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Mukha

フォト

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2007年4月30日 (月)

市政モニター 茶会

Photo_917  「職員削減分を外部委託やアルバイトに代えられている。その内訳は」「城下町ホールの運営はどうするのか」「放課後児童クラブの延長を」「道路の整備を」---。第8期小田原市市政モニターの委嘱式が29日午後2時から小田原市役所7階の大会議室で行われた。メンバーは計100人で、一般Photo_918 公募75人、自治会連合会推薦25人となっている。休日の委嘱式は仕事を持っているモニターを配慮しての措置。出席者は80数人。事務局の広報広聴室長が読み上げる名前の順に小澤良明市長が一人一人に委嘱状を手渡していた。この日は、平成19年度当初予算の概要説明と「城下町ホール」(仮称)の整備状況についての説明が中心。冒頭の内容は、これを受けての質問だ。

 その場では詳細な資料を用意していないこともあって、明確な回答は得られなかったが、モニターの<熱心>な質問に、1時間半の予定の時間をかなりオーバーした。私は公募モニターの一人。市政一般を勉強するために応募した。応募者が何人いたかは聞き漏らしたが、地域のバランスを考えて選定したといわれる。任期は2年間。謝礼は年間3000円。年4回の全体会議出席ごとに各1000円で、年間最高「7000円以下」となっている。このため、応募者は謝礼目当てではなく、市政に深い関心を持っている方々と見受けられた。それは、相次ぐ質問からも伺えた。私は過去2年間の「小田原市エリアマネジャー」(3人)の体験から、少しばかりだが市政を伺い、また、提言をしてきた。今後は年3回のアンケートへの回答と随時提 案を行っていくつもりだ。「市政モニターをガス抜きには使っていません。質問等については誠実に答えて行きます」と市長は述べていたが、当Photo_919然であろう---。今、改めて予算書を読み直している。

 モニター委嘱式を前にした午前中、私は市内早川の石垣山にいた。石垣山は豊臣秀吉が小田原北条氏を討つために築いた「一夜城」で有名だ。この一夜城跡地で28日~29日の二日間、恒例の「石垣山大茶会」が行われた。秀吉が小田原合戦の最中に千Photo_920利休らと茶会を開いた故事にちなむと言 われている。そこに来たお客の中で希望者に「一夜城ガイド」をするためだった。私は「おだわらシルバー大学」歴史観光コースの3年生(5月から)。その実習の一環で、学生約30人を二日間・午前午後に分けてお客を案内する。ガイドは原則2人一組で行う。時間は相手の都合に合わせるが、おおむね1時間。Photo_921

 「太閤の一夜城」とは言うものの、実際の築城には約4万人が動員され天正18年(1590年)4月6日~6月26日頃までの約80日を費やしている。築城後、秀吉は一夜にして城を完成させてように見せかけるために夜に乗じて周辺の樹Photo_924木を切り払い、小田原城からよく見えるようにした。これを見た小田原城中の将兵が驚いて士気を失ったなどと伝えられている。話は色々あるが一か所5分位で説明する。お客の中には城郭に詳しく、逆に私達が教えられることもある。私達が案内した横浜から来た夫婦連れの男性の祖先は北条氏の家臣だったという。現場は、北条氏が敗れたことをガイドするわけで、私達小田原市民、というより私にとっては複雑な気持である。男性は実によく調べていた。私はガイド実習より学習の半日だった。突風の吹き荒れた前日とは打って代わった晴天に恵まれた。茶会の席(6か所)はどこも満員で行列が出来ていた。市長がそれぞれの茶席を回っていたが、午後にまた顔を合わせるとは---。「甲冑隊」(北条五代)が姿を見せており、お客は陣羽織姿などで記念撮影をしており、私も記念に一枚撮ってもらった---。

2007年4月29日 (日)

山近音楽座 4月公演

  Photo_936 病院長をはじめとする医者達が力をあわせて重いピアノの後片付けをしている。こんな姿を見たら、患者や聴衆は演奏家のお医者さんに対する感慨を新たにするのではなかろうか----。「山近音楽座」(やまちか・おとらくざ)の第6回コンサート(無料)が28日午後2時から小田原市小八幡の三寶寺本堂で行われた。音楽座は三寶寺に程近い「山近記念総合病院」(久保田光博院長)や薬局などの音楽愛好家で結成されている。多彩な曲目と出演者。人気のなくなった後、演奏用に衣替えした本堂を元のPhoto_926姿に戻すために、出演者自らがもう一汗流していたのだ。病院などでは先ず見られない医者の姿がそこにあった。

 「千の風になって」。Photo_932今は一日に一度はどこかで耳にするこの歌と器楽演奏をはじめ、「沖縄の舞踊と唄」、ハンドベル演奏、ピアノ独奏、「Dr.コトーの『ジェットストリーム』」、Photo_928「ジャズのひととき」、そして、みんなで歌う「四季の歌」と「鯉のぼり」---までの2時間余、プロ級のジャズ演奏家や病院職員家族のPhoto_930小学生が舞台に立った。途中、雨が降ってきて、あわてて外に置かれた履物にビニールシートを覆うシーンもあった。こんな風景も手伝って、前回の「オペラ」とは違った<癒(いやし)しの雰囲気>を漂わせた演奏会、今回はそんなPhoto_929風に私には感じた。

 私はこれまでPhoto_934のコンサートの全てに顔を出しているが、最初から最後まで聞いたのは久しぶりだった。演奏後の打ち上げ(会費2000円)が境内にある「花御堂」で行われ、これにも住職とともに参加できた。ここでは久保田院長が<進行役>になって、反省会をかねた団欒(だんらん)の一時を過す。院長の軽妙な話術によって笑いがたえないが、そんな中、Photo_935東京からわざわざ駆けつけた女性から、コンサート最後の「『みんなで歌おう』の伴奏のキーが高い」という指摘があった。これではお客が歌いにくいというのだった。彼女は<手本>に自ら歌い、またキーボードを手にした。「偉い先生(医者)と思えば何も言えませんが、ここには音楽が好きだということだけで集まっている皆さん、ということで言いたいことを言わせてもらいました」。彼女のリードで皆が手をつないで歌った。

 この日、コンサートを聴いたお客は140人余。初回の40人から毎回20人ずつ増えている。院長の話だと、「山近ブラスバンド」も結成されたという。7回目のコンサートが秋に予定されている。

2007年4月28日 (土)

また「振り込め詐欺」 小田原

こんなに注意をされていても、また、被害者が出た。振り込め詐欺だ。787万円。被害者に同情するとともに、「よくお金があるものだ」と思ったりもする。その懐具合を察知する詐欺師に、変な感心もする。小田原警察署からの情報を、小田原市暮らし安全課の「安心安全メール」で伝えられた。一般紙にも報道された。 

小田原市暮らし安全課です。(小田原警察署からの情報)

417日に市内で振り込め詐欺が発生しました。被害総額は787万円です。電話で振り込めと言われたら、それは「振り込め詐欺」ではと注意してください。「すぐに振り込むな!一人で振り込むな!」「振り込め」という電話がかかってきたら、まず本人に再確認するか、小田原警察署(0465-32-0110)に相談し、すぐにお金を振り込まないように気をつけましょう。(入電=Photo_9374201205

 同じ頃、小田原税務署から届いた「振替納税のお知らせ」に、「税務署員を装った振り込め詐欺にご注意下さい」との注意書きが添えられていた。手口は、税務署員を装い、現金自動預け払い機(ATM)を操作させて振り込みを行わせるものだという。「税務署や国税局は①還付金受け取りのために金融機関のATMの操作を求めることはありません②国税の納税のために金融機関の口座を指定して振り込みを求めることはありません」---という文言とともに、「ご不審な点があるときは、所轄の税務署まで電話等によりお問い合わせ下さい」と書かれていた。相手にこの「不審な点」を感じさせないのが、詐欺師の詐欺師たる所以(ゆえん)であるから、やっかいなのだ。お金に絡む話には、ただただ、ご注意を---と言うしかない。

2007年4月27日 (金)

第67回狛犬研究会

Photo_938  「お久しぶりです」。隔月に開かれる例会を一回休むと、そんな挨拶が実感として迫る。参加者の顔ぶれも多少変わっている。日本参道狛犬研究会(略称=狛研 三遊亭円丈会長)の第67回例会が26日午後7時から東京・豊島区立勤労福祉会館で開かれた。JR東海道線の遅延もあって 20分遅刻した。会場では円丈師匠が<一席>ぶっている最中だった。定番の「円丈の狛犬講座」が、この日は新作落語の披露に代わっていたのだ。「おでんの鍋」のちくわなど、<具(ぐ)の会話>からの世相風刺の噺(はなし)で、演題は「ぐつぐつ」。近く開かれる高座の練習を兼ねたもの。狛研会員の感想を聞くのがねらいで、時々、落語が披露される。感想を聞かれたある会員いわく。「---で、オチはどうなっているんですか?」。これには皆が爆笑し、師匠は苦笑いPhoto_939していた。落語の批評は脱線する。ここはやはり狛犬の会である。

 興味深いのが「会員のうんちくスピーチ」。今回は「千葉県八千代市の狛犬」について、平塚胖氏が緻密な資料とともに紹介。恒例の「山ちゃん」こと「山田敏春氏の狛犬ばなし」は、石工の親方「亀岡久兵衛」についてであった。久兵衛の名前は江戸から明治にかけてしばしば登場するが、どこのPhoto_940出身で、どこへ行ったかも不明という。ミステリアスな久兵衛の代々である 。山田氏はよく歩いており、いつも「オヤッ」という話題を提供してくれる。

 例会終了後は会場近くの中華料理店で円丈師匠を交えて一杯やり、例会では話しきれない情報の交換をする。「神使」研究の第一人者ともいえる福田博通氏が、「ネタが切れそうだ」と話していた。とにかく全国をまわり、その調査も半端ではない。狛研ホームページ分家「狛犬の杜別館」の「神使の館」に詳しく紹介されている。福田氏の話に驚いたが、「イヤ、まだまだあるハズではないでしょうか」と、無責任を承知で、私は福田氏に言った。そうあって欲しいという、私の願望でもあるPhoto_941

