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2007年5月31日 (木)

5月の小田原・不審者情報

◆(小田原警察署からの情報)5月に入り、箱根・湯河原・真鶴にある団体事務所が何者かに荒らされ、金庫内に保管中の現金等が盗まれるという被害が発生しています。これまで、5件の被害を確認していますが、これらに共通しているのは、夜間は無人になり、警備員等の配置がないことです。侵入の手口は、3件が無施錠の窓から、1件がバールなどを使ってドアをこじあける、1件が窓を突き破るというものです。今後も発生する恐れがありますので、事務所には鍵をかける、防犯設備を整える等の他、貴重品や現金を置いたままにしないなど、被害に遭わないよう注意してください。何かありましたら小田原警察署(0465-32-0110)にご連絡ください。(入電=5月24日13:19)

◆〈学校からの情報〉5月21日(代休日)、14:00頃、小田原錦通り付近で、中学生女子が自分の後ろに人の気配を感じて振り向いたところ、男が下半身を露出していた、という事件が発生しました。生徒は近くの店員に訴え、その店員が男を追ったが、見つかりませんでした。男の特徴は、30歳前後、グレーのTシャツ。(入電=5月22日13:58)

5月9日、18:00過ぎ、板橋の香林寺付近の竹薮の近くで、下校途中の中学生女子が、不審な男に「このあたりに住んでいた人を知らないか」「お尻を触らせて」「写真を撮らせて」と声をかけられるという事件が発生しました。生徒に直接の被害はありませんでした。男の特徴は、30歳代、痩せ型。(入電=5月19日19:28)

2007年5月28日 (月)

「談志の田んぼ」 田植え

Photo_1058  新潟市岩室温泉にある「談志の田んぼ」で5月27日、田植えを行ったPhoto_1045 。落語家・立川談志師匠が地元からの<提供>で持っている一反の田んぼ。師匠自ら田んぼに入り、毎年5月に田植え、秋に稲刈りに訪れ、収穫 時は手ずからはざ掛けもする。 新潟市と合併する前の岩室村の落語好きの青年達が、「村興し」に、と談志師匠にお願いして、平成7年(1995年)から始まった。今年で12年Photo_1042目を迎えたが、この間、Photo_1056師匠は一度も休んだことが無い。以前、「咽喉癌」の手術をしたが、退院3日目に元気に稲刈りを行ったほど。私は二年ぶりに岩室を訪れた。

 田んぼには、毎回、200人前後の<ギャラリー>が集まって談志師匠を迎える。この日は、東京から師匠の弟子で江戸文字作家の立川文志氏、漫画家の髙井研一郎氏、東京ボーイズの仲八郎氏ら9人が師匠に同行した。一時ぱらついていた小雨も、田植えが始まる頃にはあがった。師匠は簡単な挨拶のあと、地元の人達や同行の弟子達と一緒に田んぼに入った。師匠は今年71歳。ちょっと疲れた様子だった。それでも、「私はこんなことをするのがイヤで落語家になったんだ---」などとギャラリーと冗談を交わしながら、一条を植え終わり、周囲の人達から盛んな拍手を浴びていた。

 私は「談Photo_1054志の田んぼ」がスタートして間もなく、ほぼ毎年のように田んぼを訪れている。田植えや稲刈りはほんのたまにしかしないで、専ら見物の側に回っている。そんなこれまでの体験からつくずく感じたことは、談志師匠のサービス精神である。<Photo_1043会場>にはシャケ汁、おにぎり、飲みもののほか、現場でついたモチも振舞われる。師匠はいつも人の輪に囲まれ、実に一所懸命に話し、時にはサインに応じている。その姿は、テレビなどマスコミに映る<強面(こわもて)>のイメージとはまるで違う。新幹線「燕三条駅」構内ではPhoto_1047大凧が展示され、保存会のメンバーが大凧祭りのPRをしていた。駅長も一緒だったが、求めに応じて気楽に話を交わしていた。「気遣いの人」でもある。一方で、篠田昭・新潟市長がわざわざ師匠に挨拶に訪れるなど、<さすが談志>という、人気と力を見Photo_1050せ付けてもいる。

 昨年Photo_1053秋の稲刈りに私は参加できなかった。その時に、師匠はこう言ったそうだ。「田んぼに入るのはだんだんしんどくなってきた」と。そこで、今年の田植えはしないのではないかとも思われていた。また、挨拶で、「体力的に今後、田植えも稲刈りも出来なくなり、見る側になるかもしれない。そPhoto_1057れでも毎年田んぼを訪れたい」と話していた。この日の田植えの最中、途中で何回も一息入れていた。ギャラリーから「ガンバレ!」という声援が飛んでいた。肌寒かった。「いやっ、こんなに火がこいしくなったのは久しぶりだな」と、田んぼからあがったあと、炭火で身体を温めていた。サービス精神がおう盛なのだ。「選挙(参院選)に出Photo_1049た時から妙なクセがついちゃってね---」と、これも冗談まじりに話していたが、傍で見ていると師匠のサービス振りがよくわかる。そこが師匠の人気のツボでもある。

 弥彦山の麓には田植えを終えた青々とした水田が広がっている。「談志の田んぼ」からは7~8俵(反収)とれる。秋の収穫祭が待ちどうしい。

2007年5月22日 (火)

取材の段取り 「チラシ」から

Photo_1040  「REX JOURNAL」。A4・12ページの展示評論・情報誌である。REXは「Research Institute Exposition」の略。名古屋で「展示文化研究所」を主宰する高橋英次氏が月一回発行している。わずか12ページの小冊子とはいえ、その中身は幅広く、かつ濃い。「各地展覧会の情報はどんな方法で入手するのか」--と、読者が常々思っていたことである。このほど届いた137号(2007.5月号)に、取材日程の組み方とともに、情報源としてのチラシの効用を紹介している。

 まず、街に出て一回りすると30点ほどの新種チラシが入手できるPhoto_1037という。この中から興味があるもの、重要と思えるものを選ぶ。ジャーナルの記事は、告知・案内ではなく「論評」であるため、取材に値するかどうかが判断の基準となる。この時点で、①タイトル②日程③基本データを打ち込み、時には「予定稿」の一部を書き始めておく。これを基に、地域エリア、開催日を組み合Photo_1038わせた取材日程とコースを組む。高橋さんは、一日4~5か所を回り、7~8テーマにアプローチする。これを月に7回繰り返して約50項目の<ネタ>を拾うという。現場に出かけて期待外れのもの、その逆で、思わぬ<拾い物>もある。もちろん、取材したものが全て記事になるわけではない。ちなみに、最新号の目次を見ると---。Photo_1039

 「チラシとチケット 情報源として」(巻頭エッセイ)、「戦争と平和の資料館 ピースあいち」、「アメリカ絵画 子どもの」、「アメリカ車のデザイン」、「チェコの絵本とアニメーション世界」、「南條亮 ジオラマの世界展」、「藤森建築と路上観察」、「トヨタホーム・アトリスパーク」、「依佐美送信所記念館/フローラルガーデンよさみ」、「ノリタケ食器 素材のいろいろ」、「JR名古屋タワーズテラス・フラワーフェスタ」---等々、他にもあるが、加えて書評など様々。豊富な写真とイラストとともに、見所と評価を簡潔に記してある。

