匠。数年前のことで、談志師匠の弟子、江戸文字書家・立川文志の新年会の席でという。風間氏は新派の劇団員ではない。談志師匠の批評眼は鋭い。確かに風間氏は、体型といい、和服が似合い、声量があり、声色もセリフ回しも、映画やテレビ俳優というより、まさに<舞台役者>そのもの。この日、私は風間氏のマネジャーとも話したが、意見は同じだった。風間氏にとっては、談志師匠の言葉だけに、胸に迫るものがあったようだ。20日には談志師匠が観劇するという。公演後に一緒に食事をするらしい。<談志と風間のツーショット>は非常に珍しいことだ。二人の話に、どんな花が咲くのやら---。後から聞くのが楽しみである。

2007年8月19日 (日)

「六平太」が裁判員広報担当?

 漫画雑誌・ビッグコミックに連載中の「総務部総務課 山口六平太」はPhoto今年6月に連載Photo_3500回目を迎えた。1986年(昭和61年)のスタートから数えて22年間、「作・林律雄、画・髙井研一郎」のコンビで<無遅刻無欠勤>の連載だ。これを記念して、林、髙井両著者のそれぞれの「著者自薦傑作集」(小学館・定価各680円)が発行された。私はこれまでの単行本・全55巻とともに特集号を購入して本棚に並べてある。これとは別に、髙井氏からその都度寄贈されている。髙井氏とは夫妻ともども懇意にさせてもらっており、「談志の田んぼ」の田植えや稲刈りに同 行したり、時には奇術を披露してもらっている。性格はシャイでジュンで、ジュン(純)なところは「 六平太」に似ている。

  その山口六平太が、ビッグコミックを飛び出し、法務省の応援キャラクタPhoto_2になる。裁判員制度への市民意識を高める広報アニメのキャラクターとして出演するというのだ。朝日新聞の8月18日 付け夕刊に「山口六平太を『広報担当』に 法務省、アニメ」のタイトルで掲載されている。記事によると、物語は六平太が勤める自動車会社の上司が裁判員候補者に選ばれるところから始まる。「裁判員になるのに法律知識は必要ないことや、勤務を理由に辞退できないこと」などを説明する。係長は、社長からも「社会貢献のチャンス」だと励まされて、無事、殺人未遂事件の裁判員を終える、という筋書き。法務省はDVDを10万本作成し、全国の地検主催の説明会で今月末から上映するほか、ホームページでも見られるようにするそうだ。

 このニュースを、私は朝日新聞で読んだわけだが、既に他紙には報道されており、アニメの話を知っている友人が何人かいた。髙井氏から話を聞こうと思ったが、氏は沖縄旅行中だった。「六平太」の話は、荒れる株主総会が社会問題化した時に、総務課の苦労話の例として新聞のコラムなどに時々紹介される。劇画時代の漫画世界の中で、可愛らしい?「六平太」のキャラクターが馴染みやすいことにもよるのだろうか。「困った時の六平太頼み」---は、当分つづきそうだ。

2007年8月18日 (土)

「官邸の暑い夏」

 「選挙の結果を受けて、国民の声をどう政策に反映させていくかということも、この時期にじっくりと考えたいと思っています---」。安倍内閣メールマガジン(第42号)に載った安倍晋三首相のコラムの一節である。新聞記事にもなっている。内閣改造と自民党の一連の人事が秒読み段階に入っている。お盆を官邸にこもって過した安倍首相の心境は?

こんにちは、安倍晋三です]●官邸の暑い夏

 残暑お見舞い申し上げます。安倍晋三です。とても暑い夏になりました。暦の上では「残暑」とはいえ、今が夏本番。官邸のまわりもセミの鳴き声が日増しに大きく聞こえます。

 帰省、旅行、自宅でゆっくり、仕事、勉強など、それぞれの夏をお過ごしのことだと思います。私は、子どもの頃、夏になると、両親に連れられて山陰の父の生家で過ごしたものです。夏が近づくと、その日がくるのを指折り数えて楽しみにしていました。おもいでの山と川。夏草の匂いと木の香り。蝉とり。海水浴。夏祭り。塩をふって食べたスイカの味。幼い頃の夏の思い出は、今でも色あせることはありません。

 夏の風物詩といえば甲子園。今年も連日熱戦が続いています。みなさんも、地元の高校の応援には、自然と力が入っているのではないでしょうか。勝っても負けても、後から振り返れば、球児たちにとっては、かけがえのない大きな経験。ひと夏を越えて、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなってほしいと思います。

 お盆を過ぎると夏休みも後半戦。まだ半分残っていると思いながら、あっという間に過ぎてしまう経験を何度も味わったものです。山のように残された宿題と必死になって格闘した思い出は、私だけではないでしょう。

 そうした思いの中で、今年は、お盆の間も官邸で過ごしています。

 通常であれば、お盆はゆっくりしたいところですが、来週は海外出張がありますし、また、選挙の結果を受けて、国民の声をどう政策に反映させていくかということも、この時期にじっくりと考えたいと思っています。

 昨日は、62回目の終戦記念日。全国戦没者追悼式に出席し、戦没者のご冥福を祈り、黙とうを捧げました。今日の日本の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲の上に築かれています。この平和を守り続けていくこと、さらに世界の恒久平和の実現にむけて積極的に貢献していくことへの決意を新たにしています。(晋)(受信=8月16日午前8時20分)

2007年8月17日 (金)

防災放送とペルー地震

Photo  なんとなく外が騒がしい。何か言っているようだ。8月17日午前1時5分過ぎ。窓を開けると「防災放送」だった。「---津波に注意して下さい。こちらは防災小田原です」。こんな放送を繰り返していた。テレビをつけると、南米ペルー沖で大地震が発生(日本時間16日午前)、その影響による津波が日本の太平洋岸に押し寄せるというのだ。気象庁は7日午前1時4分に「津波注意報」を発令した。津波の高さは最大50cmで、北海道から沖Photo_2縄にかけて到達するという。相模湾には午前4時頃と予測していた。わが家に近い「防災行政無線スピーカー」は国府津消防署の火の見櫓に設置されている。深夜の放送は珍しい。