 「第4回参道狛犬展」が5月1日~6日までJR浦和駅(さいたま市浦和区)近くの「さいたまふるさと館」(℡048-834-1611)で開催される。最終日の6日には円丈師匠による「円生(円丈師の師匠)と狛犬ばなしを聞く会」(入場料2000円)が市民文化センター(℡048-822-2548)の5Fホールで開かれる。

2007年4月23日 (月)

子供と祭り 市議選開票

 Photo_916 どこから撮っても「絵」になる。22日の小田原市国府津の祭り。町内合わせて6台の山車(だし)が菅原神社脇の道路に集結、山車の中で、あるいは屋根の上で、「祭囃子(まつりばやし)」を競演した。山車を曳(ひ)いていた祭り半纏(はんてん)姿の子供達とその仲間が、神社境内を所狭しと駈けずり回っていた。午後2時から3時までの一時間。神社周辺はお囃子と子供達の歓Photo_908声に包まれた。

 この日は、小田原市議会議員選挙の投票日。前日までの選挙カーからの連呼による喧騒(けんそう)もなく、小雨も手伝って、午前中は静かだった。神社脇に集結した6台の山車Photo_910のお囃子は、それぞれに特徴があり、演奏に微妙な巧拙がみられるというが、私にはとてもその違いが分からなかった。また、2基の神輿(みこし)の宮入があり、担ぎ手の若者達?の熱気が雨雲を吹き飛ばしていた。

 一方、もう一つの<祭り>、統一地方選後半の投票がこの日Photo_911行われた。小田原市議会選挙は、定数28に対して33人が出馬した。当日有権者数は16万855人(男7万8487人、女8万2368人)。投票総数は7万8980人(男3万7070人、女4万1910人)。この内、有効投票数は7万8070、無効908、持ち帰り思われる票2。投票率Photo_912は49.10%で前回より3.49ポイント減。事前の<激戦報道>とは裏腹の投票率だった。私の住む国府津および田島地区のPhoto_913投票所別では、国府津小体育館41.89%(投票者数1372)、国府津中体育館34 .48%(1366)、国府津保育園44.45%(881)、田島公民館52.61%(881)。国府津中体育館の投票率は市内54投票所の中で最低だった。ちなみにPhoto_914最高は、石橋公民館の75.82%(185)だった。

 投票結果の選管確定時間は23日午前零時39分。最高得票数は4280票で最下位当選者の得票は1782票。次点と31票差だった。全般に新人候補の得票が上位を占め、三選以上の候補が票を増やし、二選候Photo_915補の得票が伸び悩んでいた。この傾向は一般的とは言うものの二選候補にとっては、選挙の難しさを改めて実感させられたのではないか。当選確実者が出始めた午後10過ぎ頃から県会議員や市長が各関係候補事務所に「お祝い挨拶」に回っていた。これも仕事か!。ある選挙事務所で開票速報を見ながら、私が印象に残った選挙風景の一つである。

2007年4月22日 (日)

祭り囃子と選挙 国府津

Photo_905  選挙カーからの連呼に、祭り囃子(はやし)が加わり、4月21日(土)午後から夕方にかけて、国府津(こうづ)の町は一層喧(かまびす)しくなった。小田原市国府津にある菅原神社(近藤光孝宮司)の例大祭は25日の水曜日。それに先立ち、町の祭りが22日の日曜日に行われ、21日は宵祭りというわけだ。町内にはしめ縄が張りめぐされ、そろいの半纏(はんてん)姿の親子連れが、山車(だし)の待機場所に三々五々集まってきた。私は家Photo_900に近い「学校町内会 祭典事務所」に、わずかではあるが「祝い金」を届けた。関係者のほとんどは顔見知りである。そんな祭典役員に前後を守られて山車は町内に繰り出した。囃子を演奏するのは小学生から高校生。曲の中心は「小田原囃子」。子供達は、縄を巻いた竹竿を太鼓に見立てて毎日練習していた。その特訓が見事に実り、町に心地よい響きを送っていた。Photo_901

 「祭りだよ 平成十九年四月吉日 菅原神社 社務所」。こんなチラシが数日前の新聞に折り込まれていた。「4月25日(水曜日)は、相模の天神、菅原神社の例大祭(おまつり)です。午後から、夜8時頃まで境内は露天で埋まりにぎやかです。これに先立って、4月22日(日曜日)は、町のお祭りです。午後2時頃には、神社付近に町々の山車が集結し、まつりばやしの競演が行われます。皆さん見物においで下さい。」(原文のまま。赤字もチラシの通り)。菅原神社のPhoto_902新聞折り込みは、ここ数年前から始まったのではないか、と記憶している。「例大祭を日曜日にすれば露天(露店)が出て子供達もゆっくりと楽しめる。町の祭りが日曜日に行われても店は出ない。25日の例大祭が平日にあたる時は、他の神社がしているように、休日に繰上げ移行してくれないか---」。こんな声がある中で、菅Photo_903原神社は例大祭を、平日であろうと暦通りに執り行っている。人出を見込んで神事を日曜・休日に移行する昨今の<神社商業主義>を考えれば、この点において、私は菅原神社の姿勢を理解する。

 さて、山車の巡行。21日は選挙戦最終日とあって、選挙カーは少しでPhoto_904も広く地域を回ろうとスピードを増し、運動員はもっと有権者の耳に候補者の名前が届けとばかりに声を張り上げている。ゆったりと進む山車とは、まさに対照的な風景である。選挙関係者にとって、気になるのは投票当日の22日。祭りに力が入った<支持者の棄権>である。軽快なお囃子を耳にしながらも、祭り気分に浮かれてはいられないのが、候補者とその陣営であろう。お天気も気になる。待ったなし。本日22日に小田原市議選の審判が下る。

2007年4月21日 (土)

小田原市議会議員選挙

Photo_898  やっぱりショックだった。伊藤一長(いとう・いっちょう)長崎市長が凶弾に倒れた事件だ。第16回統一地方選は4月17日に町村長選と町村議選が告示され、全てが出そろった。既に選挙戦に入っている一般市長選、市議選とともに日本列島は今、選挙の渦中にある。私の住む小田原市は神奈川県知事選は現職が大差で新人候補を破り、県議選は無投票だった。知事候補の顔を見たことがなければ、選挙カーも目にしていない。小田原は市長選(来年)はなく、市議選だけだ。15日の告示とともに、県知事選とは打って変わって、町は選挙カーからの候補者名の連呼で、かまびすしい限りだ。そんな中、長崎市長4期目を目指して運動中の伊藤候補が選挙事務所前で暴力団組員に短銃で背後から撃たれて死亡したニュースが伝えられたのだ。アメリカ・バージニア工科大学の銃乱射事件、神奈川と東京にまたがる暴力団員の抗争による発砲死亡事件と立てこもり---。直接に小田原とは関係はないが、「銃の事件」はやはり気になる。Photo_895

 ところで 、小田原市議選。定数は今回から2議席減り「28」。候補者は「33人」。ベテラン議員が相次いで引退し、一方で新人候補が多数名乗りをあげている。過去の例は知らないが、選挙通によると、「これまでに例をみない激戦」だそうだ。候補者の内訳は、現職25人、新人8人。有権者数は14日現在で16万1634人(男性・7万8923人、女性・8万2711人)。激戦により投票Photo_896率は前回の52・59%を上回ると予想され、当落のボーダーラインは1800票前後と見られている。

 私はこれまで小田原市議選とはほとんど縁がなかった。しかし、読売新聞社を退職して国府津に戻り、「小田原市エリアマネージャー」を委嘱され、また、「小田原シルバー大学」へ通ったり、「国府津山の大規模墓地増設反対運動」に関わるようになって、何人かの市議とも顔見知りになった。現職もそうだが新人候補の中にも知人はいる。応援を頼まれたり、投Photo_897票依頼の電話を何件か受けているが、私の持分は「一票」。自分のスタンスをはっきりと述べて、後は「健闘を祈る」とエールを送ることしか出来ない。私は既に投票(期日前投票)を済ませている。新聞記者の現役時代から、仕事の関係で「不在者投票」が多かった。投票は22日、即日開票される。当日はインターネットで、静かに開票速報を見守るつもりだ。

2007年4月20日 (金)

地震と拳銃

Photo_887  安倍内閣メールマガジン(第26号 2007/04/19)である。地震に見舞われた能登半島「輪島」を視察しての感想である。その後、統一地方選の選挙戦最中の長崎市で、現職候補・伊藤一長氏が凶弾に倒れる事件が起きた----。

こんにちは、安倍晋三です
 長崎市の伊藤市長が長崎駅前で背後から発砲され、亡くなられました。あってはならないことです。伊藤市長のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。ご家族のみなさまの悲しみや憤りを察するにあまりあるものがあります。心からお悔やみ申し上げます。このような凶行は、民主主義に対する挑戦であり、断じて許すことができません。こうした暴力を断固として撲滅していかねばなりません。

●被災地輪島を訪ねて
 4月15日から5月14日までは「みどりの月間」です。森林を守り、育てよう、と緑の募金活動も行われています。私も今週は、「緑の羽根」をつけての勤務です。 官邸も、ソメイヨシノが葉桜となり、木々が青々としてきましたが、サトザクラはまだまだ美しい花を楽しませてくれます。先日、庭で大きなアオダイショウと出くわしました。ちょっと驚きましたが、これはきっと守り神でしょう。都会の中につくられた小さな庭にも自然が息づいています。 

 先月25日は能登、今週15日には三重が大きな地震に見舞われました。家や仕事場を失った人たちは、季節を楽しむどころではないのだろうと思うと心が痛みます。Photo_885
 13日午後、衆議院本会議で国民投票法案の採決を終えたその足で、能登半島地震の被災地、輪島に向かいました。被災状況を目の当たりにし、被災者のみなさんの声を直接お聞きしました。ガレキなどの掃除は進んでいて、交通の便は回復しつつあるようでしたが、瓦屋根を残してつぶれた家、倒れたままの石灯籠、傾いた家々は、無残な姿そのままです。満開の桜との対比が痛々しい光景でした。避難所はお年よりが多く、みなさん心細そうな面持ちでしたが、それでも正座して温かく迎えていただきました。