 高橋氏は私と同じ日本展示学会に所属して理事などの役職体験者。70歳を超えているが、学会総会などの発表会では鋭い質問をあびせて、若い研究者に大いに刺激を与えている。そこで、チラシへのこだわりだが---、氏はこう述べている。「ネット情報では抽象化、均質化されたデータで検索に対応性があるが、チラシは個別独立のアナログ情報。紙質、レイアウト、インクの色艶---などメッセージ内容とは直接関わらない些細と思われる事項が、実は雄弁に展覧会の性格を語るものになっている---」。「だから、前近代的と思われるプリントメディアの入手から取材計画はスタートする」と。

    「REX JOURNAL」は、一気に読み終え、終わった瞬間から、次号を待ちわびる冊子である。

2007年5月21日 (月)

「夢現スタジオ」 大和市

Photo_1028 Photo_1026 <夢現=ムゲン=まつり>と、銘打ったまつりが20日、神奈川県大和市にある「夢現スタジオ」で行われ た。会場はスタジオ内外に分かれ、室内ではお笑いライブ・落語、広場では器楽演奏、模擬店、フリーマーケット、車庫ブースでは似顔絵、占い、江戸文字グッズ--Photo_1010-等々、ヤルことが多彩なら、タレントもテレビやラジオで活躍中の面々も。この まつり、一人の人物が企画 し<家族>で運営、会場が<自宅>というユニークさ。しかも、会場には現職大臣や市長がわざわざ顔を見せにくるのだ---。

 井上貴雄氏。50歳。不動産管理と農業を営む。2005年(Photo_1027平成17年)3月に、住居隣の倉庫を取り壊してスタジオにした。「何か表現活動を行える場所がないか」という知人の話がヒントになった。1階が事務室で、スタジオは地下1階。防音装置を施してある。地域の人達の発表会や稽古場、展覧会などに利用してもらうのが目的で、名付けて、「夢」を実「現」させる場所---の「夢現スタジオ」。この看板を江戸文字作家の立川文志師匠が書いた。Photo_1023私は文志師匠を通じて井上氏とお付き合いを始めた。<夢現まつり>は今年3回目。私は同じ神奈川県内に住みながら、なかなか伺う機会が出来ずに今回初めて顔を出した。

  文志師匠の<江戸文字漫談>を久しぶりに見るのが目的の一つだった。若手落語家の噺もそれなりに面白かったが、まつりの中身とは別に、私の関心をひいたのは2点。広告と色紙。「夢現スタジオ」への最寄り駅は相鉄線「相模大塚駅」。そのPhoto_1013駅階段の何段かに広告を掲示してあった。私は、他の鉄道や駅のことは知らないが、なるほどPhoto_1014、階段を使った広告も一つのアイディアだなと思った。色紙はスタジオ内に掲示されている。安倍晋三自民党総裁の「夢」の字をはじめ、何人かの自民党国会議員がそれぞれの文言をしたためている。

 井上氏の父は元・大和市長。そんな関係で政治家とPhoto_1021は縁が深く、衆院議員で経済産業大臣の甘利明氏(神奈川13区)もその一人。甘利氏は午前中、まつりに顔を見せていたという。甘利氏の色紙には「大志」。他の議員は「夢現スタジオ」に絡んで「夢」の字が多かった。井上氏はタウン誌に「二代目 たまゆら日記」を連載Photo_1019している。そこで、自らは政治家になる気持がないことを吐露している。自宅敷地にスタジオまで建てた井上氏に対し、地域の人々は一層の文化活動を期待しているようだ。まつりに集まったお客の間をこまめに回って話を交わしている井上氏の姿を見ながら、私は、そう感じた。

2007年5月19日 (土)

人間ドッグ

 久しぶりに人間ドッグを受けた。新聞社勤めの現役時代に一回受診しただけだ。動機は文教大学の教職員に対する健康診断を、日程の関係で受けられないために、ドッグで受診し、それを大学に提出するためである。日帰り受診で19日(土)に自宅近くの病院(クリニック)で行った。予約により午前8時30分までに受け付けをすませた。この日の受診者は6人。一般診療者の合間をぬって、係員の指示に従って院内を移動した。各診察室前の椅子はもちろんロビー一杯を患者と付き添いの家族が埋め尽くしていた。いつも話しに聞いている光景ではあるが、驚いた。私は病院に<縁>がないのではなく、ほとんど行かないために知らないだけなのだ。クリニック棟はまだ新しく、清潔感が漂っており、全体的に<陰鬱(いんうつ)>な感じは受けなかった。

 受診科目というか私の検査項目は、採血→腹囲・身長・体重測定→超音波→検尿→レントゲン→心電図→胃カメラ→外科→内科の順。この間に視力・眼底検査など眼科の検診があったがパスした。17日に白内障手術3ヵ月後の検診で既に検査済であるからだ。白内障の件については院長から「術後の経過も良く来診の必要はもうない。薬の点眼もやめてよい」と言われた。一段落したのだ。眼科については院長の診断書を提出する。

 私が初めて人間ドッグを受診したのは東京の病院での一泊二日コース。ある銀行員と相部屋で、病院貸与の衣類をまとって院内をウロウロしたものだ。今回は、服装は普段通り。一通りの検査が終わった後、外科と内科の医師の話を聞き、必要なら精密検査を受ける。その医師も、受付で指定できるのだ。私は特に指定(知らないから)しなかったが、かかり付けの受診者は科ごとに医師名をあげていた。血液検査をはじめ超音波での内臓検診、胃カメラの結果なども短時間で<電子カルテ>に記載される。レントゲン検査は異常がなかった。しかし、既に指摘されていたことではあるが、精密検査の必要事項が<予想通り>あった。科目を代えた病院通いが続くのか。酒は控えなければなるまい---。

2007年5月18日 (金)

大学生 麻疹(はしか)感染

 首都圏の大学生や高校生に流行している「麻疹」(ましん)つまり「はしか」が、<身近>に発症した。私が非常勤講師をしている文教大学(湘南キャンパス)は18日、「本学の学生から麻疹の発症が報告されましたので、本日より5月31日までの期間、以下のような対応にご協力をお願いいたします」という、学生達にあてた学長からのメッセージを大学のホームページ等で告知した。今のところ休講の知らせはない。「なぜ今、流行か---」という解説が、日々マスコミで伝えられている。ここでは、学長の学生達にあてたメッセージを紹介する。

1.毎朝検温して37.5℃以上の熱があった場合は、速やかに病院を受診して下さい。

2.受診の際は、大学に麻疹発症者がいたことを伝えて下さい。

 もし、診断と診断されたら---麻疹との診断を受けたことを、教育支援課に電話連絡して下さい。医師が通学許可をするまでは、出席停止です。医師の指示に従い、自宅で安静にしていて下さい。発症後登校する際は、病院で「完治証明書」(麻疹が治って登校を認める内容のもの)を発行してもらい、「欠席扱い免除願」と一緒に教育支援課窓口に提出して下さい。