 ニュースでは、海岸に近づかないことと、半日は潮位に変化があるので海水浴、釣りなどを控えるように注意を呼びかけていた。地元・国府津にある「内田釣具店」経営者の内田真太郎氏Photo_3は毎朝ほぼ一定の時間に一定の場所から波と海岸の状況をデジカメで撮って、その映像をホームページで流している。午前7時20分頃の映像をみると、海岸道路に近い浜辺に何人かの人影はあったが、さすがに釣り人の姿はなかった。望遠で撮った波の状況は普段と変わっていなかったが、釣り人は<自粛>したのだ。相模湾に面する国府津海岸へのPhoto_4陽射しは相変わらず強い。打って変わって、テレビに写るペルーの被災者は毛布にくるまっているが、それでも寒さに震えているという(写真=読売-ロイター)。南半球のペルーは、今、真冬なのだ。レンガの建物の崩壊、血だらけで搬送される負傷者。時間とともに増える死者の数と、広がる被災地域。程度のPhoto_5差こそあれ、ペルーも日本も地震被災地の状況は同じだ。

 わが家が所属する小田原市の自治会は「国府津11区」。ざっと900世帯で11区にはスピーカーが4局設置されている。消防署、日立工場、国府津小学校、国府津中学校で、国府津中学校は校舎の屋根にある。最近、落雷に遭ったが直ぐに修理して今回の放送に支障はなかった。同じ神奈川県内にある藤沢市は、「津波注意報」を誤って「東海地震情報」を流してしまった。いずれにしてもコトが緊急事態だけに「ボタンの押し間違い」だけではすまされない。 小田原市は今年度の防災訓練を、国府津小学校の校庭を会場に、8月25日~26日の土日の二日間実施する。25日は各地区の防災担当者が小学校の講堂に宿泊待機し、26日は住民参加でバケツリレーや三角巾の使用訓練などを行う。既に、消防署員がハシゴ訓練などを実施している。中越沖地震に加えて、今回の津波注意報が、防災関係者に一層の緊張感をもたらしているようだ。

2007年8月16日 (木)

切手デザイン変更

Photo_3 Photo_2  50円と80円切手。通常、最も多く使われている切手のデザインが10月1日から変わる。日本郵政公社の民営化に伴うものだ。50円はオシドリ(現在はメジロ)、80円はキジバト(同ヤマセミ)で、通常郵便はがき(50円)もスズメ(同トキ)のデザインに変える。民営化後に新デザインを発行し始めても、現行デザインの切手は各郵便局の在庫がなくなるまで販売を続ける。日本郵政公社はPhoto_55つの新会社に分割されるが、公社は「総合案内 〒10.1 もうすぐ民営化~民営化でどうなるの?~」と題する民営化情報をまとめたパンフレット5756万部を作成し、17日から全国の家庭や事業所に配布する。

 新会社は「日本郵政」「郵便局」「郵便事業」各株式会社と「株式会社ゆうちょ銀行」「株式会社かんぽ生命保険」の計5社。「日本郵政」は持ち株会社、「郵便局」は現在の郵便局員の<派遣会社>で、切手や葉書の販売、郵便配達は「郵便事業株式会社」が行う。新デザイン切手は、普通 切手のテーマである「日本の自然」の中から、広く親しまれている「野鳥」を題材にしている。 通常郵便葉書と合わせてデザインはいずれも切手デザイナー・星山理佳(ほしやま・あPhoto_4やか)氏による。また、民営会社発足記念切手が発行される。80円切手10枚つづりのシート2種類でそれぞれ150万シート。図柄は「郵便の父」前島密の肖像画などがあしらわれる。全国の主要郵便局で期間限定の記念押印も実施する。

 問い合せ先は、日本郵政公社広報部門広報部   =電話03-3504-4127、FAX03-3595-0839。

2007年8月15日 (水)

東京駅の「赤レンガ」

Photo   JR東海道線「国府津」駅前の割烹旅館「国府津」のロビーに、一つの「レンガ塊」が陳列されている。現在、解体修理中の東京駅舎のものである。「上敷免」と刻印されている。日本最初のレンガ工場「日本煉瓦製造株式会社」(埼玉県深谷市)のもので、明治時代の実業家・渋沢栄一翁が ドイツの技師を招いてつくらせた。国府津館が懇意にしている大工さんが駅舎の解体に携わっていて、その一つを「記念」にと持参した。ここまではよPhotoくある話だが、奇縁は渋沢翁と国府津館の関係。翁は明治36年(1904年)春に転地療養のために国府津館に逗留し、以後、何回も国府津館を訪れて書などを残している。「やっぱりここに来るべくして来たレンガだった!」。旅館関係者はその偶然に驚くとともに、感慨もひとしおで、早速、解説書を添えてロビーに展示したしだいである。
 
 国府津館は明治21年の創業。前年に旧東海道線(現在の御殿場線)が開通したばかりで、文人墨客をはじめ政財界人がよく国府津を訪れ、国府津には多くの別荘も建てられた。そんな縁で、国府津館は雑誌やテレビで時々紹介されている。最近では、日本国憲法の<民間憲法>の起草者の一人・Photo_2伏高信が滞在していたということで2月10日にNHK教育テレビで放送された。また、民俗学者・柳田国男を紹介した週刊新潮(7月9日号)の「部屋の記憶」というグラビア欄に掲載されている。渋沢翁は深谷の出身で<日本資本主義の父>と呼ばれているが、最後の将軍・徳川慶喜公の幕臣でもあった。慶喜公は晩年、避寒のために国府津にあった幕臣・大鳥圭介の別荘で過したが、この仲介をしたのが渋沢翁である。翁は国府津館に滞在中に時々慶喜公を表敬していた。
 
 「上敷免」(じょうしきめん)は地名である。渋沢翁は郷土の土がレンガに適していることを知り、工場を造った。レンガの建造物は東京駅をはじめ法務省、日本銀行旧館など今でも10か所以上見られる。平成8年にJR深谷駅は、東京駅を模して建て替えられた。深谷が「東京駅のレンガのふるさと」ということにちなんだものだ。国府津館のお客は、皆さんが赤レンガを興味深めに見詰めている。大工さんが持ち込んだたった一つのレンガが、思わぬ歴史を掘り起こし、数々な人模様を広げている。

2007年8月14日 (火)

参院議長 儀式アラカルト 

 首相や大臣と同じように参院議長には警護が付く。私生活にもおよび、警護の姿がその身分を象徴している。江田五月・新議長は議長就任後の儀式、各種セレモニーへの参列、挨拶などを自らのメールマガジンに綴(つづ)っている。あまり表面には出にくい<三権の長>の舞台裏の一端を江田メールからのぞいてみた。