 「いい家にせんでも住まれるようにして」「年とった人が多い、年金額は決まっPhoto_886てるから、なかなかそんな金は出せない」という切実な声を聞きました。こうした被災者の方々の期待に応えられるよう政府を挙げてとり組んでいきます。まずは仮設住宅の建設を急ぎ、住み慣れた家の修復、公営住宅の整備など、近所との交流が保たれたコミュニティーが失われないよう支援していきます。被災地復興のために、20日にも激甚災害指定を閣議決定して、より手厚く支援していきます。
 輪島は、漆器(輪島塗)や地酒など世界に誇れるものをもっています。石川県と協力して、地場産業の再生を支援するファンドをつくり、被災地で頑張っている人たちを応援していきます。

 国会では、いよいよ教育再生のための法案審議がスタートしました。すべての子どもたちに高いレベルの学力と規範意識を身につける機会を保証するための重要法案です。成立に向けて全力を尽くします。(晋)

2007年4月19日 (木)

文教大学 授業初日

Photo_888  文教大学(湘南キャンパス)情報学部経営情報学科。私の講座「テクニカルライティング」の受講登録学生数は58人で、授業初日の4月18日(水)の出席者は51人だった。事務手続き上の関係で、受講生名簿が非常勤講師に渡されるのは5月上旬と言われており、学生達の名前は当日の出席調査票によって初めてわかった。講座は一週間に1回、毎週水曜日の4次限・午後3時~51014時30分の90分授業で、コンピュータ教室を使わせてもらうことにした。「テクニカルライティング」って何?と、他大学の教授に聞かれるほど一般的にはなじみの薄い講座名だが、一言でいえば一種の文章作成講座である。私は別にパソコンが得意でも何でもなく、強いていえば不得手の方であるが、コンピュータ教室を使うのは、講義に映像を取り入れるためである。初日の授業を振り返ってみた---。Photo_889

 この数日間のニュースでショックだったのは、「アメ リカ・バージニア工科大学の銃乱射事件」と「選挙運動中の長崎市長が凶弾に倒れた」ことである。ともに「銃」絡みの事件である。私は、自己紹介を一先ず簡単に済ませて、ニューヨーク・タイムズにリンクしていた「バージニア工科大銃乱射事件」のビデオを見てもらった。同じ大学生に関わる事件だったからである。一部分だけではあるが、学生達は各人の目の前のパソコンの間にあるモニター画面を黙って見詰めていた。そして、長崎事件を伝える長崎新聞の「IT号外」を書画カメラで紹介した。---事件の感想はあえて求めずに、ここから改めて自己紹介に入り、シラバスを投影しつつ、今後の授業の進め方を話した。自己紹介では、私Photo_890が登場した小田原ケーブルテレビ「小田原あの人この人」の番組を見せて、画面上の「私への批判」を匿名で書いてもらった。これはテストでも評価の対象でもない。ネライは、ただ漠然とモニターやテレビを見るのではなく、学生達に<観察力>を養ってもらい、先ず用紙に<書いてもらう>、手を動かしてもらうことPhoto_892だった。

 「下ばかり向いていた」「姿勢をしっかりした方がよい」「話すスピードが早い」「話が堅い」「目線があちこちしすぎ」「態度がでかくみえた」「ペンを持って、その手を動かしながら話しているので、なんとなく気になった」「赤ペンをさわりすぎ」「今着ているのと同じ服を着ていたのですか?」「ネクタイをした方がよいと思う」「上着のボタンが閉じていた方がいいので---」「机まで映った時に、資料が乱雑に置いてあるのが気になった」「一般人に分かりづらい言葉を使っていると思う」「何の話題なのかが掴みにくい」「なんか難しく感じた」(全て原文のまま)---等々。私へのインタビュー番組も一部一部区切って紹介した。自らも録画 を見ながら反省することが多々あるが、学生諸君のPhoto_894指摘は、まさにポイントを突いていた。いやはや、恐れ入りました---。しかも、匿名でもという指示にも関わらずに、実名を記した学生が多かった。自分の意見を堂々という、この姿勢は頼もしい限りだ。

 私は次回の授業で、これらの批判を学生達に紹介する。最大のポイントは、「何の話題なのかが掴みにくい」という指摘である。「何を言っているのかわからない」という人が一人でもいれば、もっとPhoto_893わかりやすく話す必要がある。これは、文章作成にも通じることである。次回は、ここを切り口に授業を進めるつもりである。冒頭に、受講生名簿の話を書いた。整理をしていて気付いたことは、受講生は1年生~4年生まで一緒だということだった。「選択必修・専門教育科目」とは学年全部に共通ということらしい。私は、1年生とばかり思っていたので、次回からの授業は少し軌道修正をしなければならない。4年生は就職を控えている。また今、「初級シスアド」(初級システムアドミニスター)試験を目指している、という学生もいる。それぞれに、それなりの対応をした授業をしなければならない。

 私のテレビ番組への批判・指摘を読んで、授業展開の視界が少し広がった。これが、授業初日の私の感想である。

2007年4月18日 (水)

タイの子供に空からの贈り物

 ANA(全日空)グル-プは、今年度から『ANA  サンタクロース プロジェクト』をスタートさせた。ANAセールス北海道の女性社員が提案した“世界をつなぐANAが国境を越えたプレゼントを子供達に贈り、相互理解の架け橋となりたい”との想いを実現したもの。第1回は4月17日(火)~24日(火)の8日間、微笑みの国「タイ」の子供4人(男性2・女性2)を日本に招待し、日本人との交流や日本文化の学習・体験などを通じた「次世代への友好の架け橋」をはかる。 ANAは、グループ社員が自由に企画し、役員に提案する制度「バーチャルハリウッドプログラム」を2004年からスタートさせ、毎年数10件の企画が提案されているという。今年2月に開設した「ANAグループ安全教育センター」の設立や社会奉仕グループ「ANAすずらんクラブ」の結成など約20件が実現している。『ANA  サンタクロース  プロジェクト』はその一つである。

微笑みの国「タイ」の子供に大空からのプレゼント!

 第1回『ANA  サンタクロース  プロジェクト』で来日するのは、タイ国外に出ることはもちろん、飛行機に乗るのも初めてのクンスントーン君(11歳、特技:ムツゴロウ小物作り)、カラム君(12歳、特技:タイ伝統舞踊)、チャイマラーさん(14歳、特技:北部伝統楽器演奏)、チョーリーさん(14歳、特技:タイボクシング)の4人で、NGO財団法人オイスカの協力を得て実現いたしました
 今年、日本と修好120周年を迎えた微笑みの国からの「小さな親善大使」の交流スケジュールは以下の通り。
・  東京都八王子市『私の青空  羽田空港・夕やけ小やけオイスカの森』にてボランティアと交流
・ 大相撲「玉ノ井部屋」で「相撲」の見学・体験
・ 「地球市民かながわプラザ」で地元の子供達と交流
・ 「キッザニア東京」にてお仕事体験
・ 羽田空港「ANA機体メンテナンスセンター」見学
・ 東京都大田区「児童館」にて地元の子供達と交流
 

  ANAグループは、企業の社会的責任として、今後も『私の青空』環境貢献活動とともに、社会貢献活動の推進を目指すという。問い合わせ=全日空広報室  03-6735-1111 成田0476-34-7042 羽田03-5757-5548 伊丹06-6856-0270 関西0724-56-7342

2007年4月17日 (火)

書画カメラ

Photo_880  「書画カメラ」(ドキュメント=Documentカメラ)---。教室や会議室でよく使われているプレゼンテーション用の機器である。4月18日から文教大学(茅ヶ崎市)で始める「テクニカルライティング講座」の授業を前に、16日、湘南キャンパスのパソコン教室を訪れた。映像等を交えた講義にしたいと思い、パソコン教室を用意してもらい、その機器類の確認と操作を教えてもらうためだった。一通りの説明を受けた後、一番使い勝手がよさそうなのが、この「書画カメラ」だった。書類やノート等をカメラで撮影し、その画像をそのままパソコンやプロジェクターに映し出す装置である。「ドキュメントカメラ」「資料提示装置」「教材提示装置」「オーバーヘッドカメラ(OHC)」等の呼び名があPhoto_882る。単に書類を映し出すだけでなく、用紙に直接書き込むことが出来るし、普通の紙に書くだけで大きく映しだ出せる。操作も比較的簡単で、私みたいな情報機器が不 得手な者でも使いこなせる。

 「オーバーヘッドプロジェクタ」(Overhead projector)がある。「OHP」と呼ばれるもので、薄いOHPシートをレンズの上に置いて光を当て、シートを通過して反射鏡に集まった光(内容)をスクPhoto_883リーンに表示する。教室ばかりでなく、講演会などでもよく見かけたが、最近は「書画カメラ」などに置き換えられている。私はこの「OHP」の使用体験はあるが、「書画カメラ」を使うのは初めてだ。教室内には、黒板やホワイトボードがあるが、極端に言えば、これらを使う必要がない。「書画カメラ」にしろパソコンにしろ、情報機器はいずれにしても講義のためのツール・道具である。問題は講義の中身・内容であることは言うまでもない。「テクニカルライティング」とカタカナ名が付いているが、要は一種の「文章作成講座」である。学生達が少しでも「書く」楽しみを持ってもらえれば---と願っている。

 文教大学では、学生達の出席を重視している。当然のことで、どこの大学でも基本は同じであろう。また、遅刻の取り扱いをどうするか---等の問題もある。先生方の個々の対応はともかくとして、珍しい出席の取り方を拝見した。「バーコード」で取っているのだ。学生証には全員バーコードが入っていて、それを読み取っているのだ。「コンピュータ・プログラミング」の先生だった。他大学の話だが、「出席は取らない」という先生がいた。いずれにしても、真似をしようとは思わないが、いろいろとあるものだ、感心したり、驚いている。

 こちらは高校生の親の話である。4月に入学したばかりの女子高生Photo_881が授業中に携帯メールを送ってくるのだというのだ。「授業がつまらない」「しっかり勉強しなさい」「は~い」なんてと交信しているという。学校では携帯電話を充電するための<コンセント確保>の争奪戦?が展開されているそうだ。「本当にイヤになってしまう」と、親は嘆いていた。大学ではどうであろうか。「書画カメラ」は、今後、学生達のどんなキャンパス生活を映し出してくれるのだろうか。じっくりと見てみたい。

2007年4月16日 (月)