 もし、麻疹でなかったら---①平熱になるまで自宅療養してください。②解熱後、病院の診断書又は受診月日・病院名のある領収書等を、「欠席扱い免除願」と一緒に教育支援課窓口に届けてください。(5月31日までの期間で、麻疹の疑いで病院受診し、授業を欠席した場合は初診日に限り、欠席免除いたします)

3.予防には麻疹ワクチンの接種が有効です。自分が過去に麻疹に罹(かか)ったことがあるのか、麻疹の予防接種をしたことがあるのかを、保護者に確認してください。未罹患・未接種の場合はワクチン接種をお勧めいたします。以上

 問合先=教育支援課 0467-54-3709 保健センター 0467-54-3712

 麻疹の流行は、学生達への授業は当然として、合わせて就職活動を行っている4年生に大きな影響を与えそうだ。自宅通学の学生には家族の配慮を、親元を離れて一人住まいをしている学生や、アルバイトをしている学生に対しては、周囲の方々からの助言がほしい。

2007年5月16日 (水)

「33人」が→「25人」に

Photo_1033  「平成19年度おだわらシルバー大学」の始業式が15日、小田原アリーナ研修室で行われた。始業式は二年生(2クラス)と三年生(1クラス)合同。私は今年度から「歴史観光コース」の三年生。最終学年である。受付で名簿と学習日程表を手にした。人数は見て、あれっと思った。25人しかいないのだ。入学時の2年前は33人。二年生の時に30人を割り、三年生では入学当初から8人も減ってしまった。シルバー大学の入学資格は60歳以上の小田原在住者。選考は抽選で試験はない。クラスは学年ごとに5班に編成替えするが、私の班の場合、一年生の時に1人が健康を理由に辞めた。二年生の時には1人が顔を合わせる前に亡くなり、1人が辞めている。過去Photo_1030の例は調べていないが、わずか2年間で8人も減るのはめずらしいのではないか。

 シルバー大学には<落第>がない。一定の授業を受けなければ卒業証書をもらえない。一般大学と違い、卒業証書があっても特に<資格>に関係するものではなく、あくまでも生涯学習の一環である。それでも、入学希望者は多い。学生Photo_1032(受講者)は年間一万円を負担するものの、市の予算で運営されている。全員が元気良く卒業し、卒業生に社会でのボランティア活動を期待する市にとって、中途退学者が多いことは、今後の募集に影響を与えることにもなりかねない。

 始業式は市の担当課長の簡単な挨拶だけで、早速、授業に入った。テーマは「地域社会における熟年者の役割」。講師は国際医療福祉大学在宅地域ケア研究センターの栗盛須雅子氏。事務局から依頼された当初のテーマ「地域社会における高齢者の役割」を、講師が「高齢者」を「熟年者」に変更して話した。<健康寿命>とともに医療施設の問題などに触れ、最後に「目指すはPPK、ならないNNK」と結んだ。PPKは「ピンピンコロリ」、NNKは「ネンネンコロリ」の意味とか。いわゆる死に様だ。シルバー大学の、特に仲間に死亡中退者を出している学生達にとって、こんな言葉遊びも、切実な思いで迫ってくる。

2007年5月15日 (火)

故障? <リセット>でOK

 「DVDビデオレコーダー」が故障した。14日午後からテレビの録画が出来なくなってしまったのだ。半日前まではなんでもなかったのに。「DVD」側は通常通りに作動しているのに、「HDD」側が動かないのだ。「HDD」⇔「DVD」の切り替えができない。DVD-Rなどのディスクに録画した画像は再生できる。まぁ、いいやと、しばらく放って置いた。しかし、数時間後にスイッチを入れたが結果は同じ。電気屋さんに電話した。

 私はほとんどテレビを見ない。その代わりに主だった番組を録画し、深夜あるいは別の日に見ている。定期的に録画しているのは、NHKの「知るを楽しむ」シリーズ。毎週月曜日~木曜日の午後10時~10時50分まで放送されている。テキストも全部、定期講読している。「その時歴史が動いた」「探検ロマン世界遺産」「ようこそ先輩」「日本の話芸」その他、科学や美術番組、時には映画や劇場中継など数多い。いずれも「HDD」に録画したあと整理して「DVD」にダビングしている。録画を全て見るわけには行かない。本にたとえるなら、<積ん読>といったところか。とにかく、故障は困った。

 客への仕事の手順が決まっていた電気屋さんは、「まず、みてみましょう」と、電話からしばらく経って立ち寄ってくれた。この「DVDビデオレコーダー」を購入したのは4年以上前。一度、修理をしている。わが家はたいした買い物をしていないが、昔から電気製品は大概ここから買っている。このレコーダーの<カルテ>があるのには驚き、感心した。カルテ片手に頭をかしげていた電気屋さんは、「操作ミスではないですね。DVDは正常でしょう。この種のレコーダーの故障は8割以上がHDDです。修理に出さなければ---。代わりの機種が来るまでDVDを使っていて下さい」と一旦立ちかけた。そして、「念のために」とテレビ台を動かして壁のコンセントからコードを抜いた。「HDDはパソコンとほとんど同じ。フリーズした時に(緊急手段として)電源を抜くでしょう」などと話しながら、再びスイッチを入れた。

 HDDにランプが点いた。正常に作動する<合図>である。「よかった」 と電気屋さん。私も「さすが---」と声を出した。結果オーライ。分かってしまえば他愛のないことだが、そこまでのプロセスが大事。帰り際にリセットをしてみようという<土壇場の判断>が実を結んだ。何かすごく得した感じだ。私は早速録画の予約を入れた。---黙って帰った電気屋さんへのお礼、いや<修理代>をどうしようか。今、そんなことを考えている。

2007年5月14日 (月)

次は学校などで展示を=提言

Photo_1003  徳川慶喜公の書や野口英世博士からの葉書、国府津の古地図等が展示された特設会場には「リピーターが多かった」という。小田原市国府津商工振興会のイベント二日目の5月13日、JR国府津駅前での受付には120人を超すハイカーが顔を見せた。受付を通さないで直接展示会場に向かう人達もいた。このイPhoto_998ベントPhoto_997 をきっかけに親類・兄弟姉妹が国府津に里帰り して、ふるさとを散策する姿も見られた。「地元のことを少しでも多くの方々に知ってほしい」という願いで企画されているこのイベントは、国府津の皆さんに大きなインパクトを与えたといえる。

 私は東京から来た文教大学の教授夫妻らと一緒に国府津の町を歩いた。展示会場には、Photo_999前日とは顔ぶれが代わった振興会のメンバーが立っていた。それぞれが仕事の合間をぬってスケデュールを組んで運営に取り組んでいるのだ。特設会場の展示物を観るには「一日だけではモノ足りない」と二日連続で足を運んだ人もいる。この日は鑑賞客側になった商工振興会のメンバーと家族もいた。会場や通りすがりに、何人の方々と声を交わし、挨拶したことか。それだけ、地元のPhoto_1000人々の関心が高かった証拠であろう。12日~13日の5月の土日は各地で様々な行事が開催されている。そんな中で参加者は、「記念寄席」を含めてカウントした人数は延べ600人を超えており、実質人数はこれをさらに上回るものとみられる。「ちえのわハウス」で扱った「将軍コーヒー」は完売した。