<ショートコメント>・・・《「お国入り」・警備》 議長就任後、初の地元入りをした。国会には所管の組織はないので、地元入りは困難ではないが、一番の変化は警備だ。東京から警護官が随行し、あわせて地元県警の警備課の皆さんの警護がある。ご苦労だが、政治家が被害に遭う事件も起きており、警備不要とはいかないようだ。
Photo
8月9日(木) 平和祈念式典 10時40分から1時間強、平和祈念像前の広場で行われた「被爆62周年長崎原爆犠牲者 慰霊平和祈念式典」に参列しました。式辞、献水、献花と続き、安倍首相、横路衆議院副議長に続いて私が参議院議長として献花。原爆投下の11時2分に、黙祷。鐘の音を聞きながら、62年前のこの瞬間の悲惨さに思いを馳せると、こみ上げて来るものがありました。

8月10日(金) 民緑総会 臨時国会の最終日です。10時20分から、民主党・新緑風会の議員総会に出席しました。既に会派を離脱しており議長が特定の会派の会合に出席することは控えるべきものです。しかし今回は、多くの新人議員と言葉も交わさず顔もく覚えないうちに会派を離脱してしまったのです。そこで特にお願いして、議員会長の輿石東さんの挨拶に続いて会派離脱の挨拶をしました。10時40分から、議院運営委員会に出席。川田龍平さんの「龍の風」など所属議員1名の会派が5つも届出があり、立法事Photo_3務費の支給が決定されました。

8月11日(土) 警備打合せ 9時半過ぎに自宅で、両親の霊前に合掌。次いで10時前から、岡山県警の皆さんらと警備の打合せ。(以上は8月13日21:23着信メールの一部)

<ショートコメント>・・・《平和の誓い新たに》 参議院議長としての最初の地方公務出張は、長崎の平和公園での平和祈念式典への参加となった。
8月6日(月) 議長候補、リハーサル等 机の上に山となった書類の整理をして過ごしました。部屋は、記者の皆さんで溢れていました。みな、その当てがあるわけでもないのに、私に新しい役職が振られるのを待っていたのです。結局待ちぼうけでした。17時前に議員会長室で輿石会長から、常任役員会で議長候補として私を推薦することになった旨が告げられ、私もこれを了承しました。17時40分過ぎ、事務総長室で事務方と打合せ。18時から20分強、衆議院側の河野洋平議長以下と国会正面で落ち合い、両院のメンバーが揃って、明日の開会式のリハーサルを行いました。天皇陛下を迎えての儀式で、一連の行動がすべて決まっており、なかなか大変です。

8月7日(火) 召集、初登院、総会、挨拶まわり(各会派、衆院、首相、最高裁)、本会議、議長就任、議運委、拝謁、開会式、会見、取材 10時から50分間、本会議。事務総長が議長席に着き、まず議長の選挙が行われ、私が選ばれました。次いで副議長の選挙が行われ、山東昭子さんが選ばれました。いずれも無名投票で、投票総数240人の満票でした。欠席者は2人で、いずれも健康上の理由ですから、全員一致だったといえます。その後、私と山東さんが順に紹介されて挨拶し、私が議長席に着席。その後は私の議事進行で、亀井郁夫議員から祝辞を受け、常任委員長の選任等の議事を進めました。私は、議長就任と同時に、先例により、懲罰委員長の職は解かれたことになります

11時前から、山東副議長、西岡議運委員長とともに、自民、公明、共産、社民、国民新、無所属の順に就任の挨拶にまわりました。11時20分、公明党の役員が就任のご挨拶。11時45分には、副議長、議運委員長とともに、衆議院の正副議長に挨拶に出かけました。
13時から、本会議再開。会期4日間が、総員起立で決まりました。その後、副議長、議運委員長とともに民主党・新緑風会に就任の挨拶。13時15分に国会を発って、皇居へ。13時40分、私と副議長の順で、天皇陛下に拝謁。自己紹介をし、お言葉を受けました。その後、皇后陛下に就任挨拶の記帳。議長室に戻り、打合せ等。モーニングに着替え。

15時から、開会式。まず、国会に到着された天皇陛下を河野衆議院議長が御休所までご案内し、衆参の正副議長がご挨拶。河野議長以外は議場に入り、整列。やがて河野議長のご案内で陛下が議場に入り、着席。河野議長の挨拶と陛下のお言葉があり、Photo_2私が正面に進み出て陛下をご案内し、退出してエレベーターで3階に昇り御休所へ。お見送りの用意が整ったところで、私がご案内して陛下をお見送りしました。終了後、参議院の役員全員で記念写真を撮りました。その後、院内で副議長とともに安倍内閣総理大臣に挨拶。さらに私だけで皇居に向かい、行幸御礼記帳。そのまま最高裁判所に向かい、副議長とともに、島田仁郎長官に挨拶。16時過ぎに議長室に戻り、平服に着替えて打合せ。参議院事務局、法制局、国会図書館幹部らの挨拶を受け、続いて秘書課員、SP、運転手らの挨拶を受けました。

8月8日(水) 写真、宮家挨拶 9時に議員会館に出て、打合せ。9時半から、顔写真の撮影。参議院の公式ホームページの議長コーナー用などの写真です。10時から1時間半ほど、桂宮、東宮、秋篠宮、寛仁親王、三笠宮、高円宮、常陸宮の順に、宮家に議長就任挨拶の記帳に出掛けました。15時前の便で、羽田から長崎へ。18時半から、長崎市長の田上富久さんの主催で、明日の平和祈念式典の主な出席者による夕食会に出席。外交使節の皆さんも多く、市長の挨拶の後、来賓を代表して挨拶をしました。(以上は8月9日21:05着信のメールの一部)

2007年8月13日 (月)

ある通夜式で思ったこと

 「碁粋院釋昌浄居士」。法名に「碁」の文字が入るなんて、故人はよほど囲碁が好きだったのだろう。しかも、「粋」の字を加えて「碁粋院」とは---。文字通りイキな法名だ。8月12日(日)に東京・新宿の寺院で行われた友人の父君の通夜式に参列した。友人は四谷で「たん焼き忍」店を経営している上杉徳治郎氏。店には、N.Yヤンキースで活躍している松井秀喜選手が巨人軍時代に定期的に顔を見せていた。上杉氏の父君は享年97歳。8日にお亡くなりになったが、店の都合で夏休みに入った初日の12日が通夜式になったPhoto。上杉氏は江戸文字書家・立川文志師匠と<兄弟付き合い>をしている。「文志会」というのがあり、彼はそのメンバーである。私は文志会会長の縁で生花を贈らせてもらった。その名札に俳優の風間杜夫氏の名前も連なっていた。