「早雲」を大河ドラマに---

Photo_878  戦国の雄・北条早雲を主人公にしたNHK大河ドラマを実現してほしい---。「北条早雲観光推進協議会」(会長=小澤良明・小田原市長)は4月13日に東京・渋谷のNHK放送センターを訪れ、橋本元一会長に、こんな要望書を提出した。「大河ドラマは、舞台になった地域への経済波及効果が大きく、関係市町村が誇る歴史や文化を全国にアピールする絶好の機会となるとともに、観光客誘致に大きな影響を与える」というのが理由で、北条早雲観光推進協議会の陳情は今回で3回目。NHK側は「史実をしっかりと勉強したい。(陳情は番組制作依頼の)継続した取り組みと受け止めている」と、話していたという。

 北条早雲観光推進協議会は、早雲のさまざまな偉績や魅力を活用したPhoto_879観光事業を展開し、それぞれの地域の活性化を図ることを目的に2001年(平成13年)10月に設立された。メンバーは神奈川県小田原市、足柄下郡箱根町、静岡県沼津市、伊豆の国市それに岡山県井原市の5市町。大河ドラマ化については、2002年と翌年の2003年に要請している。その後は、選挙、会長交代などNHK側の都合などで陳情の機会がなく、今年、4年ぶりに実現した。NHK側では橋本会長、横浜放送局長、ドラマ番組部長が応対した。

 NHKの大河ドラマは、1963年(昭和38年)4月放送スタートの第1回「花の生涯」から今年の「風林火山」まで計46回を数え、来年1月からは「篤姫」が予定されている。第一作は、幕末の大老・井伊直弼の生涯を、現在放送中の第四十六作は、武田信玄の謀臣・山本勘助の生涯をそれぞれ描いている。昨年の第四十五作「功名が辻」は、山内一豊とその妻・千代の出世物語だが、その中で「北条家」「小田原城」絡みの話が登場するが、それもほんのわずかなもの。織田信長、豊臣秀吉を描いたドラマにも登場はするものの、そのほとんどは北条側が攻められるシーンである。ドラマではないが、これまで北条早雲を取り上げた番組で目立つのは、2005年放送の「その時歴史が動いた:戦国をひらいた男~北条早雲 56才からの挑戦~」。

 「その時歴史が動いた」の番組では、早雲を幕府の高級官僚とし、年齢については享年88歳説を採って<大器晩成>として描いている。諸説を検討した結果ではあるが、この「諸説」があるために、今回の北条早雲大河ドラマ化の陳情団に対して、「史実をしっかりと勉強したい---」とNHK側は応えたわけである。とは言うものの、「北条家には<お家騒動がない>---」、つまり波乱万丈の要素がなくてドラマ仕立てにしにくい、という話も伝わっている。現在、NHKには大河ドラマ化への要請が全国から30件以上届いているという。北条早雲をドラマ化するには、文字通り<ドラマチック>なきり方を考えないと、大河ドラマ化レースに勝てないかもしれない。

 お家安泰、平穏な生活。普通なら歓迎されることであるが、ことドラマとなると面白くないのだ。新聞やテレビを賑わせているのは、ほとんどが事件や事故である。「不幸な出来事」がニュースになり、ドラマ化されるのは、昔も今も変わりがないということか---。

2007年4月15日 (日)

「中原中也」 生誕百年祭2007

Photo_872  中原中也(なかはら・ちゅうや)。近代詩人。1907年(明治40年)4月29日~1937年(昭和12年)10月22日。享年30歳。今年は中也が山口市湯田温泉で生れて「生誕100年」、神奈川県鎌倉市で亡くなって「没後70年」。これを記念して、山口市にある「中原中也記念館」を中心に、4月から5月にかけて<空の下の朗読会>や特設の大型テント会場での<サーカス小屋でのコンサート>が開かれる。サーカステントは中也の詩「サーカス」にちなんで設営された。誕生日(4月29日)前日の28日、生誕百年前夜祭として、「第12回中原中也賞贈呈式」と作家・大江健三郎氏の「詩人と共に生きる」と題した記念講演が行われる。今年の受賞詩集は須藤洋平氏の「みちのく鉄砲店」である。Photo_875

 私は「中原中也の会」のメンバーである。定期的に送られてくる「中原中也記念館報」(第12号)とともに、14日に届いた封書には、生誕百年事業の年間予定を記載した「平成19年度年間カレンダー」などが同封されていた。カレンダーは中也誕生月の「4月」から始まり、2008年「3月」までとなっている。私が中也の会に入るきっかけは、JR関西線「桑名駅」構内に建った鉄道開通100年記念モニュメント。これをつくったのが友人の桑名在住の彫刻家で、車輪の形をしたモニュメントに中也の詩「桑名の駅」の石版をはめ込んだ。詩は1935年(昭和10年)に中Photo_877 也が妻子とともに故郷の山口から関西線経由で上京する際、桑名駅で長時間停車した。「桑名の駅は暗かった---」で始まる詩には、その時の様子を記し、蛙が鳴く駅で、駅長と話を交わす中也の姿がそこにあるようだ。記念館に中也の胸像がある。作者名は刻まれていないが、友人の作である。中也には帽子を被った前向きの写真しか残っていない。「立体像の イメージをつくりに関係者から話を聞くなどかなり苦労した」と友人は話していた。

 「新編 中原中也全集」(全5巻+別巻①=角川書店)を揃え、ほんのたまに朗読会に出かけて中也の詩を耳にするが、普段はまるで「中也」を読むこともなく、他の詩集とも縁がない。読売日本テレビ文化センター時代に、「石川啄木」(1886年・明治19年2月20日~1912年・明治45年4月13日)の生誕100年(1996年・平成8年)に絡んでの講座や、合わせて中原中也講座などを企画した。私は中也の会のメンバーではあるが、その集まりは山口で開催されることが多いため、ほとんど参加していない。今回の生誕百年関連展示として、神奈川近代文学館で「中原中也と富永太郎展 二つのいのちの火花」(4月21日~6月3日)と、鎌倉文学館で「中原中也と鎌倉(仮)」(10月6日~12月16日)がある。神奈川県内なら身近である。期間中、一度は足を運びたい。

            ----「サーカス」----

 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました

 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました

 (一節略)

 サーカス小屋は高い梁(はり) そこは一つのブランコだ 見えるともないブランコだ

 頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 ( 二節略)

 屋外(やがい)は真っ闇(くら) 闇の闇 夜は劫々と更(ふ)けまする 落下傘奴(らくか がさめ)のノスタルチアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 

2007年4月14日 (土)

小田原高校「職業別セミナー」

Photo_870  神奈川県立小田原高校(通称=小田高・おだこう)の「社会で活躍する先輩たちとの職業別セミナー」が4月13日に開かれた。小田高は平成16年から、<進学重視の単位制高校>に移行し、1年次 ~3年次の生徒が一緒に机を並べて学んでいる。10Photo_8550%が進学希望者である。小田高OB・OGによる「職業別セミナー」は、生徒達の「大学(大学院)卒業後の進路を見据えて」の講座で、新年度の授Photo_857業開始(今年度は4月16日)前に行われ、今回は5回目。私は昨年から招かれ、マスコミPhoto_860分野「新聞記者・マスコミ全般」を担当している。今回は各分野からの社会人講師25人が、希望講座ごとに分かれて聴講した計約Photo_859960人の生徒に、おもいおもいのメッセージを送りアドバイスをした。     

 セミナーの時間Photo_861は一回60分で2回講義する。テーマは1、2回Photo_858別々でも二回とも同じでも構わない。生徒は同じ講師の話を2回続けて聞く場合もあるが、大概は別々に2回の講義を受けている。私は今回、同じことを2回話した。一回目の受講生徒は60人(一年12・二年25・三年23)、二回目Photo_862は72人(一年34・二年18・三年20)だった。マスコミ関係では私の他にNHK国際局の専任ディレクターが担当した。私の一回目の受講者が次に選択した主なテーマは、「国際協力」(13人)、「NHK講師のマスコミ」(11人)、「小中校教諭」(8人)。「旅行代理店」(5人)。逆に、二回目の私の受講者が最初に受Photo_865けた講座は、「国際協力」(18人)、「小中校教諭」(8人)、「マスコミ」(7人)、「気象予報士・気象ビジネス」(6人)、「一級建築士」(6人)、「弁護士」(5人)だった

 職種別に生徒達の関心が高かったのは、「化学・ナノテク」Photo_863(177人)、「国際協力」(171人)、「中学教諭」(141人、参考=小学教諭81人、地方公務員82人)、「新聞記者・マスコミ」(132人、参考=マスコミ91人)、「薬剤師・薬学研究」(132人、参考=医師83人)、「弁護士」(116人)、「臨床心理士」(105人)、「旅行代理店」(100人」。人数が少なかった方をみると、「大学教Photo_868授」(18人)、「行政書士・社会保険労務士」(20人)、「人事コンサルタント」(27人)、「作業療法士」(28人)---だった。この他、「システムエンジニア」「看護士」「税理士」「コンサルタント」の職種もあった。小田高生の一応の傾向と言えるかもしれないが、生徒達にまだよく理解出来ない職種や、関心があっても今回の講座に無かった職種もある。また、大学進学後に希望進路が変わる生徒も出て来るであろう。これらの数字は、あくまでも現時点、限られた職種の中での傾向である。

 セミナー終Photo_864了後、希望講師による懇親会が開かれた。各人がどんな話をしたのか---お互いに関心があり、それぞれが簡単に披露した。結論から言えば、仕事の細かいことは大学、社会人になってから学ぶことであり、今は、仕事の概略を話すことで、「一度きりの人生を熱く、輝いて生きることPhoto_866の大切さを伝えたい」(外科医師)というのが共通認識だった。小田高は今年3月に校舎が新装された。私はこの見学が楽しみだった。他の講師も同じ思いで、教頭に案内してもらった。授業は今年度から「90分授業」と大学並みの体制が組まれている。セミナーでは、どの教室にも一人や二人居眠りする生徒はいた。おしゃべりする生Photo_867徒もいた。私達社会人講師に付いた担当教師が注意していた。それよりも、本当に真剣な眼差しで講義を聞く生徒達の姿が強く印象に残っている。生徒達の感想文が後日、私達の手元に届く。生徒達、特に3年次の生徒はこれから本格的な受験勉強入る。<大変>だろう。そんな彼・彼女達にエールを送った社会人講師が、いつも感じ、言っているのは、「私達こそ生徒達からエネルギーをもらった」ということだ。私は、今年も同じ思いを抱きながら小田高を後にして<百段坂>を下った。