 特設会場近Photo_1001くに、わが家の檀家寺の「法秀寺」がある。13日は「開堂記念会」で今年70周年を迎えた。私は午前中、この<先師法要>と総会に参列しており、午後から教授らと待ち合わせて商工振興会のイベント会場を回った。準備段階を含めて、ここ数日間の動きを見てきて感じたことは、先ず、その内容が多岐・多彩で深みがあPhoto_1008ることだ。単なる形式的・平面的でなく、他のイベントに関わっている人達も「よくここまでできましたね---」と感心しているほどだ。もう一つは<助っ人>の力だ。「記念寄席」の会場提供と椅子席をセッテイングしてくれた学校関係者、参加者に好評の<みかんの香り>の袋詰めをしてくれた農協関係者、それに、Photo_1006イベント案内チラシを町内に全戸配布してくれた国府津地区自治会連合会---等々、その協力団体は数々あるが、要は、イベントが商工振興会と補助金助成の小田原市だけではなく、国府津の町をあげPhoto_1004てのイベントになっていることに意義がある。

 そこで提案がある。各会場に展示されたそれぞれの写真や資料を、学校、公民館、図書館、あるいはデパート---などへの巡回展示をすることであPhoto_1005る。イベント期間中の一過性の展示に終わらせては<もったいない>からだ。現在、JR国府津駅構内に振興会の展示スペースがあり時期ごとに中身を更新している。これに加えて、特に地元の小・中学校、公民館等に展示するようにしたらよい。文字通り<郷土史>の勉強になる。日々の仕事に忙殺されている商工関係者にとって、手間がかかることではある。もちろん相手のあることであるから、そことの話し合いもしなければならないだろう。私は小田原市のエリアマネジャーとしての経験と市政モニターの立場から、出来る限りの協力はする。商工振興会、学校関係者等の検討をお願いしたい。

2007年5月13日 (日)

幸せ気分!みかんの香り

Photo_995   何と表現してよいのだろうか。馥郁(ふくいく)としたみかんの香りが、農道一面に漂っていた。天候も穏やかで、眼下に広がる相模湾の眺望が目に飛び込んでくるようだった。文字通り、「みかんの花と香りを楽Photo_982しむ」一日のハイキングとなった。小田原市国府津商工振興会のイベント初日の12日、地元住民をはじめ東京など関Photo_980東一円から訪れた約250人が、国府津山を散策し、町の特設会場に展示された徳川慶喜公、伊藤博文らの真筆と<レトロ国府津>の写真等を鑑賞していた。特に、みかんの香りは、イベントPhoto_983を始めたこの4年間の中で最も深みがあり、Photo_981初めての参加者はもとより、ふだん国府津山を歩いている者にとっても、貴重な体験となった。

 コースの麓には、大隈重信・元首相跡地、慶喜公が避寒のために滞在した大鳥別荘、小田原市最古のPhoto_984古刹・宝金剛寺があり、要所にNPO小田原ガイド協会のメンバーが立って解説してくれた。朝の9時過ぎには地元・国Photo_991府津中学校の生徒達をはじめ親子、Photo_985夫婦連れが受け付けをすませ、植物に詳しい商工振興会アドバイザーの案内で国府津山に向かった。ガイド協会のメンバーは、特設会場でPhoto_992も説明にあたったPhoto_989。ハイキングを後回しにして直接、展示会場に向かう人達も多かった。会場としては最も狭い「旧多田牛乳店」では、豆相汽船等の写真展示が行われたが、相次ぐ客の案内にご主人は大汗を流していた。「ちえのわハウス」では、ミニコンサPhoto_987ートを開き、慶喜公ゆかりの<将軍コーヒー>を出していた。一杯300円也。私も所望した。

 テレPhoto_990ビ電話はJR国府津駅前の市の施設「ふらっとスポット」と「旧長谷川陶器店」(有形登録文化財)を結んで行われた。「ふらっとスポット」で電話をかけた友人は、画面に映った人物を見て驚いた。何と時折顔をPhoto_986合わせている知人ではないか。相手もびっくりした。早速、合流Photo_994の約束をしてお茶を一緒に飲んだ。偶然とはいえ、このハプニングは、多分、二人の語り草になるであろう。国府津小学校体育館で開かれた記念寄席には約250人の客が集まった。落語と講談。お年Photo_988寄りが多かったが、数少ない中学生が<おなら>を意味する「転失気(てんしき)」の噺(はなし)に笑いこけていた。

 イベントは、今日13日も行われる。東京から知人が訪れる。天気は晴れてほしい。

2007年5月12日 (土)

12日~13日 国府津のイベント

  Photo_978 テレビ電話の通話はOK。ガラスの展示ケースも無事搬入し古地図を納めた---。小田原市国府津商工振興会(奥津弘高会長)の5月の恒例イベント「みかんの花と香りを楽しむハイキング」が、12日(土)と13日(日)の二日間、国府津の町を舞台に繰り広げられる。11日までに打ち合わせをすませ、準備も整った。今年はハイキングに加えて、「徳川慶喜公の散歩道と野口英世博士からの便り」等を副題に数々の展示がPhoto_973行われ、12日は午後2時から国府津小学校体育館で「記念寄席」が行われる。いずれも参加費無料。総合受付はJR国府津駅前の「ふらっとスポット」前で行われる。雨天でも実施される。参加者には、先着順に、みかんの花びらをビニール袋に包んだ<みかんの香りPhoto_974>がプレゼントされる。---先ず資料展から紹介する。

テレビ電話体験]電話開通100周年を記念するもの。昔の電話機から最新の光る電話機まで展示。テレビ電話は「旧長谷川陶器店」とJR国府津駅前にある「ふらっとスポット」を結んで行われる。NTT東日本-神奈川の全面協力による。

慶喜公の真筆と野口博士からの葉書]真筆は神戸屋ふるや店に伝わるもの。葉書(コピー)は国府津の開業医だった和仁眞一医師へ送られてきたもの。会場は「旧井上商店」。ここには江戸~現在までの「国府津の地図」が展示され、大隈重信・第8代首相の別荘写真などが並べられている。

豆相汽船]明Photo_975治20年~大正10年まで国府津海岸などから就航していた汽船の資料と写真。「旧多田牛乳店」が会場。

SL写真]鉄道開通120周年記念。「JR国府津駅構内」でパネル展示。改札で駅職員に一声掛ければ入場券を買う必要はない。

伊藤博文・西園寺公望の」初代と第12代首相。いずれも真筆。会場は「国府津館」。ここを定宿にしていた実業家・渋沢栄一の書と国府津滞在記録を展示。

寄席案内]12日(午後2時開演)の一日だけ国府津小学校体育Photo_977館で行われる。落語・柳家三三(やなぎや・さんざ)、講談・宝井琴調(たからい・きんちょう)。三三師匠は小田原の出身。昨年3月に真打昇進。古典を得意とし受賞も多彩。映画の落語指導や、自らも出演している。琴調師匠はオーソドックスな読み口で武芸ものを得意とする。講談協会の事務局次長として全国各地を回り、幅広く活躍している。Photo_976