 文志師匠は「文志君とその仲間たち」と銘打った公演を年に一、二回行っている。落語、津軽三味線、江戸文字漫談---等々。その一つに風間氏がトリで落語を一席披露するツアーがある。北海道などへ私はしばしば同行した。2003年(平成15年)8月1日に静岡県沼津市で、翌2日に名古屋市でそれぞれ公演した。風間氏は名古屋での公演打ち上げパーティを終えた後、最終の新幹線で帰京した。いつもなら一泊して出演者ともども全員で行動を共にしていた。聞けば、沼津公演前日に母君を亡くしていたという私が母君の訃報を耳にしたのは風間氏が新幹線に乗った後だった。「私の最大のフアンは母---」といつも言っていた風間氏。ショックは大きく、マネジャーが「今回の公演を降ろしてもらえないか」と文志師匠に内々相談に来たほどだ。結果として、風間氏は予定通り公演を行った。ただ、高座以外は「一人にしてほしい」ということで、食事などは我々と別だった。母君のことを知っていたのはマネジャ-と文志師匠だけだった。私は特に気にも留めていなかった。それだけ、私達の前で振舞う風間氏の態度が自然だったからである。通夜式には家人に参列してもらい、葬儀・告別式には、私は名古屋から駆けつけた。

 家族の「死」には、いろいろなドラマがあり、遺族の想いがあるだろう。私の父は3年前に92歳で病院で亡くなった。私が頼まれていた原稿をやっと書き終えた後だった。正確に言えば、環境保全のための陳情書を関係者に説明し、渡して、帰宅したその夜のことだった。もし「父の死が一日早かったら」と思うと、関係者に大きな迷惑をかけたであろうし、陳情書の中身もどうなっていたやら---。病院から父の容態急変(既に亡くなっていた)の連絡が入った時に、驚くというより、ホっとして、むしろ父への<感謝>の気持が先に立った。私は市長等への陳情に同行できなかったが、父の通夜式には陳情帰りの関係者全員が顔を見せてくれた。上杉家は店の都合で父君の通夜・葬儀の日程を先送りした。風間氏は沼津・名古屋の公演後に母君を送っている---。風間氏は今東京・三越劇場での新派公演「婦系図」に波乃久里子らと出演中だ。「たん焼き忍」店の夏休み最終日の19日(日)に、私は上杉氏、文志師匠夫妻らと一緒に観劇の予定である。

2007年8月12日 (日)

水産大学校練習船「耕洋丸」

 もし予定に変更がなければ、「耕洋丸」は12日、母港Photo_5の下関港に入港し、しばらく点検整備の後、19日~31日まで東シナ海への航海に出発する計画だ。「曳網(えいもう)試験」のためである。「耕洋丸」は独立行政法人・水産大学校(山口県下関市永田本町)の漁業練習船。学生や教職員が船舶の運航、舶用機関、水産・海洋資源・海洋生物等についての教育、調査・研究を目的とした練習船。初代から数えて第4代目の新造船。最先端の航海設備や科学 的漁労設備を盛った<ハイテク洋上研究施設>である。

 概要を紹介しよう。全長87.59m、型幅13.60m、総トン数2352㌧Photo_9、航海速力14ノット、航続距離は1万海里におよぶ。航海日数は 約30日で、定員109人(職員49人、学生60人)。三菱重工下関造船所の建造で、平成18年9月5日起工、平成19年2月2日進水、6月29日竣工で建造費は総額64億6000万円。10日間の東シナ海での試験航海を行った。私は水産ジャーナリストの会の一員として8月1日、東京・品川の航海訓練所有明Photo_10専用桟橋に停泊中の耕洋丸を訪れ、田渕清春船長らの案内で船内を見学した。先ず耳に残った事は、居住区域が総て水面より上に設置された話。万一の場合の乗組員の脱出を考慮した。平成13年(2001年)2月10日にハワイ沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦に衝突され、9人の犠牲者Photo_6を出した「えひめ丸」事件を教訓にしたものだ。もう一つは、男女別のトイレを設置したこと。女性の漁業への進出は著しいが、漁船は女性を配慮した「専用衛生区域」まで手が回っていないのが現状である。

 ハイテク設備。船舶運航の自動制御装置は当然として、Photo_73500mにおよぶロープを水深1000mまでの表層・中層・底層・深層を自由に操るトロール装置。投網、曳網の自動化、潮流・海底地形を3次元で表示できる超音波式多層流速計と超音波海底地形探査機器などを備えている。これだけ設備した漁船は現在日本国内にはない。世界でも数少ない船である。学生達が卒業後に「耕洋丸」で学び修得した技術を活かせる職場はほとんどない。水産界以外の仕事に就く水産大学校卒業生が多いのも事実であPhoto_8る。だからと言って、水産界後継者の育成を怠ってよいという理由にはならない。「耕洋丸」はサカナだけを獲る漁船ではない。教育船である。そこで学んだことは必ず他のことに応用できる。

 「耕洋丸」は8月4日に東京で、8日に神戸で一般公開された。停泊中でも数々の観測業務があり、学生達が交代で当たっている。若さをつつ む白い制服姿がまぶしい。

2007年8月11日 (土)

バス進入路、開削へ

   右上の写真はJR東海道線「国府津駅」前を走る国道一号線である。この道Photo路壁面が20日頃からいよいよ切り崩される。 高さ約10m。マンションと民家の間の壁である。小田原市都市部まちづくり景観課は10日までに近隣世帯や商店などに工事開始の<お触れ>を回した。夜間工事で作業時間は午後9時~午前5時の予定で、この間、国道一号線は片側交互通行になる。「警察および道路管理者の横浜国道事務所との調整の結果、国道一号線関連工事Photo_2はやむなく夜間工事になった」そうだ。現場付近は今、電話線工事などで照明も明々とまるで<工事銀座>の感じ。壁面開削工事で一層のにぎわいとなるであろう。詳細な工事日程はその都度看板等で知らせるそうだ。