2007年4月13日 (金)

ソンクラーン タイ正月

Photo_851  「第3回大阪ソンクラーン祭り」(タイ王国大阪領事館主催)が15日に大阪・扇町公園で行われる。案内が届いたが、残念ながら行けない。ソンクラーンはタイの旧正月で毎年4月13日~15日(仏暦・西暦)に固定されている。家族が一堂に集まって仏像を清めるなど宗教的なことも行われるが仏教の祭日ではない。今は見ず知らずの相手にも水をかける「水掛け祭り」になっている。水を掛け合うのは単なる楽しみだけでなく、次の耕作期に十分雨が降るようにという願いが込められている。日本国内では東京でも数年前まで、一部の愛好者によって行われていたが、諸般の事情で中止されているという。私はこのソンクラーンを10年前に<タイの古都>チェンマイで体験した。

 タイ大好きPhoto_854人間の友人とチェンマイを訪れたのは1996年(平成8年)。前年に亡くなった台湾出身の歌手、テレサ・テン(鄧麗君)を偲ぶ旅でもあった。私は彼女が宿泊し、そこで亡くなったホテルに投宿した。正月でホテルは満員だったが、友人のツテで何とか部屋を確保できた。テレサ・テンの担当だった女性やその家族が友人の知人だった。ソンクラーンは特に意識していなかったが、ホテル到着とともに、いきなり洗礼を浴びた。こうなったら---ということで、パスポートや紙幣など水浸しになったら困るものはホテルに預けて街に出た。友人は手馴れたものでカメラは水がかかっても濡れなうようにしっかりとガードしていた。観光客用にバケツに入れた水を売っPhoto_852ていた。中には堀の泥水を汲み上げては所構わず撒いている男もいた。ソンクラーンを甘く見て観光バスの窓ガラスを開けて車内から写真を撮っていた日本女性が<被害>に遭った。

 友人の何人かの知人はチェンマイ郊外に住んでおり、何回か自宅におPhoto_853邪魔したが、道中油断ができなかった。何時、どこから水鉄砲が飛んでくるか分からなかったからである。一日郊外にあるお寺でのんびり過し、そこで売っていた絵画を買い求めた。そこまでは良かったが、タクシーがつかまらない。濡れないようになんとか算段をつけて絵画をやっとホテルまで持ってきた思い出がある。今、家で時々飾っているが、それを見るたびにソンクラーンが鮮明に蘇ってくる。水掛祭りはそれほど強烈だった。友人の知人達は車の移動中、いつもテレサ・テンの曲を流していた。「時の流れに身をまかせ」「つぐない」「空港」---等々。CDは全て海賊版だった。私はかなりのCDを買い求めた。5月8日はテレサ・テンの祥月命日である。

2007年4月12日 (木)

いじめストップ 星野仙一氏

 「安倍内閣メールマガジン」(4月12日付け第25号)に、<いじめ>に関連した星野仙一氏(58)のメッセージが掲載されていた。星野氏は今年1月から「野球日本代表」に就任している。題して、「負けない子供を育(はぐく)もう」。子供向け、大人向けビデオメッセージも見れる。Photo_850

<負けない子供を育もう>(阪神タイガースオーナー付シニアディレクター 星野仙一)

 「おまえのお父さんまた打たれたな」「よく負けるなあ」今日学校でこんなこと言われたと、娘が妻に泣きながら話すのをドア越しにたまたま聞いてしまい、僕は二人のいる部屋に入れなかったことがある。

 「パパは年も取ったし肩も肘も痛めて最近は調子が出てないけど、あなたが小さい頃にはもっと頑張っていたのよ」妻は娘に一生懸命説明してくれていた。僕自身は娘に何も言ってやることができず、心の中で「ごめんな」と詫びていた。子供が学校で辛い思いをすることは親にとってもさらに辛いことなのだ。

 しかしその頃の僕はもう肩も肘も限界で、娘達のためにも結果を出さなければと思っても体がいうことをきかない状態だった。自分のせいで子供にまで迷惑をかけていると感じたことも理由の一つとなって、次の年に引退を決意した。

 現在もイベント等で子供に接する機会は結構あるが、最近の子供は賢いけれど、その賢さが頭にばかり偏っているように感じている。まず基本的な心と身体を鍛えていかないとアンバランスで自分勝手な日本人になってしまう。教育改革、教育改革と政府は言っているけど、心の教育に重点を置かなくちゃいけないと僕は思う。

 心の教育の基本はやはり家庭にあるだろう。最近の親は盲目的に子供を愛しているようだけど、親の愛は厳しい愛じゃないといけない。子供だからいたずらもするだろうが、「いいこと」と「悪いこと」の区別はきっちり教えていかないといけない。わが子を距離を置いて、客観的に見て、子供の変化に気付いてあげることも大事だ。

 そして気付いてあげるためにきちんとコミュニケーションをとること。食事はなるべく家族みんなで愛情のこもった手作りのものを食べる。食事中にテレビはつけない。親はたとえ疲れていても子供の話を聞いてあげる、こういうことの積み重ねがとても大事だと思う。

 学校においては是非スポーツを通じて心と身体を鍛えてほしいと思う。時に体と体がぶつかり合って、身をもって「痛み」を知ったり、チームプレイでは他者と助け合うことも学べる。身体そのものが強くなること自体もその子の自信につながる。

 実際、大人の社会にも、「いじめ」はある。そういう意味では人は一生戦っていかなければいけないのだ。その戦いに備え子供の心と体を強く育んでいく必要があると思う。そのために大人は時に厳しい態度で臨まなければならないだろうが、それは必ず子供たちの将来を助け、また子供たちからもいつか感謝されるだろう。いじめる奴というのは、劣等感を持っていたり、人を妬むような中途半端で弱い人間だ。そしてその「いじめ」を見て見ぬふりをしている奴は一番ずるい勇気のない人間だ。こういうのに負けてしまってはいけない。

 スポーツでも芸術でも何でもいい。夢やロマンをもって自分の得意なことに夢中になり、悔しさや我慢することを覚えながら子供は力強く成長していって欲しい。(口述筆記)

※ 「星野仙一のストップ!いじめ」はこちら
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1075.html(子供たちへ)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1076.html(大人たちへ)

2007年4月11日 (水)

新聞勧誘とトラブル

  読売新聞に10日、こんな折り込みが入っていた。「読売の名をかたる悪質外交員にご注意!!」。そして、「うそ八百勧誘」、「サル芝居勧誘」、「いやPhoto_849がらせ」という項目で具体的<手口>を載せている。これに対して、「クーリングオフ制度」の紹介とともに「読売新聞の勧誘員にはセールス証の提示を義務付けています。セールス証のご確認と契約書への捺印はご自身でされることをお奨めしますと」とアドバイスし、「ご不審な場合は、下記の読売センターへお問い合わせ下さい」と書いてある。わざわざ新聞にこんな折り込みを入れるのは、私が住んでいる小田原市内だけではなく全国的に発生しているからだろう。

 何かの集まりで、私が読売新聞記者であることがわかると、私に対して「新聞は悪いところばかり取り上げている。もっと明るいニュースを載せろ」とか、「テレビはくだらない番組が多い」とか、新聞ばかりでなくマスコミ全体への不平不満を訴えてくる人がいる。そんな中に、「新聞勧誘の強引さ」の非難も含まれている。新聞勧誘については、「ドアを開けたら片足をドアにはさんで、『トル』と言うまで帰らないで困った」と親しい友人から打ち明けられたことがある。新聞社を退職した今でも、同じような体験をすることがある。新聞記者、マスコミ関係者と日頃接触する機会がない方からの苦情が目立つ。それだけ、マスコミの抱える問題点が多いという裏返しと、私は考えている。私も、問題だなぁ、と思う時には電話なりメールで新聞社やテレビ・ラジオ局とやりとりしたうえでブログなどに掲載している。

 サテ、勧誘問題だが、「悪徳勧誘被害に遭わないために---」という話がインターネット検索から出てきた。「私は新聞業界関係者です」との書き出しで、勧誘についてあれこれ紹介している。どんな方かは具体的には分からないが、この項目だけを読んだ限りで、勧誘の仕組みがわかるので参考にリンクした。新聞勧誘には「販売店の店員」(専業)と新聞社公認のセールスチームがあり、トラブルを起こすのは、しばしばこのセールスチームによるものである。我々は「拡張団」と呼んでいた。もちろん、悪質セールスはごく一部で、そのために「新聞販売業事態が『悪』視されるのは非情に残念なことです」と、書かれているが、まさにその通りである。チラシに大きく販売センターの電話が掲載されているので、チラシにある通り、直ぐに電話してほしい。トラブルの内容についてはチラシをクリックして拡大し、読んでほしい。 

2007年4月10日 (火)

「商賣繁栄雙六」 国府津

Photo_848    振り出しの「西洋料理 高砂」から、上がりの「冨士屋洋品店」まで35コマをアレンジした双六(すごろく)をやっと目にすることが出来た。題して、「國府津町優良大商店 商賣繁栄雙六」。地元、小田原市国府津の商店を織り込んだ双六である。小田原城近くで「ギャラリー箱根門」を主宰する杉山幾一氏の所有。新聞紙2頁分の大きさで、欄外に「書籍雑誌文房具の御用は公益舎書店へ」「諸新聞の購讀は公益舎新聞店(電話一〇一番)」と印Photo_837刷され、「著作権所有 東京市下谷區西町一四 三興社 電話下谷七四七三番地 振替東京七〇六一九番」とのゴム印が押さ ている。発行の年代は不明で、杉山氏は「国府津町が施行された大正13年(1924年)以降ではないか」と推測していPhoto_839る。双六の一コマに「ラジオは太陽商會」の文字とともにラジオの絵がある。ラジオ放送は大正15年(昭和元年・1926年)にスタートし、昭和7年にラジオ聴取契約者が全国で100万人を超えるという記録があPhoto_838り、その頃の発行かもしれない。