ハイキングコース今年、新たに「慶喜公の散歩道」が設けられた。受付のふらっとスポット→大隈重信別荘跡→農道記念碑(トイレあり)→慶喜公散歩道→大鳥圭介別荘跡→宝金剛寺(トイレ)→国道一号線(沿道に展示場がある)。所要時間約1時間30分前後。要所要所でNPO小田原ガイド協会のメンバーが解説してくれる。

 このほか、「ちえのわハウス」で慶喜公に絡む<将軍コーヒー>が販売される。イベントの協力団体=国府津地区自治会連合会・国府津中学校・国府津小学校・JAかながわ西湘国府津支店・国府津婦人会・JA東日本・NTT東日本・NPO小田原ガイド協会・小田原市

2007年5月11日 (金)

米と中東歴訪 首相メルマガ

 安倍晋三首相が4月26日~5月3日まで、アメリカ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、カタール、エジプトを訪問した時の感想である。題して「アメリカと中東5か国を訪ねて」---。

 こんにちは、安倍晋三です。
 出発の日にお送りしたメールマガジンで、ブッシュ大統領との会談に臨む心境をお伝えしましたが、大統領との友情と信頼関係を深められたこと、お互いをジョージ、シンゾウと呼び合う仲になったことを、今週号で報告できるのは大変うれしいことです。大統領ご夫妻との家族ぐるみの夕食会、数々の歴史を刻んできたキャンプ・デービッドでの首脳会談、そして昼食会(メニューは、いかにもアメリカらしい大きなチーズバーガー)。

 2日間計6時間にわたり、お互いの外交観、北朝鮮の問題、経済の問題、エネルギーや環境問題、大リーグで活躍する日本人選手の話まで、実に幅広いテーマをリラックスした雰囲気の中でじっくり話し合うことができました。夕食会の際には、大統領ご夫妻にホワイトハウスのプライベイトエリアをご案内いただき、ペリー提督が日本から贈られたという家具を見せていただきました。この家具は、幕末から今日に至るまで150年余にわたり、日米関係の変遷を見守ってきたのだと思うと、感慨深いものがありました。

 アメリカの議会との対話も極めて重要です。党派を越えた上院、下院のリーダーたちと会談し、日米同盟をさらに強化し、日米がともに世界の課題に取り組んでいくことが重要だと意見が一致しました。ブッシュ大統領や議会のリーダーたちと、かけがえのない日米同盟をゆるぎない同盟として、広く深く進化させようと合意したことは、大きな成果だと思っています。

 中東も日本にとって重要な地域です。日本は石油のほとんどをこの地域から輸入しています。しかし、それだけではありません。中東地域の平和と安定は、国際社会の安定と発展に欠かせません。

 中東の各国は、エネルギーだけに依存する国家経済のあり方に危機感を抱いています。将来を見据えた人材育成や教育を重視しています。UAEは、日本の教育に憧れを持ち、日本人学校に現地の子弟を入れることに熱心です。カタールでも、日本の教育方式を導入しようとしています。これまでの石油中心の関係のみならず、文化、教育、産業など重層的な関係を築くことが、お互いの発展につながります。

 今回の訪問には、エネルギー産業の方々だけではなく、IT、金融など幅広い業界から史上最大規模の180名に及ぶ日本の経済界の方々に同行いただきました。「日本・中東新時代」を築こうとする私の考えと、日本の経済界の中東への強い関心は、行く先々で支持、歓迎され、日本に対する期待の高さを感じました。こうしたアプローチが、日本と中東諸国との関係の多様化と深化への起爆剤になると手ごたえを感じています。

 それにしても、3年ぶりに訪れたサウジアラビアの高速道路の発達ぶり、高層ビルの建設が進むアラブ首長国連邦やカタールの活気に目を見はりました。ドバイでの昼食会は、地上321メートルと世界一の高さをほこる半円形のホテル。エメラルド色の海と開発が盛んな湾岸都市を一望できました。

 アブダビとクウェートでは、海外で活動を続ける自衛隊員を激励しました。テロ対策の一環として、インド洋上で各国艦船への燃料補給作業を行っている海上自衛隊員。イラクへの輸送業務に携わる航空自衛隊員。一糸乱れぬきびきびとした動きから、隊員たちの士気と規律の高さがうかがえ、頼もしさを感じました。現地で活動する自衛隊員一人ひとりの努力の積み重ねが、国際社会からの日本の高い評価へとつながっています。家族と離れ、厳しい環境下で、困難な任務に励む隊員たちに心から敬意を表します。

 5泊8日(機中3泊)の駆け足でしたが、実り多い旅となりました。この達成感を力の糧として、国会での重要法案審議を始めとする内外の諸課題に全力をそそぎます。(晋)

2007年5月10日 (木)

「捕鯨の伝統と食文化を守る会」

Photo_968  45分遅れて「憲政記念館」(東京・国会議事堂前)に着いた。「捕鯨の伝統と食文化を守る会」(略称=食文化の会)が5月9日午後5時30分~7時まで開かれた。国際捕鯨委員会(IWC)総会を前に毎年開催されている。今年の第59回IWC年次総会の日程は5月28日~31日までで、開催地は米国アラスカ州のアンカレジ。食文化の会はIWC総会に臨む日本政府代表団を激励する会Photo_962でもあり、今年、20回目を迎えた。会場にはクジラ料理がずらりと並ぶ。私が到着した午後6時15分頃には帰路につく人もいた。文教大学(湘南キャンパス)の授業(午後3時~4時30分)を終え、大学→JR茅ヶ崎駅→JR有楽町駅→憲政記念館へと、バスと電車とタクシーを乗り継いできた。会場は混雑しており、皆さん、盛んにクジラ料理に舌鼓を打っていた。私は写Photo_966真撮影や友人・知人への挨拶もそこそこに、クジラ鍋からハリハリうどんへと箸を運んだ。事務局の話によると、この日の参加者は延べ800人以上という。

 食文化の会開催前に、自民党の「捕鯨議員連盟」の衆院議員をはじめ民主党、公明党、共産党、社民党の各党代表の国会議員による「ミーティング」が行われる。「第20次南極海鯨類捕獲調査」では、過激な反捕鯨団体「シーシェパード」による妨害に遭い、調査母船「日新丸」をはじめとする調査団・乗組員の人命に関わる危険な攻撃にさらされた。その後、母船で火災が発Photo_967生し、調査を中断した。「日新丸」は自力航行で3月23日に東京に帰港し、現在、次の「北西太平洋鯨類捕獲調査」に向けて修理を行っている。食文化の会の開催冒頭で、自民党の鈴木俊一・衆院議員は「今はそれぞれの文化を認める時代。捕鯨をやめろという理不尽な反捕鯨国対して、日本人として、はっきりNO!と言おう」と、捕鯨再開へ向けて国民に対する一層の団結を訴えた。メモをとっていた水産ジャーナリストの話である。