 工事の名称は「国府津駅前広場東側道路新設工事」。国道一号線から路線バスだけが進入する一方通行の道路。かPhoto_3なりの急勾配で、当初は下りの出口専用の計画だったが安全性に問題があり、上り専用に変更された。広場側道路の掘削作業は急ピッチで行われている。10日~11日の二日間に「T型ブロック」を設置したあと約一週間休工して、国道一号線とをつないで「切り通し」を造る。

 一方、小田原市市民部暮らし安全課は「国府津駅前駐輪場の移動」を、6日から、回覧板で町内に知らせている。駅前広場の西側にPhoto_4放置自転車の保管場所と駐輪場がある。この保管場所を先ず市内東町(下水道終末処理場近く)に移し、この跡が新たな駐輪スペースになる。そして、現在の駐輪場がタクシープールなどの仮設ロータリーになる。文字通り駅前広場の整備のためで、広場に待機しているタクシーや乗り場等が移設する。放置自転車の保管場所は8月17日で閉鎖され、18日~23日間に東町への移動作業を終える。新たな駐輪スペースは27日から使える。夏休み中とはいえ国府津駅までの自転車利用者は多い。暑さなどにより、とかく注意が散漫する。事故防止に万全をはかることは言うまでもない。

2007年8月10日 (金)

「大森頼忠」さん 

Photo_8  「大森氏関係資料」全七巻が揃った。静岡県御殿場市立図書館の蔵書である。私は9日、資料第6巻と第7巻を図書館に届けた。編者は大森頼忠氏。頼忠氏は、室町時代<最後>の小田原城主・大森藤頼公から数えて18代目の子孫。神戸市在住で今年75歳。私は頼忠氏から資料を図書館に寄託するように頼まれていたのだ。

 大森氏の<小田原支配>は、戦国時代に北条早雲が 覇権をにぎるまで、一般に初代・春頼公から藤頼公まで5代90余年Photo_6間続いたといわれる。「大森氏関係資料」は、この間の大森氏の系図を初め古文書、大森関係の寺院・神社記録、研究論文等をまとめたもので、「大森氏体系のインデックス(索引)」といっても過言でない。御殿場市立図書館の寄贈台帳によると、全七巻の内の第1巻~第5巻までが平成12年3月31日付けで、頼忠氏から寄贈されていた。私と頼忠氏との関わりは、「おだわらシルバー大学」の自主研究がきっかけだった。

 私は現在、歴史観光コース3年5班。毎年の自主研究の今Photo_4年度のテーマは、仲間の提案で、小田原北条時代前の大森時代を調べることになった。その手始めに大森公に縁がある駿河の寺社探訪の途中に御殿場の図書館に寄り、あの資料に出会った。7月19日のことだった。編者の頼忠氏は「大森氏関係資料」(第1巻~第5巻)を含めて大森関連計18点を図書館に寄Photo_5贈していた。この中の一冊に頼忠氏の住所・電話等が明記されていた。私は早速電話をし、運良く連絡が取れた。そして、8月2日に神戸でお会いして資料について関連取材した。その時に、まだ氏の手元にあった第6巻~第7巻の寄託を頼まれたしだいである。

 頼忠氏は「小田原大森氏同族会代表幹事」。神戸商科大学を卒業後に毎日放送に入社した。その頃、同じ大森公末裔の「甲斐大森家」・大森正氏のPhoto_3呼びかけで、「水戸大森家」(大森信英氏)、「神戸大森家」(大森頼忠氏)が集まり、昭和37年7月8日に「大森同族会」(約30人)が結成された。資料集は同族会のメンバーが各種研究論文を精査し、大森公所縁(ゆかり)の寺院・神社や居城遺跡に足を運んでまとめた結集である。そこには先祖崇敬の気持がひしひしと伝わってくる。

 先祖崇敬といえば、徳川慶朝氏と福本龍氏の名前が脳裏に浮かぶ。私の住む小田原市国府津には最後の将軍「徳川慶喜公」に仕え、明治の世に外交官として活躍した「大鳥圭介」の別荘があり、そこで慶喜公が避寒のために過した記録がある。大鳥圭介の係累が福本龍Photo_7氏で、慶喜公曾孫が徳川慶朝氏である。お二人が国府津を訪れた時に私はお会いした。お二人は共に先祖にまつわる著者があり、先祖への想いが記されている。小田原大森氏同族会は今年5月1日に「大森氏の興亡とその文化」(中野敬次郎著)を出版した。大森研究者の一人だった故・中野氏の没後20年の記念出版である。頼忠氏は「同族会の仕事としては、これが最後になるかもしれない」と話していた。シルバー大学の自主研究。頼忠氏の指導を仰ぎながら、私は今月中になんとかメドをつけたいと思っている。 「大森氏関係資料」が、何故、小田原の図書館ではなく、御殿場の図書館に寄贈されたかの経緯も含めて---。

2007年8月 9日 (木)

「宇宙」で若者教育を刺激

Photo_2  「無重力 人工衛星--謎に迫る」「『宇宙教育』で好奇心を刺激」。こんなタイトルの記事が8月8日付け読売新聞朝刊の教育欄に載っていた。未知なる宇宙をテーマに、生徒と教師が共に学ぶ長野県下諏訪町の下諏訪社中学の授業を紹介している。宇宙航空研究開発機構JAXA)の的川泰宣氏は、この記事を早速取り上げて日本惑星協会のメールマガジンで解説している。的川氏は体調が優れないとボヤいているが、この解説は元気いっぱいだ。

宇宙教育のマスコミデビュー

 本日の読売新聞14面(神奈川版・注=神奈川県内に配達されている読売新聞で、全国に掲載されている)に、“「宇宙教育」で好奇心を刺激”という見出しで、長野県下諏訪社(しもすわやしろ)中学がJAXA宇宙教育センターと連携している活Photo動がとり上げられています。ここは、私たちが全国で真っ先に教育現場との連携を成立させた学校です。年間数十時間に及ぶ協力の中から、私たちも現場教師もそしてもちろん生徒も、「宇宙」を軸にしたさまざまなテーマに肉迫しながら成長してきました
 JAXAの宇宙教育は、教育現場との連携という柱とともに、「コズミックカレッジ」に代表されるJAXA自体が準備する社会教育という活動の柱を持っています。コズミックは就学前の児童から高校生までのいくつかのコースを持ち、それぞれの地域が自立して運営できる体制をめざして着々とした広がりを見せています。
 「宇宙」がもつ不思議な魅力──それは、私たち自身の根源的な故郷であることから来るものなのでしょう。私たちの一人一人が宇宙の進化の過程で誕生した歴史的存在であることを、人類は長い間かかって認識するに至りました。私たちは、ほかならぬその認識の中に、限りない知的好奇心と「いのち」の大切さへの厳かな視線を発見しています。
 