 双六は国府津の商店の年末・Photo_840歳末大売出しの「景品」なり「オマケ」と見られている。割烹料亭、旅館等は織り込まれていないからだ。絵柄は少女漫画風あるいは<竹久夢路風>ともいえる。双六の順番に回ると---振出しは三河万歳の絵柄の「高砂」Photo_841①濱屋Photo_845商店(傘・履物)②長谷川陶器店③日之出商會(燃料)④富澤薬局⑤椎野タクシー⑥下田呉服店⑦小菅屋(酒)⑧角屋商店(酢・茶)⑨神田屋(菓子)⑩いさみや(おもちゃ)⑪森時計店⑫長谷川薬舗⑬新藤時計店⑭カフェー地球⑮八百國商店(果実)⑯小室呉服店⑰鈴木酒造⑱大川自轉車店⑲カフェーハリウッド⑳油屋商店(荒物・行火・世帯具)、(21)大木國Photo_847太郎(青物)、(22)小林バー、(23)中村屋松五郎(砂糖・蜜柑問屋)、(24)志澤洋服店、(25)志澤商店(荒物)、(26)多田商店(肉問屋)、(27)新月堂(菓子)、(28)冨士屋洋品店、(29)小川理三郎商店(精米)、(30)市川商店(茶・紙類・雑貨)、(31)柏木靴Photo_843店、(32)太陽商會(ラジオ)、(33)椎野商店(米穀肥料)、(34)美好家かみゆい(婚禮衣裳着附)、上りは冨士屋洋品店。Photo_842

 国府津に生まれ育った私ではあるが、全く分からない店が多い。現在も営業しているのは10店前後だ。意外と思ったのはカフェーやバーなどの飲食店がPhoto_844目立つことだ。地酒「寿ゞ勇」の名前も見える。双六は国府津商工振興会長の奥津弘高氏が8日に杉山氏から借りた。現物は返却するがコピーの承諾を得ており、5月12日~13日のイベントの時に特設会場に展示される。今作成されている商店街や飲食店マップなども、こんな双六風にすると面白そうだ。(画像をクリックすれば拡大します) 

2007年4月 9日 (月)

小田原少年院 ある意見

Photo_833  鈴木博晶氏の述懐である。鈴木氏は小田原の蒲鉾「鈴廣」の社長。地元にある少年院へ初めて講話に行った時の感想である。小田原鈴廣のE-mail Magazine「鈴廣だより2007年4月号『心やすらぐ春の光』」に掲載されている。

 「先日、小田原少年院に行き、70人の少年達に向かって講話をしてきました。私自身、長年小田原に住んでいながら、少年院に足を踏み入れたのは初めて。刑務所はまさに刑を受ける監獄ですが、少年院はまったく違うということを再認識させられました。基本的には、11ヶ月のプログラムで教育を施して社会に出すことを目的にしているのです。非行に対する罰を与えて服役させるという意味はほとんど持たないのです。正直、私は『未成年の刑務所』というくらいしか認識がなかったので、大変無理解だったことを内心恥じました」。
                                                
 「所長以下皆さん本当に一人一人の少年を立派な社会人にしようという使命感に燃えている方々ばかりで、少年達はというと、皆、目が輝いていて、質疑応答にもどんどん手を挙げてくる積極的なタイプがほとんどでした。この子達が本当に罪を犯したのかなぁと思いたくなるようなきちんとした立ち振る舞いに感心しました」。
                                                
 「そんな彼らが非行に走ったのは、やはり親の問題が一番の原因だそうです。両親の仲が悪かったり、子供への愛情の注ぎ方が間違っていたり、『自分は誰からも大切にされていない』という思いが根に染みついてしまうのでしょう。彼らを更生させるきっかけは、『世の中には、自分達を理解して導いてくれる人がいるんだ』という気づきだと思いました」。
                                                    
 「我が社でも、こういう人達を優しく受け入れ、かつ厳しく育てて、世の中に貢献していく歓びを共に得たいものだと思いました」(鈴木博晶)。                 

2007年4月 8日 (日)

途上国へ絵本を送ろう

Photo_831  日本語で書かれた絵本が、たちまちクメール語やラーオ語に<翻訳>されて、カンボジアやラオスの絵本に変身する。そのマジックは「シール」(写真=右上)にある。シールには絵本のストーリが既にクメール語(カンボジア語)やラーオ語(ラオスPhoto_824語)が印刷されており、その部分をはがし・切り取って、日本語の上に貼り付けるのである。中身は当Photo_821然、表紙タイトル、作家名まで現地語に変わっている。この文字だけが変身した絵本が、カンボPhoto_832ジアやラオスの子供達に届けられる。

 小田原市国府津にあるフェアトレードの店・「ちえのわハウス」(電話・FAX 0465-49-6045)に立ち寄ったら、貼り付け作業が終わったところだった。(社)シャンティ国際ボランティア会(SVA=東京・新宿)の「カンボジア・ラオスの子どもたちに絵本を届ける運動」に協力しているのだという。仕組みは簡単だ。リストに載った絵本の翻訳シールをSVAから購入(参加費)し、このシールを自前でそろえた同じ絵本の日本語の上に貼るだけである。貼り付けをPhoto_826終えた本はSVAへ送る。SVAは全国から集まった絵本を毎年2月に船便で現地に届ける。シール代は一冊1000円(Bセット)、絵本代が1000円。つまり一冊につき2000円かかる。絵本は自前でそろえなくてもシールと絵本を一緒に2000円(Aセット)で購入できる。SVAへまでの送料は各自が負担する。「ちえのわハウス」の活動は既に6~7年経つという。Photo_828

 SVAの活動は1980年(昭和55年)のタイの「カンボジア難民キャンプ」で始まった。そこの子供達に絵本を読み聞かせていた。カンボジアは1975年から4年間続いたPhoto_830ポルポト時代に多くの知識人や教師が虐殺された。学校は壊され、本は焼かれた。その後の内戦もあって、教材不足は深刻な状況にあるという。ラオスは1975年~1989年まで、鎖国状態に近い計画経済体制の影響で、学校も教員数も減り、厳しい教育環境にある。子供向けの絵本作家はほとんどいないといわれる。SVAはそんな両国へ、1999年(平成11年)から日本語で出版されている絵本に訳文を貼り付けて絵本を送る支援を始めたわけで、翻訳は現地スタッフや地元の教員が子供達に読み聞かせたうえで行っている。カンボジアでは教育省が、ラオスでは情報文化省の国立図書館がチェックし、配布された絵本は、図書館や学校の授業、移動図書館活動で使われているという。Photo_829

 「絵本を届ける運動」にリストアップされている絵本は「50タイトル」(2007年3月現在)。子供達の精神的発育に良い影響を与えると考えられる絵本を選んでおり、日本のお話、アメリカで生れたキャラクター、中国の民話なども含まれている。「ちえのわハウス」のスタッフは、シール代は自分たちで負担するとして、もし、絵本が家で眠っているようだったら、ぜひ寄贈して欲しいと話していた。

2007年4月 7日 (土)

文教大学 入学式

Photo_819  「何か、熱い想いが伝わってきた」(情報学部・男子)、「現代が抱える問題を指摘されて、ちょっと難しかったが、学生になったことを自覚させられた」(文学部・女子)、「パンフレットだけでしか知らない大学だったが、話を聞いてヤル気が出てきた」(情報学部・男子)---。入学式で学長の式辞を聞いた大学一年生の感想である。文教大学(拝仙マイPhoto_809 ケル学長)の平成19年度入学式が4月6日午後1時から東京・有楽町の東京国際フォーラムで行われた。今年度の新入生は全学で1800人余。文教大学は湘南キャンパス(神奈川県茅ヶ崎市)と越谷キャンパス(埼玉県越谷市)の2か所に分かれて計5学部と、他に大学院、専攻科・外国人留学生別科、女子短期大学部がある。総学生数は約8600人にのPhoto_835 ぼり、専任教員が約230人、専任職員が約150人を数える。入学式には新入生とともに多くの父兄達が参列した。

 「皆さん 、入学おめでとうございます。コングラチュレーション! 」。マイPhoto_836ケル学長の挨拶はこうして始まった。「---大学は学問の総合的知識を修めるところです。考える力を養い、広い視野に立ち、私達が共同体の一員としてのコミュニケーションがとれる人間となることです。当然、就職のことが気になると思います。就職戦線に克(か)つ、これも社会生活の中で大切なことですが、大学はそれだけではありません。大学は職業訓練所ではありません。ライPhoto_817ブドア、村上ファンドの問題、不二家や電力会社のデータ改ざん、交通事故の多発、そして殺人事件---これらは、他人のことを考えない独りよがりの偏った考えによって起こる犯罪です。アメリカの考え方ですが、マルチカルチャイズム---例えば、黒人文化、フェミニズム、同性愛者等、何事に対しても偏見を持たないことです。文教大学の役割は、人間の良心に基づき、一人前に陶冶された品性の持ち主を社会に送り出すことです。皆さんのご健闘をお祈り申し上げまPhoto_812す---」。

 このブログに私が何故、文教大学の入学式を取り上げるのか。私は4月から文教大学(湘南キャンパス)情報学部経営情報学科の非常勤講師(テクニカルライティング)を務めるようになったからである。文教大学について知るとともに、新入学生達の姿を見たかったからであPhoto_811る。学生達へのオリエンテーションは各キャンパスで既に行われているが、全員が一堂に会しての入学式は格別である。東京国際フォーラムは学生達で賑った。入学式の案内看板前での記念撮影風景があちらこちらで見られた。式典開式前には大学紹介のビデオが上映された。吹奏楽部の演奏に乗って教Photo_815員(14人)、理事者・来賓・職員(11人)が登壇した。学長の式辞は教職員らの紹介後に行われ、来賓の祝辞、校歌斉唱へと続き、閉式後に吹奏楽部の演奏が30分間行われた。

 大学紹介ビデオの上映が始まった時に、学生達から歓声がわPhoto_816き拍手が起きた。しかし、上映が終わった時は会場内は静まり、式が進行するにつれて、学生達の表情は真剣というか少しこわばってきた。入学の喜びによる<わくわく気分>が、理事、来賓達の現実味を帯びた話によって、これからの大学生活の厳しさを感じたのか、緊張感に変わって来たようだ。マイケル学長は、「英字新聞の読み方を教えてほしいという学生がいました。聞けば日本の新聞を読んでいないと言うことです。日本Photo_818の新聞を読まないで英字新聞がわかるはずがありません」とも話し、「私は新聞を良く読んでいたおかげでベトナム戦争への徴兵を免れ、今ここに生きています」と自らの体験談を交えて、学生達に、もっと新聞を読むように訴えていた。