 会場に並Photo_964んだクジラ料理は、刺身、くじら鍋、くじらご飯、竜田揚げ、さらし尾羽鯨、西京漬ステーキ、メンチカツドック、串カツ、はりはりうどん---等々。全国にまたがる「クジラ料理を伝える会」(会長=「徳家」大西睦子氏)加盟の49店の内、北海道の「おばんざいくじら亭」から熊本の「鯨料理 ゆう」まで12店の名物料理が用意された。私は顔見 知りの各店の店主に挨拶。特に、昨年11月に大阪に行った時に会えなかった「徳家Photo_963Photo_965将の大西氏と久しぶりに会い、はりはりうどんを手にしながらおおいに歓談した。落語家の林家木久蔵師匠は、参加者の求めに応じて何回も記念撮影におさまっていた。相変わらずの人気である。木久蔵師匠は「クジラ食文化を守る会」(会長=小泉武夫・東京農大教授)のメンバーである。会場が憲政記念館とあって、毎回、党派を超えて多くの国会議員が顔を見せている。今年はその人数が約50人という。

 昨年のIWC「セントキッツ会議」では、捕鯨容認国が過半数を制する<画期的>な会議となった。今年の「アンカレジ会議」は、その反動から反捕鯨国側の強い巻き返しが予想されている。鈴木俊一議員の話のように、<国益>を守るために日本政府代表団の健闘を期待したい。その激励のためには、皆が一緒になって、捕鯨へのさらなる理解を深めることである。

2007年5月 8日 (火)

記者&作家 「本田靖春」

Photo_960  「戦後の巨星 二十四の物語」(講談社)を購入した。著者は本田靖春(ほんだ・やすはる)氏。本というより、私は「本田氏」を買った。7日の昼下がり、ロビンソン百貨店(小田原市鴨宮)で食事をした後、店内の伊勢治書店に立ち寄った。ロビンソンへ行けば、決まったコースである。「○○力」「△△力」と、相変わらず<力>の字を被せた本の平積みが目立つ。そんな脇を通り過ぎて、ノンフィクションコーナーで「本田氏」に出会った。顔写真が表紙になっていた。懐かしさが込み上げてきた。本田氏は読売新聞社会部の先輩である。氏は2004年(平成16年)12月に71歳で亡くなっている。珍しいなぁ---と思いつつ手に取ると、「24人の対話は84年(昭和59年)から85年にかけて51回にわたって週刊現代に連載された『本田靖春インタビュー人物論』<委細面談>の中から抽出したもの」と後書きにあった。かつて読んPhoto_957だ記憶がある記事もあった。氏の文章を云々する気は毛頭なく、することも出来ない。気が付けば、いつも、一気に読み終えていた。

 「美空ひばり」から読み始めた。収録されてる24人は、目次の順に並べると---萩原健一、阿佐田哲也、美空ひばり、中内功、植木等、山下泰裕、生島治郎、北の海敏満、鈴木清順、衣笠祥雄、谷川浩司、岡本綾子、趙治勲、つかこうへい、立花隆、桂三枝、井上陽水、落合博満、手塚治虫、ビートたけし、中上健次、長島茂雄、野平祐二、フランク永井---。「中内功」は確か旅先の旅館にあった週刊誌で読んでいる。「ひばり」の次は「中上健次」、次いで---。「フランク永井」か、いや、「野平祐二」にしよう。読む順に深い理由はない。気分の赴くままである。しかし、途中で止めた。切りがないからだ。

 本田靖春氏は読売新聞社を途中退社してノンフィクション作家となった。同期の仲間が、退社を思いとどまるように説得したが実らなかった。退社の理由は、私にはわからない。私は、本田氏と一緒に仕事をしたり、指示を受けたこともない。読売新聞社以外では、読売の記者連中がよく通っていた四谷(東京)のバーで見かけた。こんなこともあった。ズボンの右ポケットから万札がはみ出ていた。競馬で大穴を当てたのだ。氏は地方競馬、大井競馬場に通っていた。マージャンも好きだった。商店主を相手に、これも万札を手にしての話だった。「(勝って清算した)金が多いのでびっくりした。(点棒千点を)1000円で打っていたのだ。こっちは100円のつもりでいた。最初から1000円と分かっていればビビッていたよ」。かけ金が自分が思っていたのと一ケタ違っていたのだ。「勝ったからいいようなものの---。君達も見知らぬ相手とマージャンをする時は気を付けろよ」。今も頭にこびりついている本田氏からの<教訓>である。

 すっかりサラリーマン化した時代の新聞記者の中にあって、本田氏はPhoto_959最後の<無頼漢記者>であったと言えよう。しかし、単なる無頼漢とは違う。経歴にもあるように、ニューヨーク特派員を務め、「黄色い血」追放キャンペーンの論陣を張った。不当な権力に抗する正義感と、社会の荒波に押し流されそうな庶民に、優しい眼差しを向けて、そんな思いをペンに託していた。インタビュー記事の行間には、本田氏の思いがにじみ出ている。20年以上経った今でも、氏の記事に色あせたところがない。読み急ぎをしたくない。本田氏の著書は、そんな気持に、私をさせる。 

2007年5月 7日 (月)

「今どきの日本語 漢字今昔」

Photo_954  インターネットで流されている読売ニュースナビの「教養番組」である。「常用漢字が見直される」というニュースの解説である。解説は読売新聞の用語委員会幹事。私は、この番組の一部を文教大学での講義資料として使う予定である。番組に入るのは、先ず、読売新聞のホームページを開く。そして、「動画」をクリックして「G+映像」画像を表示。その画面の「G+ニュース&カルチャータ イム」欄Photo_955に並んでいる。その「PLAY」をクリックすれば、映像と共に解説が聞ける。タイトルの「今どきの日本語 漢字今昔」とあるように、漢字の今昔が数字で示されるなど、大変わかりやすく説明されている。学生達への教材にふさわしいと考えたしだいである。

 ここで問題が一つ。番組は日々変わる。毎日ではなくても、ある期間を過ぎれば新番組が登場する。私が講義に使いたいのは次回「9日・水曜日の授業」。果たして、その日まで映像が残っているか---それが問題なのである。番組を何らかの形でDVDなどに取り込む手段があるかもしれない。私は、学生達に画面上の<生の番組>を流し、見せたいのだ。連休明けの7日、読売新聞の担当者に電話した。「仮に更新があっても、この番組は水曜日(9日)いっぱい残しましょう」---。担当者からの回答だった。うれしかった。もちろん、私は身分を名乗り、名前、電話、このホームページ等を告げた。こうした、読売新聞社側の配慮に感謝している。特に、幅広い意味での<教育関係>への配慮は、今後とも、ぜひ、お願いしたい。

 学生達には、映像を流す前に、この経緯を伝える。録画にしろ、こうした映像を使う時には、合わせて必ず「著作権」の説明をする。学生達から預かっているレポートも、もう少しで添削が終わる。9日の授業には、また、気分を新たにして臨(のぞ)みたい。

2007年5月 6日 (日)