子どもたちが自分の人生を思い切り輝かせるための土台に、私たちの知る限り最もスケールの大きい、最も深い真理と高い心への追究を包Photo_3含している「宇宙」と「宇宙活動」の素材を活用しよう。地球全体の空を覆っているかに見えるくらい現実の暗雲を、宇宙が私たちに与えてくれる夢と憧れという内発力を活用して吹き飛ばしたい──こうして2年前に宇宙教育センターを設立したのでした。まだ始まったばかりではありますが、予算と人力がそれなりに投じられれば、宇宙教育の活動は必ず日本の未来を照らすものになります。この2年間の苦しい活動の中から、その無数の証拠をあげることができます。それでは足りないので、それをもっと大規模に支えるNPOを立ち上げる準備も進行しています。「宇宙教育の桜前線」は、もうじきみなさんの町にも届くことでしょう。
 もう一つの視座は、アジアの子どもたちとともに育っていこうということです。東南アジアに行って、自分の子どもと同じくらいの年齢の子が物乞いとなって手を差し出してくるのを、自分の子を思い浮かべながら複雑な気持ちになったことのあるみなさんは多いことでしょう。学校に行きたくても行けない子どもたちと、行けるのに行かないで家に閉じこもってしまう子どもたち──この対照的な状況をどう受け止めればいいのか。
 「宇宙教育」は、アジア、アフリカ、中南米を含む世界の無数の子どもたちに対して、あまりにも多くの「債務」があるような気がしてなりません。UNESCOやUNICEFと連携して地球のすみずみにまで「宇宙の桜前線」を咲かせる努力を開始しようとしています。そんな中での体調の悪化でした。もう治ったと見るのは早計だったらしく、いまだにすっきりしない状況が続いています。まあ今日お医者さんに行けば、通院しながら治すのか、入院するのか、それとも本当は何も悪くないのか、判明することでしょう。全快したら大好きな「桜餅」でも食べて、スパートをかけたいですね。YMコラムNO.395=2007.8.8)

2007年8月 8日 (水)

夏のおたより~かもめーる~

19  暑中見舞い葉書が散発的に届いている。私は、年賀状はともかく、自分から「夏のたより」を出したことはほとんどない。暑中見舞い葉書は受け取り放っしで、まだ返事を書かずに失礼を重ねている。先日、中学時代の同級生から電話をもらった。「サイトウさんはかもめーるを出している?」。直ぐにピンときた。葉書の売込みである。売り込みというと大仰であるが、ちょっと声をかけてきた感じだ。「息子がつとめている郵便局の葉書の販売実績が少ない」ために、売り上げ増進のハッパをかけられているというのだ。19_2

 今年のかもめーる発行枚数は合計で2億2900万枚(昨年(2億4000万枚)。無地が1億3900万枚、絵入りが9000万枚。「ゆうびんホームページ」からの情報による。38億枚にのぼる年賀状とは比較にならないが、それでも2億を越す枚数である。それだけ郵便局員への販売ノルマが課されているのだろう。スーパーやイベント会場で記念切手や郵便葉書を販売する<出張局員>の姿をよく目にする。かもめーるの購入を頼まれることは少ないが、年賀状は多い。もちろん郵便局に勤務している子供や夫の家族からである。「日本郵政公社」(JAPAN POST)となってから、頼まれる回数が増えた気がする。

 かもめーるは、「夏のおたより郵便葉書」と呼ばれる。昨年から名称が変更された。それまでは「暑中見舞用郵便葉書」だったが、「残暑見舞い」としても利用してもらおうという商魂からである。今年のデザインは表(金額が明示された料額印面)が5種類。「かもめ」「あさがお」「木かげ」「海風」「涼風」。絵入りの裏面は「ラベンダー」「海」「ひまわり畑」の3種類。時節の挨拶文が入った葉書もある。販売期間は8月24日まで。私は暑中見舞い葉書は出さないし、出しても普通の葉書を使うので、同級生の要望に応えることができなかった。そんな私が言うのも矛盾するが、「皆さん、どんどん夏の便りを出してやって下さい」----。

2007年8月 7日 (火)

新参院議長に 江田五月氏

Photo  参議院選挙後の新しい参議院議長に7日、民主党の江田五月氏が就任する。予想通りである。私は以前から江田氏のメールマガジンを拝読している。裁判官という経歴が、単なる政治家とは違う視点に注目しているからだ。安倍内閣成立後はそのメルマガと合わせて読み比べている。参院第一党になった民主党から議長が出るのは恒例である。その民主党内にも江田氏のほかに議長候補者がいた。しかし、江田氏の仕切った岡山選挙区で新人女性候補が自民党参院幹事長だった片山氏を破った党内へ与えるインパクトがかなり強かったのではないか、と私は推論している。江田氏の最新のメルマガである。(後半は省略)

  江田五月 メールマガジン 第676号   2007年8月6日
              
http://www.eda-jp.com/

(1)<ショートコメント>・・・《新しい参議院が始まる》
明日、参院選後初の臨時国会が召集され、本格的な与野党逆転の参議院で、新しい正副議長が選出される。今夕、私の所属する民主党・新緑風会の議員総会が、新参議院議員姫井由美子さんも参加して開催された。輿石議員会長が再任され、幹事長に平田健二さん、国対委員長には簗瀬進さんが指名され、私が第27代参議院議長候補として推薦いただいた。これまで経験したことのない「ねじれ国会」の妙味をどう発揮するかが問われる。


(2)<江田五月の予定表>(HPにて随時更新)
        7日<東京日程>
     8時00分・・・姫井さん初登院
          9時00分・・・議員総会
     10時00分・・・本会議 議長選挙
     12時00分・・・議院運営委員会理事会
     12時20分・・・議院運営委員会
     13時40分・・・天皇陛下に拝謁
     15時00分・・・開会式
     15時25分・・・内閣総理大臣に就任挨拶
     16時00分・・・最高裁判所長官に就任挨拶
     16時30分・・・就任記者会見