 「大学って、ヤバイところ っスね---」。長野県出身で茅ヶ崎に一人住まいをするという情報学部の男子学生は、式典終了後、こんな感想を漏らしていた。高校までは教えてもらう「生徒」と呼ばれる立場。大学は自ら学問を修得する姿勢が求められ、呼称も「学生」と変わる。期待と不安。この男子学生の言葉に、新たな大学生活のスタートに立った若人の気持が凝縮されているようだ----。

2007年4月 6日 (金)

インドネシアの選挙

  故国に帰るインドネシア語の講師・バタオネ先生の送別会をきっかけに、インドネシア関係のビデオを見たり、話を聞く機会が多くなった。最近、東京・新橋にある「INJカルチャーセンター」を訪れた。そのINJのホームページに、インドネシアの選挙のことが載っている。今、日本で行われている都道府県知事選などに絡めて掲載されたものである。

 4月になりましたね。4月といえば、私が住んでいる東京都では8日に知事選が行われます。投票日まで1週間をきったというのに、私の町のポスター掲示板には立候補者4人分のポスターしか貼られていません。立候補者は14人いるんですけどね。さて、選挙の月にちなんで今回はインドネシアの選挙の話をしたいと思います。

 インドネシアでは2004年が総選挙の年でした。4月に議会選挙、7月に大統領選挙が行われました。インドネシア史上初の、国民が直接投票できる大統領選ということで、インドネシア内外から注目を集めていました。そして、私もそのひとりでした。誰が選ばれるか、ということよりも、どんな風に選挙運動、投票が行われるかに興味がありました。大統領選挙の投票日は2004年7月5日で、私は同じ年の8月からインドネシアに留学することが決まっていました。どうしても選挙の様子が見たかった私は、大学の授業が始まる1カ月以上の6月末にインドネシアに飛びました。Photo_804

 ジャカルタの町は選挙用のポスターや横断幕で溢れていました。大統領選挙は正副大統領がペアで立候補するため、二人組のポスターがあちらこちらに貼ってあります。立候補者の顔写真入のTシャツを着ている人もたくさんいました。選挙活動中の車は、まるでこれからデモに行くかのようにトラックの荷台にたくさんの人を乗せています。みな旗を振り回したり、大声を上げたりしてかなり物騒です。サッカーの試合を見に行く熱狂的なサポーターと大して差がありません。

 そして投票日当日。月曜日でしたが投票日のため休日でした。私は友達になったばかりの下宿先の女の子に頼んで、投票場につれていってもらいました。ちなみに、インドネシアでは17歳から選挙権があります。投票場はどんなところかと、わくわくしながらPhoto_805ついていくと、友達は大通りから細い路地へと入っていきます。下宿や民家が密集しバイク1台通るのがやっとの細い道です。そしてたどり着いたところは、小さな広場でした。天幕が張ってあります。まさか、と思いましたがそこが投票場でした。なんと屋外です。写真のとおり、かなり簡素な作りでした。そして、面白かったのが投票の仕方。日本の場合は、選んだ候補者の名前を投票用紙に書きます。インドネシアの場合は、投票用紙を突き破ります(mencoblos surat suara)。投票用紙には全候補者の写真と名前が印刷されているので、選んだ正副大統領ペアの写真に釘など先がとがったものを突き刺して穴を開けるのです。ただそれだけです。年配の人などインドネシア語の読み書きが十分でない人でもちゃんと投票できます。素晴らしい方法だと思いませんか。Photo_806

 ただ、この方法にも問題はあるようで、全部広げないままで突き刺して、複数の候補者ペアに穴を開けてしまったり、写真の枠外に突き刺したりして、無効票になることも多いらしく、入り口には正しい突き破り方が絵入りで説明されてました。投票用紙を突き破り、投票箱に票を入れた後は最後の一仕事が待っています。小指の先をインクに浸すのです。二重投票を防ぐためらしいですが、かなり原始的なやり方です。投票する前に名簿で名前を確認しているんですけどね。代理で投票したり、別の名前で投票するのを防ぐためでしょうか。このインクはなかなか落ちなくて友達は1週間も爪が黒いままでした。

 この7月の大統領選挙では、当選したペアが過半数の票を獲得できず、10月に決選投票が行われました。7月の選挙とはうって変わって町はまったく盛り上がらず、私の住んでいた地域も静かでした。7月のあのお祭り騒ぎは一体なんだったんだろうと首を傾げたくなりました。(MAYUMI)

2007年4月 5日 (木)

障害者・障碍者・障がい者

 「『障害者』を⇒『障がい者』へ---と、2007年3月1日をもって、ひらがな表記に改めることにしました。この表記をグループの統一表記基準と致します。関連会社の一部は既にひらがな表記に改めた会社もありますが、これを機に再度徹底のほどお願い申し上げます」---。パソコンメーカーというか、東京に本社のある電気器具メーカーがグループ企業を含めて、全社にこんな通達を出した。「障害者」の「害」の字が、他人に害を与えるなど、ネガティブなイメージを与える恐れがあり、自治体、民間企業の中に、「害」の字をひらかなの「がい」に表記を改める動きが広まりつつあり、このメーカーは数年前から検討を重ねてきた結果、改めることにしたという。

 「障害」の元々の表記は「障礙」とか「障碍」(「碍」は「礙」」の俗字)だった。それがともに、1947年(昭和22年)に公布された「当用漢字表」に採用されなかった。このため、同音で似たような意味の言葉による書き換えが行われ、「障害」の表記が使われるようになり、1949年の「身体障害者福祉法」の制定を機に一般に広まったといわれる。しかし、「害」の字は「公害」「害悪」などの印象の悪さと、「害を与える」という誤解を招きかねない意味などから、しばしば表記の問題が指摘されてきた。1981年(昭和56年)に当用漢字表に代わる「常用漢字表」が掲げられた。「碍」の字は1945字の常用漢字に入らなかったが、比較的使用頻度が高い「表外字」(表外漢字)に定められた。そこで、「障害者」について旧字の「障碍者」に戻す議論があったがなかなか定着せず、ひらがな表記にするところが増えてきた。自治体では福島県や試行中の北海道をはじめ全国で「30以上」の県市町にのぼると見られている。

 「障がい」を掲げるこれら自治体でも、法律等については当然の事ながら文字通りの「漢字表記」を使用している。「碍」の字にも「さまたげ、じゃま」という否定的な意味もある。「障碍」や「障がい」にしろ、関係団体に様々な意見がある。上記のメーカーも「障がいのある方が抱える問題について本質的な取り組みが不足しており、表現を変えて事足りる問題ではありません。障がい者の法定雇用率の達成にとどまらず、障がいのある方々が活きいきと働ける環境づくりを、各社の実態に合わせて整備していく必要があります」と明記してある。

 確かに、表現を変えて事足りる問題ではないが、「痴呆」(ちほう)に代わる新たな用語として「認知症」が生れた。「言葉を変えると、意識や社会のシステムも変わる。障害者の表記をひらがなに変える動きは、意識を変えるプロセス」という意見もある。同感である。それでは私はどうする? 私は、原則、「読売スタイルブック」の表記を基準にしている。「障害者」と書くことが多いだろうが、「障碍」「障がい」などもケース・バイ・ケースで付記したい。格好の言葉はないだろうか---。

2007年4月 4日 (水)

ネパールからのメール

 ネパール在住の女性の画家から半年ぶりにメールが届いた。私がご無沙汰していたことにもよるが、彼女は時々、スイスをはじめとするヨーロッパ、アフリカ、場合によってはアメリカへ出かけて、カトマンズを留守にすることが多い。ネパールは今、政治の<激動期>にある。6月に「王室」の行方を左Photo_803右する制憲選挙が実施される。その「国連停戦監視要員」としてわが国から自衛隊員らがネパールへ派遣されている(写真=時事)。日本国内の新聞、テレビも、これまでにないネパール報道が続いている。マスコミ報道と、現地滞在者との間ではネパールに感じる<温度差>が多少異なる。そんな彼女の、今のネパールに対する皮膚感覚を、彼女の行動範囲の中から伝えたい。

 「こちらこそご無沙汰いたしました。2月の17日頃スイスから帰る予定が、留守番の人に突然ヴェトナムでの仕事が入ったので、9日に帰ってきました。ネパールを離れた後、日本人のヴィザが3月末まで無料になったので、3回目の無料ヴィザをいただきました」
 
 「2月は、チベットのお正月で何かと忙しく、3月からロシア語レッスンを再び始めて、調子ののってきた所、姉のグループ8人が来て、9日間観光やトレッキングに案内しました。運動していなくてもカトマンドゥに住むだけで、筋肉が鍛えられるのか、筋肉痛もなく、登ったり降りたりできました」
 
 「30日の帰りは、バスの死亡事故に抗議した住民の道路封鎖で12時間バスに乗りました。前回突然飛行機がキャンセルになってバスもなく道路も崩れて、泥の中でバンを持ち上げ、夜中にカトマンドゥ到着だったので、今回帰りは、バスにしたのですが---。ガイドさんは、住民が抗議できるようになっただけでもいい事だと。昼食の場所にたどり着いたのは、4時半で、6時間半遅れてカトマンドゥに到着しました。トイレ休憩で、みんなでラジオ体操したり結構楽しく、思ったより早くホテルに着きました」
 
 「3日間は、洗濯と大掃除。今日やっとロシア語の復習。明日から再び先生が見えます。本の表紙絵を2つ頼まれているので、描き始めましたが、暑さで集中力が足りません。週末に延期。ポカラの標高が低いので暑いのかと思っていましたが、カトマンドゥも真夏の暑さです。ポカラへ行く前は寒かったので、急いで夏服、扇風機を出し、家具を夏用の配置にしました。観光客、トレッキングの外国人が驚くほどたくさん来ています」
 
 「時々ストやデモはありますが、厳しかった国内線のチェックもほとんどなく、表面的には平和です。トレッキング中、マオイストにも出合いませんでした。2年半前に行ったときは、多くのロッヂが閉鎖されていましたが、今回は、何処も大盛況でした。ポカラがあんなに賑わっているのを見たのは、97年以来です」
 
 「暫くは、勉強に専念します。やっと簡単な旅行記や作文が書けるようになりました。ネパール語で2年間お世話になった、教え方の上手な先生です。3月は寒く、ちょうど良い気持ちのいい時期をなくして暑くなってしまったのが、残念です。2月14日には、62年ぶりの雪にも驚きました。明日真冬の寒さになっても、不思議ではありません」
 「4月18日からますますお忙しくなりますね。お体に気をつけてください。目が良く見えるようになられた事は何よりです」-----。S・T