ブログ「安藤軍治画伯を偲ぶ会」

Photo_4  小田原市国府津在住の剱持雅章氏(46歳)のブログである。安藤軍治画伯は国府津出身で躍動感あふれる女性画を得意とし、一時期、雑誌「主婦の友」の表紙を描いていた。旧姓を「石塚軍治」といい剱持氏の遠縁にあたる。剱持氏は少年時代に母親から画伯のことを聞き、20年ほど前から軍治の作品を収集している。昨年10月28日に国府津公民館で初めて「安藤軍治画業展」を開いた。「作品の割りに名前が知られていない軍治を、ぜひ出身地の国府津の皆さんに知ってほしい」という趣旨で開かれた。「安藤軍治画伯を偲ぶ会」というブロPhotoグのタイトルには、剱持氏のそんな思いが込められている。

  剱持氏のブログをここに紹介するのは、安藤軍治の作品を観てもらいたいと同時に、その<剱持コレクション>を紹介したいからである。絵葉書、地図、時刻表、駅弁の包み紙---等々、その数は半端でない。地元・国府津の絵葉書収集では彼の右に出る者はいないであろう。そして、剱持氏はコレクションをただ手元に置いて眺めているのではなく、機会あるごとに<公開>してくIれて いる。私というより私達が彼に感謝するのはその点にある。特に、国府津商工振興会がJR国府津駅構内で行っている「レトロ写真展」は、剣持氏の協力によって、どれほど幅が広がり深みを増したことか。

 「豆相汽船」開業120周年をテーマにした展示には、彼のPhoto_6絵葉書を拡大コピーして使わせてもらった。今月12日~13日に国府津商工振興会のイベント「みかんの花と香りを楽しむハイキング」が行われる。合わせて、「徳川慶喜公の真筆」や「野口英世博士からの葉書(コピー)」などを特設会場で展示し、府津の古地図を時代ごとに並べることにしている。この古地図展に剱持氏所有の「東海道分間延Photo_1繪圖」(東京国立博物館が昭和53年に複製した江戸時代の絵図)が展示される。---剱持コレクションのことをいろいろ書いているが、私はその実態を知らない。表面のほんの一部分を垣間見ただけである。それだけに、今後、数々のコレクションを目にすることをおおいに楽しみにしている。

2007年5月 5日 (土)

0120-7-26266 いじめ相談電話

 子どもの日。「チャイルドライン」開設のニュースである。NHKニュースを再録した。<悩める子ども>の無料相談電話である。5日~11日まで行わPhoto_953れる。

 [電話番号は「0120-7-26266」です 。ことしで8回目となるこの電話相談は、NPOの「チャイルドライン支援センター」が子どもの日にあわせて行っているものです。全国55の団体の協力を得て、ことしはこれまでで最も多い96の電話回線を準備し、子どもたちからの相談に応じることにしています。去年はいじめや虐待などに悩む子どもたちから1万7000件を超える相談が寄せられたというこPhoto_20とです。このチャイルドライン、5月11日までの1週間、毎日、午後3時から午後9時まで行われます。電話番号は「0120-7-26266」で、全国どこからでも無料で、また携帯電話からもかけられるようになっています。チャイルドライン支援センターは「去年の秋いじめによる自殺が相次ぎ、いじめを受けていても誰にも相談できずにいる子どもたちが多いと思われる。いじめ、それに虐待を受けているときは絶対に1人で悩みを抱え込まずに相談するようにしてほしい」と呼びかけています]----。 

2007年5月 4日 (金)

「一夜城」ガイド 余聞

 「一夜城で案内をしていただいた横浜の一杉(ひとすぎ)です。お忙しい中、丁寧なご説明、どうもありがとうございました---」。こんな一文で始まるメPhoto_949ールを3日、一杉勝氏から頂いた。小田原市早川の石垣山で4月29日に茶会が開かれた。石垣山には豊臣秀吉が小田原の「北条攻め」のために<一夜城>を築いた。「おだわらシルバー大学・歴史観光コース」の学生は実習として、茶会等に訪れたお客様の希望に応じて、<一夜城ガイド>を行った。一杉氏はそのお一人だった。

 一杉氏はご夫妻で訪れ、前日箱根に一泊したあと石垣山に立ち寄った。ガイドの途中で、一杉氏の先祖が北条家の家臣であることをお聞きし、また、一杉氏がルーツ調べ・研究のために小田原市立図書館をしばしば訪れていることを知った。メールには「仁杉・一杉氏出自考」のホームページが添付されていた。実に詳細で、ガイド当日の私の浅学を改めて恥入る思いだった。そこは、まだ未熟の実習生としてご寛恕願い、「仁杉・一杉氏出自考」は、私たちシルバー大学の学生にとって大変参考になるため、このブログにメールともども掲載させて頂いた。

 斎藤良夫様Photo_19

 先日、一夜城で案内をしていただいた横浜の一杉(ひとすぎ)です。お忙しい中、丁寧なご説明、どうもありがとうございました。箱根や小田原ヒルトンに良く出かけますが、そのたびに一度訪ねてみたいと思っていた一夜城跡にようやく行け、ちょうどその日に催し物があり、ボランティアによる案内をしていただけたのは本当にラッキーでした。
 いただいた名刺にあったホームページを見させていただきました。幅広くご活躍されているようですね。 私も見習わねばと思いました。私も昨年4月以降、徐々に仕事の第一線から退き、色々な活動を始めましたが、そのひとつが祖先研究です。
 祖先は後北条氏の家臣で材木奉行を勤めていたようで、その後徳川家に仕え、本家は江戸時代を通して南町奉行所の与力でした。国会図書館などに祖先に関連する史料がたくさんありますが、それを読む事が出来ないため、古文書解読力の必要性を痛感し、今は週四回、方々の古文書講座に通っています。
 まだ完成ではありませんがホームページにその調査状況を掲載しています。 機会があったら訪ねてください。仁杉・一杉氏出自考 http://hitosugi.hp.infoseek.co.jp/  
まずは御礼まで。 ありがとうございました。一杉 勝

2007年5月 3日 (木)

連休谷間の授業

   全て「ひらがな」書きにした、ある新聞社の社説を、元の文書に書き換えてもらった。文教大学(湘南キャンパス)での5月2日(水)の授業。句読点も無ければカッコも無い。数字もローマ字もひらがなにした一本調子の文章。ただし、社説の表題が「外為法見直し」であることは明記した。筆記具は原則エンピツあるいはシャープペンシルだが、書き換えにあたり、辞書やパソコンでの検索はOKとした。改行を含めて、いかに社説通りに<文章の復元>ができるか。時間は30分間---。この連休中、私はこれらの文章の添削をする。

 前回の授業では、教室内(パソコン教室)にある「モノ」3点を挙げ、その名前・色と形・用途をそれぞれ一行に書いてもらった。そして、提出された用紙を、今度はアトランダムに学生達に配った。別の学生の書いた3点について、学生自ら挙げたモノとの違い、書き方の評価をしてもらった。例えば、同じパソコンを選んでも、「オフホワイト」という色の表記に、「自分が書いた『白』の表現より良い」と評価した学生。エアコンの使用目的に「温度を下げたり上げたりする」という表記に、「『温度調整』と書いたほうがすっきりする」と指摘する学生。一年生と四年生まで学年によって表記の巧拙に多Photo_950少の差はあるものの、<観察力>については、ほとんど差が見られなかった。「一行」という指示に、「二行以上にわたる表記」を批判したものもある。これらぺーパーを「書画カメラ」で全員に紹介した。