2007年8月 6日 (月)

原爆と広島の狛犬

 狛犬の杜---日本参道狛犬研究会(三遊亭円丈会長)が2か月に一回発行している会報である。私は、「あ∞うん」のタイトルで毎回コラムを連載している。その中で、思いで深く、印象に残る一番のコラムはどれかと問われれば、躊躇(ちゅうちょ)なく広島の被爆狛犬をあげる。以下は第30号(平成14年=2002年7月1日)に掲載された記事である。

 白神社(Photoしらかみしゃ=宗像紀道宮司)には3対の狛犬がいる。昭和に建立されたのが2対で玉に足を乗せている。もう1対は寛政5年(1793年)9月建立で台座に「願主寅年男子」「尾道市石本」とある。石は瀬戸内海湾型花崗岩といわれる。爆心地から490m。いずれも爆風で吹き飛んだが、寛政の狛犬は熱線で表面が剥離(はくり)している。「今でも放射能が残っています。もちろん人体には影響ありませんが---」と、宗像宮司は話している。

 4対の狛犬がいるのは爆心地から930mの廣瀬神社(渡部定彦宮司Photo_2)。安政6年(1859年)5月建立の玉乗り狛犬1対だけが倒壊し、後足が欠けている。「願主大杉屋卯三郎」「尾道住人石本屋和助作」と台座にある。「石本」とは尾道に代々伝わる石工であろうか。<安政狛犬>に対し、他の大正、昭和の狛犬は一見何事もなかったかのように鎮座しているが、昭和15年建立の大型阿像が台座上を南側に10㎝ほど回転・動いていた。渡部宮司の話でわかったが、東側からの爆風によるものだ。

 爆心地から300m、ほとんどが倒壊した中で、本覚寺(渡部康國住職)の鳥居は立っていた。広島平和記念資料館に掲示されている被爆間もない市内のパノラマ写真が証明している。その鳥居を入ったところに1対の狛犬がいる。吽像は右後足を玉に乗せた、円丈師匠いわく<Jリーグ狛犬>。昭和14年6月建立で石工は吉井康博。狛犬が倒壊したどうかは不明だが、寄進者一家が全滅と聞いてメモする手がにぶった。

 昭和20年8月6日の原爆投下で、爆心地から2㎞以内にあった広島の狛犬は、なんらかの形で被爆している。8月9日に被災した長崎の狛犬ともども、被爆狛犬にもっと目を向け、耳を傾けたい。

 後日談 本覚寺の鳥居のことを広島平和記念館に話したのは私である。寺には鳥居がないという先入観から、爆心地に近い神社と推定していた。境内に祀る祭神によって鳥居を構えている寺もあるのだ。記念館は素直に受け入れてくれた。この寺の若い坊さん(副住職)とは、埼玉県にある修養道場で一緒だった。彼のいる寺とは知らなかった。境内で偶然顔を合わせ、お互いにびっくりした。彼に被爆狛犬について話したことは言うまでもない。記事掲載から既に5年。「鳥居を見に来る方が増えました。原爆の語り部として鳥居と狛犬を大切にしています---」。修養道場でこう話す彼も今は結婚し、一児のパパである。

2007年8月 5日 (日)

安倍内閣のメルマガ

 「安倍内閣メールマガジン第40号」(2007年8月2日午前8時27分着信)のメーンタイトルは「覚悟を決めて」。参院選で与党の敗北後、批判や思惑が渦巻く中で、安倍首相が<続投>を初めて表明したメルマガである。このメルマガは新聞記事にもなっている。着信は、私が神戸へ発った日である。神戸には首相がサラリーマン生活を送った神戸製鋼がある。今、神戸製鋼旧建物の跡地には、「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」が建っている。まさか、神戸で首相の名前を耳にするとは思わなかった。これは一国の首相のメッセージである。とにかく、ここに紹介する---。

[こんにちは、安倍晋三です]覚悟を決めて

 先日の参議院議員選挙の結果は、極めて厳しいものでした。年金記録問題を引き起こした政府への怒り。相次ぐ閣僚の不適切な発言や政治資金の問題に対する、いい加減にしろ、との怒り。こうした国民のみなさんの怒りや不信が、今回の結果につながったことを厳粛に受け止め、こうした厳しい声に真摯にこたえていかねばならないと痛感しています。私自身の進退も含め、いろいろとご批判があります。しかし、改革への流れをここで止めるわけにはいきません。

 教育再生や公務員制度改革、新成長戦略の推進、地域の活性化・再生、地球環境問題の解決に向けたイニシアティブ、アジア外交の再構築、憲法改正に向けた取組み。先週号のメルマガでお伝えした、私の改革への決意に対して、力強い応援メールをたくさんいただき、御礼を申し上げたいと思いますが、この決意は、今でもまったくゆらいでいません。改革の中身について、これまで十分に説明できず、政策論争を深めることができなかった点は、率直に認めなければなりませんが、私が進めつつある改革の方向性が、今回の結果によって否定されたとは思えないのです。

 今、政治の空白をつくることは許されません。ましてや、政治が混迷したために改革が遅れた、あの90年代の低迷期に後戻りさせるわけにはいかない。今後とも新たな国づくりを進めていくことが、私の使命であり、責任であると考えています。「政府や政治に向けられた不信すら一掃できないようでは、新しい国づくりなんてできないぞ。」これが、今回の結果によって示された、国民の強い声だと受け止めています。

 人心を一新します。改革をさらに前進させることができ、国民からも信頼される体制へと、内閣の陣容を改めていきます。政治資金の透明化をさらに高めます。政治家自身がまず襟を正し、あらぬ疑惑をもたれることのないよう、オープンな仕組みをつくらねばなりません。そして、今回の選挙で示されたもう一つの声、すなわち、改革の痛みを感じている地方の声にも、改革の果実をさらに地方の実感へとつなげる努力を尽くすことで、こたえていかねばならないと思っています。まさに、今回の厳しい審判を、信頼される政治、真に改革を進める体制づくりを行うきっかけにしなければならないとの思いを強くしています。

 私は、ここで逃げることなく、自らが先頭に立ち、国民の厳しい声に正面からこたえていく覚悟です。そして、ゼロから出直す気持ちで、新しい国づくりに向けた信念を貫いていきたいと思います。(晋)