2007年4月 3日 (火)

国府津地区自治会連合会

Photo_801  全戸にチラシを配布してくれるという。約3900世帯。小田原市国府津地区自治会連合会(伊澤二三雄会長 )が、国府津商工振興会(奥津弘高会長)が5月12日(土)~13日(日)に予定しているイベント「みかんの花と香りを楽しむハイキング」のチラシを戸別配布してくれるというのだ。一口に全戸配布と言うものの、各自治会→各班と小単位に分かれて回覧板に付けられて各家庭に届けられるもので、その区分け作業に手がかかる。国府津地区の自治会は1区~19区(18区欠番)まで18区ある。商工振興会は、自治会の手間を少しでも減らすために自治会の世帯数ごとに分けて自治会長に届けることにしている。商工振興会のイベント内容の詳細は後日に紹介するとして、自治会の活動を、小田原市自治会総連合のホームページから見てみたい。

 小田原市内の自治会は「255」地区にのぼり、全市民の約86%が加入しているという。主な活動は下記の通りだが、最近、特に目立つ活動が、子供達の犯罪被害防止のための登下校時間帯のパトロールではなかろうか。Photo_802府津地区では昨年、町をあげての防犯組織ができ、定期的にj地区ごとの巡回を続けている。町の美化活動として県道沿いなどの花壇整備、国府津海岸の一斉清掃なども行われている。街灯の管理も自治会活動の一つになっている。防災対策も見逃せない。非常食などが保管された各自治会の防災倉庫も沿道などに建てられている。地域の連帯は、一昔前の「向こう三軒両隣」までの緊密さはなくなり、一部、自治会離れも進んでいるといわれる。しかし、有形無形の何らかの形で、われわれは自治会の世話になっていることを自覚しなければならないであろう。国府津地区自治会連合会がPhoto_8004日、国府津公民館で開かれ、新年度の方針などが協議される。

○自治会ってこんなことしています

◆きれいなまちへ◆
 地域の一斉清掃やゴミステーションの管理などをしています。
 地域のゴミステーションは、利用する人がみんなできれいにするのがルールです。
◆地域の情報のお知らせ◆
 私たちにとって大切な、地域(自治会)内のお知らせや、市・県からの情報をお手元にお届けしています。
◆地震の備えもしっかりと~防災活動~◆
 阪神大震災の救助活動で一番威力を発揮したのは近所のつながり。自治会活動です。  地震に備え自主防災組織を作り、防災資機材の整備や防災訓練を行っています。
◆困ったときは協力しよう~ふれあいが大切~◆
 一人の不安は地域みんなの不安です。何か困ったときには、みんなで協力し解決しましょう。そのためにも、日ごろのふれあいが大切。健民際や盆踊りなどの地域の交流イベントを行っています。
◆夜も安心なまちに~防犯活動~◆
 「地域の安全は地域の手で」本当に危険な場所はそこに住む住民しかわかりません。
 夜道を安全に歩けるように、防犯灯の設置・管理やパトロールを自治会が中心になって行っています。
◆地域の発展のために~行政などのパイプ役~◆
 道路や水道の改修等、地域の要望事項などを代表して市や警察などにお話します。

2007年4月 2日 (月)

バタオネ先生への感謝会

Photo_798  「Kasih kami di Jepang selalu bersama Bapak Bataone」(日本の私達の愛はバタオネ先生といつまでも)----記念品として贈られた時計の裏面に刻まれた日本人教え子達のメッセージである。インPhoto_781ドネシア語講師、ドミニクス・バタオネ(Dominicus BATAONE)先への感謝会が4月1日午前11時から東京・赤坂にあるインドネシアンレストラン「ジュンPhoto_782バタン・メラ」(赤い 橋)で開かれた。日本人をはじめ外国人に対するインドネシア語の講師として在日30年。故国へに帰ることになり、10日に離日する。「感謝の会」は、バタオネ先生が所属するINJカルチャーセンター( 近藤由美社長)の主催で、これまでの教え子やインドネシア大使館員、友人、4_1知人ら100人余が集まPhoto_786り、それぞれがバタオネ先生との別れを惜しんだ。

 バタ オネ先生の授業は、厳しいことで知られている。それだけに「恐い先生」というのが教え子達の共通語である。Photo_787ある女性の受講生は述懐していた。「最初、教室が狭いので次回から広い教室をお願いしよう---と話したら、先生は『大丈夫です。次から(受講生は)半分になりますから』Photo_797と言った。翌週、その通りになった」と。そして、「語学を習うには、それくらいの厳しい指導を受けなければ習得できないんだ」と感想を述べていた。会場には、Photo_791ビデオ映像が流れていた。「海と川の狩人たち~灼熱の海にクジラを追う~インドネシア・レンバタ島」。NHKスペシャルとして1992年1月19日に放映さPhoto_794れたものである。バタオネ先生は、この<クジラの 島>のラマレラ村の出身。これを撮った(有)蓮ユニバース監督の池谷薫氏は、「バタオネ先生がいなかったら決して撮影できなかった」と、当時を思い出しながら先生に改めてPhoto_793感謝していた。

 この映像は大きな反響を呼び、インドネシアを観光とは 違った意味で日本人を引き寄せ、その後もPhoto_792、<クジラの島>は雑誌に、映像にと相次いで紹介された。バタオネ先生はその都度、取材の便宜を図ってやっていた。私と先生の縁も、このクジラが深くかかわっており、一緒にクジラ料理を食したこともある。1日に久しぶりにお会いしたわけだが、私を、名前よりも「クジラ」ということで直ぐに思い出してくれた。INJのスタッフの一人は、最近も先生がクジラの話をしていたと、と伝えてくれた。

 感謝の会は全てINJのスタッフ達(女性陣)によって進められた。歌の披Photo_790露とともに、インドネPhoto_789シアでは馴染の「RASA SAYANGE」を全員で合唱した。バタオネ先生は御夫妻で出席され、あちらこちらで記念写真に納まっていた。正直、ゆっくりと話す時間がなく、先生の日本についての話をじっくりと聞けなかったのが残念だった。 しかし、INJと縁が切れたわけではなく、時Photo_795々来日するというから、これからもお会いするチャンスはある。記念品を受け取り、挨拶に立ったバタオネ先生は、「私は大変な恥ずかしがりやで、長くはしゃべれません---」と言って在日中に世話になった方々の名前をPhoto_796あげてお礼を述べ、こう 結んだ。「サヨウナラは言いたくない。また、お会いしましょう」。帽子にサングラス姿。サングラスは「涙を隠すためにかけたみたいです」とは司会者の言葉。

 バタオネ先生は今年75歳。在日歴の長い外国人は、その振る舞いが日本人以上に、日本人らしい。それも昔の良き日本人。バタオネ先生はその一人である。先生のご長命を心よりお祈りしたい。

(画像をクリックすれば拡大します)

2007年4月 1日 (日)

神奈川県迷惑行為防止条例

Photo_18   きょう4月1日から名称を改めて施行される条例がある。「神奈川県迷惑行為防止条例」。「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等のPhoto_7防止に関する条例」が、こう改称された。目的は、今までの条例や他の法令では規制が 難しい様々な迷惑行為を規制しようというもの。主な改正禁止事項は、「粗暴(そぼう)行為」「卑猥(ひわい)行為」「不当な客引き行為」「迷惑ビラを配るPhoto_16行為」「つきまとい行為」「深夜における不安を覚えさせる行為」「登山等における危険行為」。これにより、悪質な盗撮、深夜花火、迷惑ビラの配布等は厳しく罰せられる。詳細は「神奈川県警のホームページ」や「ポリスチャンネル」をご覧いただきたいが、主な改正、新設項目を紹介する。

現行条例で規制されている粗暴行為に加え、いわゆる「暴力団対策法」Photo_8で規制されていない、暴力団や暴力団を仮装した者の練り歩く行為等の「暴力団の威力を示す行為」を禁止しまし た。

正当な理由なく、公共の場所や乗物において、不安を覚えさせるような方法で、木刀、バットなど凶器となり得る物を携帯する行為を禁止しました。(銃刀法、軽犯罪法の規制外の行為) Photo_9

不安を覚えさせるような方法で、銃刀法で規制されていない刃物、木刀、バットなど凶器となり得る物を携帯する行為を禁止

現行条例の公共の場所や乗物における「卑わいな言動」を4項目に分けて具体的に規定し、罰則を強化しました。Photo_10

正当な理由なく、透視機能付きカメラを使用して、公共の場所や乗物にいる人の下着や身体を見る行為、映像を記録する行為を禁止しました。

店とのつながりが明らかでない、いわゆるフリーの客引きによる客引き行為を禁止しました。

風営適正化法では規制されていない誘引行為を禁止しました。 Photo_11

風営適正化法では規制されていない深夜(午後10時から翌日の午前6時までの間)におけるマッサージ行為をうたい文句にした客引き行為を禁止しました

風営適正化法では規制されていない風俗店を紹介する、「風俗情報案内所」にかかる客引き行為等を禁止しました。

風営適正化法Photo_13では規制されていないエステ嬢やAV女優、キャバクラのホステス等になるようスカウトする行為を禁止しました。

現行条例で規制されているしつような客引き行為に加え、しつようなスカウト行為も業種を問わず禁止しました。

風営適正化法では規制されていない「客引きやスカウトを行う目的で、うろつき、とどまり、たむろする行為」をPhoto_14禁止しました。

店とのつながりが明らかでないフリーの撒き屋による迷惑ビラ等の配布行為や、公衆の見やすい場所等に掲示する行為、正当な理由なく住居等に配る行為を禁止しました。

配ったり、掲示する目的で、迷惑ビラ等を所持する行為を禁止しました。

Photo_15怨恨その他の悪意の感情を充足する目的で、反復して、つきまとったり、無言電話をかける行為等を禁止しました。

深夜(午後10時から翌日の午前6時までの間)に花火をし、又は人声、音響Photo_17機器等の音を大きく出し、近隣の者に不安を覚えさせる行為を禁止しました。

登山道等に設置されている道標の方向を変えるなど登山等における危険行為を禁止しました。

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