 社説の「ひらがな」書きだが、これが結構面倒だ。ひらがなに書き換える<「問題」作成中>、時によって、パソコンが「勝手に」ひらがなを漢字に変換してしまうのである。また、ひらPhoto_951がなの間違いを、学生達から3回も指摘された。「うれしかった?!」。間違いを指摘されて「うれしい」というのは変な表現だが、学生達から何の反応が無いのは、寂しくも味気ないものなのだ。

 バス停から構内に続く通路に、部活への参加を呼びかける看板が立っている。新学期開始から一か月。その立て看も歯が抜けたように少なくなった。構内の掲示に目を移すと、こんな「連絡」があった。5月1日と2日が休講になるという噂が流れているが、授業は通常通りに行われる---という注意だった。私は、学生時代を思い出して、思わずニヤッとするとともに、学生のために、ここまでする教育支援課の細かな心配りが胸に響いた。この日の出席者は36人(登録学生数58人)。就職活動のために欠席する学生からの報告書が2通あった。

2007年5月 2日 (水)

4月の小田原安心安全メール

新学期の4月。子ども達への被害情報は入ってこなかった。結構なことである。代わって、信用組合への強盗事件や、振れ込め詐欺事件が起きた。子ども達へ、何事も無い日が続くことを願うばかりだ。

◆小田原市暮らし安全課です。(小田原警察署からの情報)417日に市内で振り込め詐欺が発生しました。被害総額は787万円です。電話で振り込めと言われたら、それは「振り込め詐欺」ではと注意してください。「すぐに振り込むな!一人で振り込むな!」「振り込め」という電話がかかってきたら、まず本人に再確認するか、小田原警察署(0465-32-0110)に相談し、すぐにお金を振り込まないように気をつけましょう。(入電=4201205

◆〈小田原警察署からの情報〉本日4月6日1450頃、中村原743番地、中南信用組合下中支店に強盗が押し入り、現金を強奪し徒歩で逃走しています。犯人は30歳くらい。身長165cm、小太り、サングラス、白色マスク、黒色ジャンパー、黒色ズボン、黒色リュック。(入電=461753

2007年5月 1日 (火)

「徳川慶喜公の散歩道」 本

Photo_942  実に読み応えのある本である。読めば読むほど味わい深い本である。理由は素材にある。「大鳥家別荘御滞在日誌」という二冊の日誌である。「徳川慶喜」(とくがわ・よしのぶ)、徳川第15代将軍で<最後の将軍>といわれる慶喜公が、避寒のために「国府津」(こうづ)で過した時の日誌である。国府津は、現在の神奈川県小田原市国府津のことで、みかん山を背に、相模湾を望む温暖な地である。滞在期間は「明治44年(1911年)12月25日~45年4月6日」と、「大正元年(1912年)12月19日~2年4月21日」まで。「大鳥」とは「大鳥圭介」(おおとり・けいすけ)、慶喜公に仕えた徳川幕府の歩兵奉行・旧幕臣である。別荘は圭介が建てた。著書「徳川慶喜公の散歩道」は、二冊の日誌の原文を忠実に記載し、解説したPhoto_943ものだ。日誌全文の公開は初めてで、著名は慶喜公の曾孫・徳川慶朝(よしとも)氏の命名。慶朝氏は写真家。国府津の地を幾度となく踏み、本書出版にあたり、著者・奥津弘高氏と何回もキャッチボールを交わしている。日誌による<史実>が本に重みを与え、そこから今に連なる関係者への綿密な取材が、本に味わいと潤いを与えている所以である。Photo_945

 日誌は、当然のことながら慶喜公の身辺雑記である。慶喜公の日常の呼ばれ方は、「御前」、「一位様」。毎日記載されている天気の中で興味深いのは気温。例えば「廿七日 晴 暖し 正午六十四度 昨夜御喘息の為御不眠---」と、華氏で表されている。六十四度は摂氏17度8分である。家族や実業家らの人物往来、献上品、東京にある慶喜家との交信、散歩道、趣味の写真---等々を、地元の医師、村長、子供達の描写を交えて記述されている。慶喜家には数種類の日記、日誌があり、中でも「家扶日記」(明治5年元旦~大正元年大晦日)は43冊にのぼる。家扶(かふ)とは使Photo_946用人のこと。著書「徳川慶喜公の散歩道」は、「大鳥家別荘御滞在日誌」を縦糸に、「家扶日記」を横糸にして、晩年の慶喜公の生活と人間模様を浮き彫りにしている。

 著者の奥津弘高氏(55歳)は、国府津にある「冨士屋商店」の5代目。「冨士屋商店」は明治21年(1888年)の創業で衣料、化粧品、薬、眼鏡、たばこなどを扱っていたミニ百貨店。旅館や待合、別Photo_947荘、国鉄などに商品を納入し、現在も箱根の旅館や事業所、医院などにユニホームや白衣などを納入し、学校の制服を扱っている。商店の説明をしたのは、<先代の出入り>によって培われた人脈と信頼ブランドが、今回の奥津氏の取材に大きな力になっているからである。著書は日誌を第一章とし、第二章に「別荘の街・国府津の人模様」を掲載する二部構成になっている。巻末の著者紹介で「国府津商工振興会第10代会長」とある。国府津商工振興会は2004年6月に創立50周年を迎えた。この記念誌に奥津氏が数年来まとめていた「別荘の話」を載せた。「大鳥別荘」はその一軒。そこから更に調査を進めて「大鳥家別荘御滞在日誌」にたどり着いた。国府津の別荘調査は小田原市をはじめ学者、建築家等が行っているが、表面的にはともかく、人間模様や所蔵品については関係者の口は重かった。つまり、煩わしいのだ。今回、関係者は、「冨士屋さんなら---」と、大鳥圭介や慶喜公の真筆を奥津氏に見せたり、子孫に伝わる秘話を披露している。奥津氏の本は先祖のお陰で<価値ある本>に昇華した。Photo_948

 「大鳥家別荘御滞在日誌」に記載された慶喜公の嗜好の一つに「土筆御膳」(つくしごぜん)がある。奥津氏はこれを古代料理を研究している料理人に頼んで復元し、慶喜公の孫に試食してもらった。国府津商工振興会が5月12日~13日に行うイベント「みかんの花と香りを楽しむハイキング」で、この「土筆御膳」が限定販売される。慶喜公の散歩道もハイキングコースに入る。「大鳥家別荘御滞在日誌」を更に読み解き、同時代の日本、世界の動きを重ね合わせれば、また、思わぬ発見があるかもしれない。「徳川慶喜公の散歩道」は、始まりの著書である。今後、いろいろな切り方、読み方ができる本である。その広がりを期待したい。

 写真=左上は慶喜公の散歩道。左下は旧大鳥別荘を訪ねた徳川慶朝氏(左端)と著者(右端)。

 メモ=「徳川慶喜公の散歩道」。制作・夢工房(℡0463-82-7652)。1890円(税込み)。ISBN978-4-86158-016-1 C0021。

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