2007年8月 4日 (土)

「大震災」と「沈没船」記念館

Photo_7  神戸を3日から一泊二日の予定で訪れている。一番の目的は「大森頼忠」氏に会うためである。大森氏は、室町時代後期の小田原城主「大森藤頼」から数えて18代目の子孫。「大森同族会」の中心となって先祖の系図を調べ、膨大な資料をまとめている。今年75歳。「北条早雲」に追わPhoto_8れるまでの大森時代を調べる一助として、私は神戸在住の大森頼忠氏を訪れた。その取材話は後日に譲るとして、4日は「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」と、「沈没した船と海員の資料館」を見学した。前々から行きたいと思っていた。数々の写真や遺物を目にして、その悲惨さを改めて痛感した。

 私が宿泊したホテルオークラ神戸の直ぐ近くに「神戸港震災メモリアPhoto_10ルパーク」がある。被災状況の一部をそのまま保存してあり、倒壊した岸壁が生々しい。家族連れや外国からの観光客が見学していたが、最近、新潟で地震があったばかりだけに、ホテル内でも地震の話題が多かった。震災記念館はホテルから車で約10分のところにある。通称・防災センターと呼ばれている。館内に入ると、当時の映像をシャワーのように浴びせられる。テレビや映画で繰り返し見たシーンだが、<現場>で見ると恐怖が倍増する。会場には写真とともに遺族達から寄贈された数々の遺品が所狭しと展示されている。「(午前)5時Photo_1446分」を指したまま停まった置き時計が、ここにも あった。被災生活で使われた食器類や炊き出しの大鍋もあった。今、避難生活を送っている柏崎をはじめ、地震被災者のことが脳裏をよぎった。記念館に寄せられた遺品の品々は定期的に並び替えられているが、それでも、まだ一度も展示されていない物も多いという---。

 沈没船Photo_11資料館は、震災記念館を訪れる前に足を運んだ。ホテルからバイパスや道路を越えた真向かいの「全日本海員組合」会館の2階にある。ここには「遺品」がほとんどない。船の写真とモデルシップがあるだけ、と言っていいだろう。資料館は、全国で100を越す「平和博物館」、「戦争資料館」の中で唯一、太平洋戦争で犠牲になった船員と沈没した船の記録と資料を保存している。55回目の終戦記念日の平成12年(2000年)8月15Photo_12日にオープンした。「海に墓標を 海員不戦の誓い 」と明記したパネルが会場入口に掲示されている。写真は2000数百隻にのぼる。モデルシップの作者は佐藤明雄氏(甲南大学名誉教授)。佐藤氏は展示だけではなく、船員遺族へ何隻もの船を贈っている。<棺の船>、鎮魂のモデルシップである。NHKテレビで紹介された。私はそれを見て資料館を知った。4日には遺族への民放テレビの取材が行われ、15日に放送の予定という。

  私は午前Photo_1310時過ぎに資料館に入ったが、既に一人の女性がいた。神戸で開催される教員研修会に参加する東京の中学教師だった。資料館見学は自らの研修コースには入っていないため、個人的に訪れたという。係員の説明に、「初めて聞くことばかりで、今後の授業に役立てたい」と話していた。戦争では多くの商船の船員と漁船乗組員が犠牲になっている。漁船は<偵察船>として繰り出された。戦争のことで、我々はまだまだ知らないことが多い。

2007年8月 3日 (金)

神戸「生田神社」の狛犬

Photo  時は5月の結婚披露宴で、神戸市の「生田神社」→「ホテルオークラ神戸」、という名前だけで誰の結婚かピンときたら、かなりの芸能人通であるか、テレビ人間であろう。女優の藤原紀香が挙式(2月17日)をした神社であり、結婚披露宴(5月30日)を行ったホテルである。神社に若いカップルや女性の参拝者が目立つので気になっていたが、権宮司の六車(むぐるま)勝昭氏の話でわかった。披露宴の件はホテルへ向かうタクシーのドライバーから聞いた。偶然ではあるが、私がPhoto_2訪れた神社、また宿泊したホテルが彼女と縁があったということだ。8月2日の話である。

 生田神社(加藤隆久宮司)へは狛犬取材で訪れた。神戸市の繁華街・三の宮にほど近い神社とはいえ、若い女性の姿が目立つのは不思議だった。藤原紀香の結婚披Photo_3露宴は読売テレビ(日本テレビ系列)で全国中継された。以来、神社への挙式申し込みが増えたという。テレビの影響は大きいが、そんな若者が、時折、狛犬に携帯電話(カメラ付き)を向けていた。生田神社には3対の狛犬がいる。鳥居の前に石造(明治42年12月)、拝殿前に青銅(昭和34年1月)、末社の蛭子社前に陶製(昭和29年4月)の狛犬がそれぞれ鎮座している。若者が写真を撮っていたのはおもに青銅の狛犬である。青銅狛犬はPhoto_4戦災で焼失した神社の復興を記念して建立された。そして、あの「阪神淡路大震災」(平成7年=1995年1月17日)で神社拝殿が倒壊した。その時、青銅狛犬は、一部ではあるが拝殿の屋根を守った。「こま犬が屋根を受けとめた」と、新聞記事にもなった。氏子の間では「戦災復興記念の狛犬が、地震の時に拝殿の一部を守ってPhoto_5くれた」と崇敬されている。

 鳥居前と蛭子社前の狛犬は転げ落ちた。石造狛犬は元通り台座に移した。陶製狛犬は破損したため修復した。蛭子社前狛犬の台座には、「昭和29年4月」の奉納者名とともに、「再建 平成7年12月吉日」と再建者の名前が一緒に刻まれている。生田神社は、昭和13年の阪神大水害、昭和20年の神戸大空襲、平成7年の大震災と大きな天災人災に見舞われた。そのたびにたくましく復興し、甦(Photo_6よみがえ)り 再生してきた。平成17年1月17日に「震災復興奉告祭」を行った。陶製狛犬は震災一年足らずのうちに再建された。神社崇敬者の篤い気持と心意気が伝わってくる。「生田」は、「生(い)きた」、「生(う)まれた」とも読める。藤原紀香は兵庫県西宮市の出身で高校・大学は神戸である。35歳になった彼女が、そんな地縁とともに神戸の大氏神として敬われている生田神社で結婚式を挙げたことが、なんとなく頷(うなず)ける気がした。

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